会社なりゆき放浪記② ガラスの錦鯉御殿 建築業界の栄華
手記概要
高校時代のヤスオには確固たる将来像はなく、とりあえず入れる大学に進学、4年を経てもなお明確な職業観を持てなかった。大手企業にひとしきり落ちたあとに、ブランド名だけで有名企業の子会社に入社。そこで平穏に安定したサラリーマン生活が始まり続いていくと漠然と予想していた。
しかし親会社への出向を機に、ヤスオの人生は予期せぬ方向に動き始める。
IT企業入社⇒建設業界⇒シンクタンク系IT⇒金融機関へ出向
業界、企業ごとに全く異なる価値観、風土、世界があった・・・成功、挫折、降格、左遷そして恋愛の日々・・・50代で組織を離れフリーターの道を歩む。昭和から令和までの時代変遷と業界事情を描きます。
<目次>
第1幕 これって産業スパイ? IT業界の覇権争い
第2幕 ガラスの錦鯉御殿 建築業界の栄華
第3幕 シンクタンクで踏まれ沈む 銀行文化の洗礼
第4幕 リトル半沢直樹散る 金融機関の闇
第5幕 世界が集まるパウダーワールド 北海道でフリーターデビュー
第6幕 初めてのC、さよならC 50の手習い職業訓練校
第7幕 学校の光と影 ICT支援員の現実
第8幕 日雇いの悲哀 底辺の下があった
第9幕 天国はあったのか? 小さな仕事場で
第2幕 ガラスの錦鯉御殿 建設業者の栄華
IT業界にて激しい競争に身を置くヤスオは心身疲れ切っていた。深夜残業と休日出勤の連続。企業の頭脳を司る情報システムを支えるという充実感と使命感はあるものの、平穏な時間がほしい。自分の長時間労働も辛いが、営業マンとして技術者たちにそれを強いることはさらに苦痛であった。誕生したばかりの我が子の寝顔を見ながら、ゆったりできる職業に就きたいと感じていた。ただ具体的にやりたい職業や目指す将来像があるわけでもなかった。
営業中にあるギャラリーのポスターが目に入った。何気なくドアを開けると欧州の木造建築物の展示になんともいえない落ち着きを感じた。ここは、住宅水回りメーカーD社のショールーム兼ギャラリーであった。SIS、CRM、ERPという無機質な記号が並ぶIT業界とは異質の人間味のある空気があった。その後、日経新聞求人欄に同社の募集をみつけ、俄然興味がわいてきた。たまたま東京出張の機会があり、六本木にあるD社のショールームも覗いてみた。ちょうどバブル最盛期、海外製の美術品のようなあでやかな水回り製品が目を引いた。人魚のかたちのトイレ、金メッキの工芸品のような水栓金具・・・大学時代美術部に在籍し、アート好きのヤスオは直感的にここで働きたいと思った。
D社の中途採用に通ったヤスオはA社および籍のある会社に退職を申し入れた。両社から引き留めの言葉はもらったものの、D社の審美的世界に心を奪われたヤスオはD社へ仕事場を変えた。
D社営業所に配属されたヤスオを待っていたのは、アートの世界ではなく鬼軍曹の所長の洗礼であった。品格があり人当たりが柔らかい前職のA社とは社風が全く違っていた。営業所は騒々しく電話が鳴りっぱなしで、それ以上にうるさいのは所長の怒号であった。「電話を取れっ!!」「営業はさっさと外へ出ろ!!」
コンピュータのA社と建築資材を納入するD社は忙しさの質が全く異なる。A社の最低価格商品は100万円のパソコン、商談は億円単位であった。しかし、D社の扱い商品は高くても数十万円、マンションのような物件でも数百万円足らず、さらには10円ほどのパッキンやネジなどの部品も扱っている。安価でありながら、図面作成や部品番号を調べろとか、手間がかかることが多い。
建築業界は、工務店の下に電気工事やガス工事、内装工事、水道工事等の各種工事店が位置する。D社が製造する水回り製品は、工務店が決定することもあれば、水道工事店が決定することもある。メーカー直販ではないので、特約代理店という卸問屋を通じて納入する。そこで、D社の営業は、工務店や水道工事店を回っては、商品のPRを行う。特約代理店と同行訪問することもある。鬼軍曹の所長からは外に出て営業しろと号令が出るが、実際のところ、真面目に営業しても、そうでなくても売上成績は大きく変わらない。工務店や工事店ごとに扱うメーカーや商品はほぼ固まっているので、商品PRはあまり効果はない。工務店や工事店と日々やり取りする特約代理店担当者との人間関係と値段で購入は決定される。したがって、メーカーに求められるのは、仕切り価格の値下げだけである。ヤスオはD社に入社以来、「安くしろ」という単語しか聞いていない。
会社という組織は常に売上拡大やシェア拡大を求められる。しかし競合会社も必死に努力しているわけで、革新的な商品が無い限り、売上もシェアもほとんど動くことはない。しかし業績アップのノルマはあるので、毎年のように◯◯セールという安売りが繰り返される。値段を下げて特約代理店やその先の工事業者の倉庫に商品を押し込む。一時的に売上は増加するが、総需要が増えるわけではないので、セールが終われば売上は落ちるという愚策である。あるいは、別々の特約代理店を担当する社内の営業マン同士が値段を下げあって自分の売上を確保するというような無意味な行いもあった。上場企業のマーケティングのレベルの低さに失望した。
