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会社なりゆき放浪記⑤ 世界が集まるパウダーワールド 北海道でフリーターデビュー

手記概要

高校時代のヤスオには確固たる将来像はなく、とりあえず入れる大学に進学、4年を経てもなお明確な職業観を持てなかった。大手企業にひとしきり落ちたあとに、ブランド名だけで有名企業の子会社に入社。そこで平穏に安定したサラリーマン生活が始まり続いていくと漠然と予想していた。
しかし親会社への出向を機に、ヤスオの人生は予期せぬ方向に動き始める。    
IT企業入社⇒建設業界⇒シンクタンク系IT⇒金融機関へ出向
業界、企業ごとに全く異なる価値観、風土、世界があった・・・成功、挫折、降格、左遷そして恋愛の日々・・・50代で組織を離れフリーターの道を歩む。昭和から令和までの時代変遷と業界事情を描きます。 

 

<目次>
第1幕 これって産業スパイ? IT業界の覇権争い
第2幕 ガラスの錦鯉御殿 建築業界の栄華
第3幕 シンクタンクで踏まれ沈む 銀行文化の洗礼
第4幕 リトル半沢直樹 金融機関の闇
第5幕 世界が集まるパウダーワールド 北海道でフリーターデビュー
第6幕 初めてのC、さよならC 50の手習い職業訓練校
第7幕 学校の光と影 ICT支援員の現実
第8幕 日雇いの悲哀 底辺の下があった
第9幕 天国はあったのか? 小さな仕事場で

第5幕 世界が集まるパウダーワールド 北海道スキーリフト係


 メガバンク系E社の早期退職を決めたとき、その後の人生設計は何も考えていなかった。安定と収入をとるならばE社で日々事務作業を続ければよい。しかし、未知の世界をぶらぶら彷徨いたいという欲望を抑えることはできなかった。フーテンの寅さんのように季節ごとに全国を行脚しながらその土地の仕事に就いてみよう。意外にも妻も彼を止めなかった。好きなように生きればよい、と。

 全国行脚のイメージ・・・冬、北海道でのリゾートバイト⇒春、沖縄のサトウキビ収穫⇒夏、信州でキャベツ収穫⇒秋、四国でみかん収穫・・・苦労は多いだろうが、それを味わうのも人生の醍醐味だ。とりあえず一年間の遊学である。

 羊蹄山に近いそのスキー場にバスが着いた時、時刻は17時を過ぎていた。1月の北海道では早くも陽が陰り、街灯のネオンに雪がオレンジ色に染まっていた。迷路のようなホテル廊下を探し回り、ホテル総務部で就業手続きを済ませ、寮に向かうバスに乗り込んだときは陽が完全に落ち、外は静かに雪が降っていた。あこがれの北海道生活が始まるというのに、ヤスオは不安と心細い気持ちでいっぱいであった。アウェー感、、、、スキー場に住み込みではたらくものは若者中心である、、、約35年間過ごしたサラリーマン世界と空気が違う。バスの中は、日本語以外にも様々な言語が入り混じっている。冷気で曇った窓の外は、ただただ暗く、地面が薄らと儚い白さ。

 数百人が生活する鉄筋コンクリート造の大きな寮は、遠い昔に暮らした学生寮を思い出せた。学生寮との違いは個室であること。二重窓は凍りついて、力づくで開けると外には街の明かりもほとんどなく、闇夜が拡がっていた。

 食事場所を探して外出するが、街には開いている商店は見当たらない。尋ねる相手もみつからず、持参した餅を寮で食した。明日からの仕事、生活、何もかも不安だ。仕事はきついのか、難しいのか、寒さはどの程度厳しいのか?

 翌朝、寮からバスで約15分でスキー場に到着。ヤスオはリフト係の集合場所に赴く。総勢100名ほどのメンバーが集まる。若い男女、アジア人や欧州人も目立つ、中高年のおじさん族も2割程度見えた。地元人なのか?

 リフト係の仕事は3人一組。一人は外で乗車補助と雪払い、一人は中で監視と機械制御、残りが休憩、これを30分交代で回していく。リフトは4人乗りであるが、スムーズに乗れない客もいて、全く気を抜けない慌ただしさ。お客が転倒することもあり、緊急停止ボタンを常に意識しなければならない、かなりの緊張感のある業務である。一方、中の監視と機械制御は転倒者さえいなければ、休憩者と雑談して過ごす。相手によっては楽しくもあり、合わない相手の場合は気まずく重い時間にもなる。

 ヤスオはおじさんチームに入れられた。若者相手に気を遣こともなく安心と思っていたが、すぐに針のむしろの時間となった。50代の某氏は夏はダイビングショップ、冬はスキー場で過ごすという、生粋フリータだ。親切に仕事を教えてくれ、頼もしく思っていた。ところが、親切な指導はだんだんと重箱の隅をつつくように細かくなり、やることすべてがダメ出しの連続になった。雪は生き物であり、温度により硬さ、湿りが常に変化する。リフト乗り場は、一定の高さを維持できるように、雪を盛ったり、雪や氷を削ったり、休むまもなく動き続けなければならない。その判断基準や方法、タイミングは人によりバラバラで、ヤスオは何をやっても彼のお叱りを受けることになった。休憩でリフト小屋に戻っても、外の作業が足りないと叱責された。つまり、フリータの世界にも序列はあるのだ。経験の長いものがマウントを取る。立場の弱いものは叩かれる。銀行子会社で日々踏みつけられた苦い経験が蘇った。

 プレッシャーで冷静さを失っていたとき、事故は起きた。気持ちに余裕なく雪かきに動き回った結果、自分自身が迫るくるリフトに衝突し、跳ね上がったリフトが勢いよく乗車待ちのお客様に向かっていった。お客様2名が転倒。監視係がリフトを停止した。幸いお客様にケガはなく、謝罪して許しを得た。これを機にヤスオはすっかり自信を失い、この仕事を続けることが怖くなった。春までまだ遠い着任2週目のことだった。フリータ挑戦はあっけなく幕を閉じるのか?

 業務終了後、そのことを30代の女性社員に告げた。彼女からは所属チームでの人間関係や仕事の雰囲気について尋ねられた。率直に某氏の指導には応えられない旨を伝えた。結果、退職ではなくチーム替えとなった。数ヶ月前まで、正社員として派遣社員の悩みや愚痴を聴く立場だった自分が、逆に自分の力不足を年下の社員に打ち明け、善処してもらうという構図。配置換えで肩の荷が降りるとともに、自分自身の不甲斐なさに気持ちが萎えた。

 おじさんチームから外れ某氏と縁が切れてからは、人間関係には苦労することはなかった。メンバーの休暇の関係でチーム間異動がたまにあり、様々な人達とお話する時間があった。10代でヘビースモーカーの若者はバイク事故のケガが癒えないまま関東から北海道に渡ってきたという。打算のないおバカで無邪気な若者。監視番でもずっと寝ている大阪出身の若者には叱る気にもならない無防備さがあった。親は自営業で就職しなくても稼いでいけるという安心感があるようだ。フリータというと正社員になれない能力の低い人種という偏見があったが、彼らは安定のために自由や誇りを放棄しないという価値観の人種であり、決して能力が低いわけではなかった。ある男性は日本では知られていないポーランド人作家の小説の日本語訳をWEBにアップする予定という。どういう経緯で時給1000円のフリータになったのかわからないが、彼は「会社に属さなくても案外やっていけるものですよ」とヤスオに語った。

 総勢100名ほどの部隊の中で社員は数名のみ、バイトが中心となって現場業務を回していた。殊に留学生は能力が高かった。インドネシア出身の青年は日本の大学を出ているので、日本語が堪能、母国語の他に英語もできるので、外国人客の多いリゾート地では大変重宝な存在で、バイトリーダー的に日本人も取りまとめていた。母国に帰った暁には有能なビジネスマンとして活躍することだろう。台湾からのお兄さんは、だれにでも積極的に話かける明るさがあった。寮の炊事場ではよく餃子を焼いていた。中国からの若者とは漢字の筆談でコミュニケーションできた。中国は今後リゾート開発が進むので、母国のホテルから派遣された一群がいた。中華女子と日本語、英語、筆談でお話していると「あなたはわたしの最初のヒトです」と伝えられ、ドキッとした。「日本でお話をした最初のヒト」という意味だった。ヤスオが唯一連絡先を交換したのはネパール出身のロジャンである。ヤスオが学生時代に訪問したネパールで、道端で話をした少年に家に招かれご飯を御馳走になった経験があった。いつかネパール人にお返しをいたいと思っていたことを彼に話し、ジンギスカン鍋を一緒に食べた。ロジャンは積極的にスキーやボードにチャレンジしていた。異国の地でも何でも体験しようとする意欲とバイタリティーのあふれる青年だった。

 リフト係以外にも他の作業場にヘルプに入ることもあった。リゾートホテルのレストランの洗い場ではインドのおじさんとキルギスの女子大学生の3人で作業をした。サッカーワールドカップ予選で日本はキルギスと対戦したことがある。しかし、その国がどこにあるか存在もほとんど知らない地であった。そんな遠いキルギスから来た女子学生は、欧州とアジアの両方の雰囲気のある素朴で親しみやすい顔立ちだった。洗い場という地味な職場で真面目に働く彼女は、ヘルプのヤスオに「ダイジョウブ?」と気にかけながら作業を教えてくれた。キルギスの女の子と皿をふきふきする体験なんて、自分の人生で予想できたであろうか?