幹部は施策を本部にPRしたいので、イベントも企画し開催される。関西全体の営業マン15人ほどが地方に集結し、地元の特約代理店と一緒に工事店を一斉訪問するというローラー作戦が実施されたこともある。正直言って特約代理店としては普段の工事店との関係が荒らされるので迷惑だったに違いない。地元の年配の営業マンは午前中はヤスオを連れて工事店をまわったものの、午後には山の展望台に営業車を停めた。「君たちもこの景色を眺めて、深呼吸したらいい」まだ若く会社での競争意識に染まっていたヤスオにはその言葉の意味はわからなかった。
水道工事店には建築業界独特の雰囲気があった。二分すると、実直な職人タイプとド派手やんちゃタイプである。ド派手やんちゃタイプは黒セダン車に金メッキのエンブレムを誂え、金のネックレスとキラキラの高級時計を身につけている。ヤスオが最も驚き、印象的だったものは、ある水道工事業者の錦鯉御殿である。その業者の自宅応接室に通された。なんとその床はガラス張りで、その下には大きな錦鯉がゆらゆらと泳ぎ回っているのであった。その水槽は部屋から屋外の池まで続いていた。父が社長、息子が専務という二人は背が高くがっしりとした体格、父は角刈り、息子はパンチパーマ、二人の顔は鬼瓦のようであった。決して悪い人ではなく、怖ろしい性格でもないのであるが、なぜか彼らからの依頼や要求は断れず、いつも従順に言いなりになっていた。その業者はパブル崩壊後の建築不況のなかで、いつまにか夜逃げして消息不明となった。あのガラス床の下の錦鯉はどうなったのであろうか?
工事店に商品を納入する特約代理店の営業マンは、本当に過酷な労働を強いられていた。現場にパイプ1本持って来てくれ、マンション現場の各部屋にトイレと化粧台を配ってくれなど、事細かに依頼があり、彼らの携帯電話はいつも鳴りっぱなしであった。建築業界は工務店をトップとした縦社会であり、下位の工事業者に商品を納める卸業者は本当に立場が弱かった。商品を納めるD社は建築現場では大きい顔はできない。自然と腰が低くなった。世の中がピラミッド構造になっていること、派手な個人事業者の浮き沈みがあることをヤスオは知った。IT業界で大手企業という社会の一面しか見ていなかったヤスオとって新しい発見であった。
建築業界のピラミッド社会に身をおいたヤスオであったが、望んでいた落ち着いた平穏な生活は手に入れることができた。D社の営業所は20時で閉められたし、休暇中に仕事の連絡が入ることもなかった。提案書を作成することもなく、特約代理店との人間関係ができてしまえば、自然と商品は流れ売上は上がった。
プライベートでは子どもたちが幼稚園に入り順調に成長していき、充実した30代を過ごしていた。IT業界時代には得られなかったワークライフバランスが保たれた。その一方、仕事において物足りなさは感じていた。知的好奇心が満たされることのない日々。新聞といえば、A社では日経新聞を指していたが、D社の所長はスポーツ新聞片手に出社してきた。そして幹部社員は土日はゴルフで真っ黒に日焼けし、ゴルフ帰りにわざわざ夜の街に繰り出していた。業務中にも呑み屋のママから電話がしばしば掛かってきた。彼らをみてヤスオは自分の将来像を描くことはできなかった。
中堅社員になったヤスオは経営というものに関心が生まれていた。おカネがどのように回っているのか、工事店の社長は何故皆高級車に乗っているのか?シェア2位のD社にふさわしいマーケティング戦略は何か?そのような疑問を感じる中で、経営を体系的に学習できる経営コンサルティング資格の通信講座を受講することにした。
テキストを手に取ってみると今までわからなかったことが理論的に把握できて、霧がすっきり晴れていくような実感があった。人間はモノサシを使って始めて物事を認識することができる。例えば、体がだるいという感覚があったときに、体温というモノサシで計測することで状態を把握できる。その他に、腹痛の有無、喉の状態等のいくつかのモノサシに照らし合わせ、総合的に状態を判定できるのである。経営にもそのようなモノサシ、指標、フレームワークといったものがある。「なぜ、会議は盛り上がらないのか?」このような疑問に対し、モチベーション理論やメンバーシップ理論から根拠ある説明が導けるようになった。ヤスオは通信講座だけでは物足りなくなり、ボーナスを投じて資格試験の予備校に入学することにした。映画に1500円払うのであれば、講義1コマに同額を払うことは高くはなかった。実際、講義は面白くためになった。テストで好成績をとることも気持ちよかった。頭脳労働であったIT業界からD社に入り頭を使わない日々になり、知識に飢えていた。砂に水が染み渡るように、テキストの内容を吸収していった。
そうなると試験にも合格したいという欲が出てきた。一次試験は8科目の学科、二次試験は仮想企業に対する経営診断と改善提言の論述であり、合格率は4%を切るものであった。大学受験よりはるかに難関であった。ヤスオは勉強時間を確保するため、営業車の使用をやめ、電車とバスで取引先を訪問し、車中でテキストを読み込んだ。土曜は予備校に通い、日曜は公園で子どもたちを遊ばせながら。木陰で財務の問題集を解いた。このような生活を半年続け、ヤスオはその年に一次試験に合格した。翌年は二次試験に合格した。論述試験では、いわゆるゾーンに入り、どんどん勝手にペンが動いた。試験後は歩くのもやっととなるくらい激しく消耗した。
二次試験合格のあとは10日間の実習があった。6人のチームで実際の企業の経営診断と改善提言をまとめるものである。ここでは、連日深夜まで議論し、資料を作成した。ハードではあるがレポートが完成したときはすがすがしい充実感を味わった。6人の内訳は、金融関係3名、流通1名、公務員1名とヤスオ、皆30代の仕事盛りの面々であった。ここで議論しながら、自分は他業界でもやっていける、という自信が芽生え、かつIT業界時代の仕事への熱狂の日々も懐かしく思い出された。この資格に受かってしまったことが、ヤスオを想定外の道に導くことになる。
D社で安定した日々を送り、家庭も充実した30代後半、ヤスオは今後の身の振り方を考えていた。課長試験に合格したので、通例であれば地方支社の営業課長または田舎の一人営業所長になるであろう。そこで業者たちとゴルフをして、夜の街で飲み、あるいは麻雀をして過ごすことになるのであろうか?どれも苦手なので、それを避けていると営業成績がぱっとしなくなり肩身が狭くなるのであろうか?経営コンサルティングの資格を持つヤスオは本部に呼ばれるかもしれない。D社の本社は中部圏にあるので、いずれにしても遠からず転勤になると思われた。結婚し子どもができて10年経過し、妻も子どもたちも土地に馴染み、根を張っている。これを切り捨てて、新しい土地に居所を移すことは妻や子には耐えられないのではないかと思われた。
また日々の仕事にも満たされないものを感じていた。特約代理店や工務店、工事店を訪問して他愛ない世間話をする、時にはヘルメットをかぶってマンションの工事現場に入り、商品を搬入ししたり、不具合対応で一軒一軒訪問したり、あるいはサービスで工事現場の掃除やタバコの吸殻拾いをする。
D社の営業所がある界隈には、都市銀行系シンクタンク、いわゆる◯◯総合研究所2社の社屋があった。そこを通るたび、どんな仕事が行われているのだろう?、どんな雰囲気なのだろう?と気になる存在であった。そんなとき、◯◯総合研究所E社の中途採用の記事を日経新聞に見つけた。部門はIT部門である。E社は銀行調査部とコンサルティング会社、IT会社を母体に設立され、経済解説等でマスコミにも露出が多い。その影響でIT部門も伸びていたのだ。とりあえず、力試しのつもりで応募してみると、あっさりと採用となった。新卒のとき大手企業にまったく拾ってもらえなかったヤスオであるが、A社での経験や資格取得などを経て、有名企業E社に手が届いたのである。ヤスオは有頂天になった。意思を持てば、努力で道が拓けると実感した。大学までのぱっとしない負け犬人生から勝ち組に這い上がったと思った。30代後半の転職はリスクは大きい。それでも今挑戦しなければ後悔につながると覚悟を決めた。「失敗すれば、またヘルメットをかぶって現場に戻るだけ!」そこから人生のどん底を味わうことになることは、まだ気付いていなかった。
第二幕 建築業界 D社 まとめ
時代背景:平成 バブル崩壊〜阪神淡路大震災のころ
業種: 住宅設備機器メーカー
職種: ルート営業
仕事の特徴:
市場シェアがほぼ固定。営業マンの努力が報われる余地は少ない。
特約代理店およびその取引先の工事業者との人間関係が重要。
作業環境:
windows95導入前はPC利用なし。FAX受注、女子社員が端末に入力。
windows95導入からPCが一人1台配備され、管理職は1文字ずつ入力。
CRMやSFAが導入され始め、営業マンは日誌入力が仕事と化す。
社風:
シェアが固定され競争が緩い。のんびりした雰囲気。
受注入力の女子社員多人数。建築業者相手の電話で忙しく殺だつ。
女子の制服、お茶くみ、社員旅行など昭和の雰囲気が残っていた。
社内不貞。イケメン課長と独身女子社員の交際が散見される。気付いた
部下が内密にするか、公にするかで課長達のその後の出世が分かれた。
得たこと:
平穏かつ安定した生活
ピラミッド構造で腰を低くする姿勢、世間話と人間関係のスキル
失ったこと:
プライド、向上心、チャレンジ精神