 リフト係にはロシアからの女子学生が4人くらいいた。その中で、アナは人形のような大きな瞳のキュートな女子だった。ロシアの伝統ある大学に在学中の彼女はジャーナリストを目指していて、休憩中は英語でハリーポッターを読んでいた。顔はキュートだが、白人特有の態度のデカさがあり、近寄りがたい横柄な雰囲気だった。仕事中は仏頂面な彼女も休暇中にスキーで遊ぶときはとてもテンションが高く、別人のようだった。ロシアンビューティたちの休暇のお供は欧州人のインストラクター達だった。やはり白人同士が似合っていた。白人男子に特に人気だったのは、マリアという高身長で顔が小さく、まさにクールビューティーという完璧な顔立ちのロシア人学生。完璧な美人すぎて軟弱な日本男子はだれも近寄らなかった。

 ジャパウ(ジャパンパウダースノー)で世界的なリゾート地になった冬の北海道には世界各地から客が訪れる。この場所で感じたことは彼我の貧富の差である。欧米のファミリー客は子どもを個人レッスンに預ける。インストラクターはマンツーマンで子どもの面倒をみる。英語を話す中華系ファミリーも同様に個人レッスンを使う。英語を話す中華系は身なりと振る舞いの良さが一見して日本の庶民と違う。彼らは外資ホテルに滞在し、百万単位のおカネを落とすという。国内ツアー組とは棲む世界の違いを見せつけられた。そして自分はその国内ツアー組より下層の時給1000円のバイト族なのである。

 数百人の若い男女が一冬を閉ざされた雪山で過ごすわけであるから、職場はナンパサークルの様相でもあった。寮の談話室からは若者たちの嬌声が毎晩聞こえてきた。寮は男子棟と女子棟に別れ、相互の行き来は禁止であるが、中間にある談話室は共有スペースなのだ。また、ナイターのスキーコースには17時で業務終了した授業員が滑りに集まってくるのだが、いつの間にかペアになってる男女を見かけた。リフト係の休憩中にも、いろいろな男女の噂話が耳に入った。その中で、最も印象に残ったのは、沖縄出身の19歳のサエのことである。彼女は唐突にヤスオに自身の恋愛を聞かせてきた。その相手は不倫騒動の俳優東出氏によく似たイケメンであった。スキー場の東出くんは同性のヤスオでもドキッとするような澄んだ瞳をもっていた。彼は中華女子を含めあらゆる女子に人気で、かつ彼自身も血気盛んで色々な場面で女子に声を掛けていた。「東出くんと私の雰囲気おかしくなかったですか?・・・実はわたし、彼と付き合っているんです。・・・でも、彼が本気なのか遊びなのかわからない・・・」とサエはヤスオに話してきた。東出くんは20代後半の青年、そしてタナカくんは20歳になったばかりの純情そうな少年である。「タナカくんが、わたしに、東出なんかと別れてボクと付き合ってくれっていってきたんです。・・・それを東出くんに話したら、、、普段は醒めているのに、、、急に熱くなって、、、タナカなんかに渡さない、って言って、、、、昨日キスマーク付けられちゃいました」という赤裸々な独白であった。「ヤスオさん、部屋は何階ですか?・・・わたし、パーカー被って東出くんの部屋に行くんです。出会うと気まずいですから・・・」と19歳の娘に性事情をあっけらけんと語られた50代半ばのオヤジは唖然とするばかりであった。まさに青春。彼女からすれば対象外であるヤスオはカミングアウトするのにちょうどよい相手なのか?彼ら彼女らの集団とは交じりあることはない。もはや自分は別世界にいることを悟った。もし学生時代にここに来ていたらどのような展開があったであろう?

 振り返ると1月から4月初めまでのひとシーズンの北海道生活は、白昼夢のようでもありほろ苦いものでもあった。価値観や世界観の異なる人々との交わり、美しく雄大な自然、それらは非現実的な夢の世界であった。一方、マウントを掛けられフリータの序列を味わい、また経済的余裕のなさは厳しい現実を痛みとして感じた。

 新型コロナ患者が日本にもちらほら発生し始めた頃、ヤスオは自身の体の変調に気付いた。頭痛、悪寒、、、普通の風邪ではないことは直感でわかった。中国人観光客の多いリゾート地でコロナ感染リスクは明らかに高い場所であった。まだ国内の罹患者が少数で感染が大きく報道されているなか、北海道を代表するリゾートホテルの従業員に感染者が出たとなると、ホテルの経営にも大打撃となり大きな騒動になると血の気が引く思いであった。翌朝、地元の病院に発熱を告げると、直ちに別部屋に入れられ、そこで診察も、精算も、薬の処方も全て別室で執り行われる扱いとなった。検査の結果は新型コロナではなく、インフルエンザであった。”犯罪者”扱いされる恐怖から解放され安堵した。その後、コロナ感染の拡大が進み、旅行客は激減し、スキー場では暇な時間を持て余すようになった。お客が来ないので、日々雪だるまを作りながら、白銀の世界を眺めて過ごした。自分はこのあと、どうするか?どこにいくのか?

 仕事は暇になり休みも増えた。あこがれの冬の美瑛を訪問してみた。かつて7月に訪れたときは青空のもとにとうもろこしやじゃがいもの緑の丘がどこまでも続く鮮やかな色彩の世界だった。しかし、2月の美瑛は、ただどこまでも平らな白い雪原、空は灰色、時が凍りついたようなモノトーンの世界に変わっていた。なにもない雪原のなかの道をあてもなく歩きながら、これから先のこと、を考えていた。35年間のサラリーマン生活、就職、大学進学、高校受験・・・時を遡りながら、自分は何者なのか?何がしたいのか?何ができるのか?あらためて振り返った。

 フリータでは経済的に生活ができないことを身にしみて認識した。時給1000円では残業しても月20万に満たない。そこから社会保険と税金を差し引くと10数万円が残る。自分一人であれば生活は可能だが、妻と二人の生活は賄えない。結婚以来、妻とは生活の感覚のズレを感じ、同居生活は大きなストレスであった。会社を早期退職してフリータとして全国行脚を試みた背景にはひとりで暮らしたい、という気持ちがあった。しかし、北海道生活の始まりの頃、ベテランフリータにマウント取られて弱気になり、ホームシックから自宅に電話したことがある。全く予期せぬ行動であった。子育て終了後は全くの他人として距離を置いてきた妻に自ら電話を掛けたことに自分でも驚いた。ヤスオには数年の付き合いの恋人がいて、毎晩LINEでおやすみのやり取りする関係でありながら、ナマの声を聞いたのはヨメの方であったのた。安定した会社員生活を捨てることにも反対せず、背中を押してくれた彼女は、やはり縁のある女性だったのであろう。彼女を養わなければならない、そういう使命感みたいなものを持つようになっていた。

 美瑛の雪道を歩きながら、ふと、技術者になろう、プログラマになろう、という発想が湧いてきた。もともと少年時代はエンジニア志向であった。最初の就職もシステムエンジニアであった。数字に追われる仕事や管理の仕事ではなく、モノづくりに携わりたいと考えた。コロナの影響で地域を超えた移動の自粛が求められることもあり、フリータでの全国行脚は中止し、職業訓練校でプログラミングを学び直す、そのように方向が定まった。

 進む道を決めたあとは、残りの日々をただ純粋にパウダースノーを楽しんだ。一般的なスキー場は定められたゲレンデ以外は滑降禁止である。しかし、羊蹄山を仰ぎ見るこのスキー場ではゲレンデ外の森林のなかを自由に滑ることができる。整地されたコースではなく、何があるか、何が起きるか、何処に向かうのか、保証のない滑降、リスクを背負った緊張、その緊張がもたらす気持ちの高まり、、、、自由とリスクそして快感は三位一体である。安定と退屈が表裏一体であることの逆なのだ。50代半ばにして職業訓練校への入校を決めたとき、真っ白なパウダーの雪原に踏み込むようなワクワクする気持ちがした。

第5幕 スキーリゾートバイト まとめ

時代背景:令和 新型コロナの国内感染の始まり
業種、職種:リゾートホテル、スキーリフト係
仕事の特徴:サービス業は優秀なバイト族に支えられている。
      リゾートワーカーの世界は価値観も生き方も多種多様。      
作業環境:喫煙者が多く、寒さで換気もできないので頭痛になる。
     リフトの山上駅側はトイレは非水洗。手洗いなし。
     スノーモービルで山上駅に送り込まれる。帰りは徒歩。
     出勤前にコンビニで昼の弁当を用意する。
得たこと:真冬から雪解けまでの北海道の自然を満喫したこと。
     真っ白な状態で自分の過去とこれからを見つめ直したこと。
     会社生活では経験できない多種多様な人々との出会い。
失ったこと:ベテランフリーターにマウント取られてメンタル凹んだこと。
      経済的余裕。社会保険料を自腹で支払うと喰うだけ。

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