最短最速でネイティブになる英語の独学方法。
ネイティブレベルの英語力を手に入れるのはカンタンだ。
こんな甘い、サギみたいな謳い文句、にわかには信じられないかもしれない。
今この瞬間は信じなくてもいい。まずこれを読んでみてほしい。
ものごとはいつだって、
"一番カンタンで、最短最速で到達できるやり方こそが一番正しい。"
それがこの世の真理だ。
そしてさらに、そのルートにしたがった成果物は常に一番自然で美しい。
まずは話を始める前に、私の英語音声を聞いてみてほしい。
私はこの通り英語を自由自在に話すことができる。
もちろん日本生まれ、日本育ち。
真面目からはほど遠い、毎日遊び呆けるダメダメ大学生だった。そんなダメダメ大学生の私が、気がついたら英語がペラペラになっていた。
努力や辛い勉強なんて1分もしていない。お金もかけていない。
東京の大学をかろうじて卒業したのち、私はアメリカNYのデザイン大学に進学した。
アメリカの大学進学のための英語に関する準備期間はゼロ。
日本から来たまわりの学生たちは、早稲田や慶應のSFC、全国の国公立と、高学歴ばかり。だがみんな英語の試験のスコアを取るのに苦戦していた。(外国人がアメリカの大学に入学する際、 TOEFLなどの英語のスコアを提出するのが必須。)
そんなみんなを尻目に、私は英語にいっさい時間をかけることなく入学に必要な作品づくりに専念することができた。
日本に帰国した現在も英語力はキープしたまま、英語を自在に使いこなしている。
ニュースやエンタメも、英語、日本語関係なく楽しむ。
友人も半分以上は国籍さまざまな外国人。旦那さんはアメリカ人。
「カタコトの外国人」としてのわざとらしい「異文化交流」ではなく、あなたが親友と語り合うのと同じような会話をする。
人生について、恋愛について、宇宙について、、、
言語化しづらい抽象的な会話であっても、英語を自分の物として自在に使いこなしている。
大学の授業でも言語の壁を感じたことはなく、プレゼンは一番好きで評価はいつも"Excellent"だった。
私の書くエッセイを気に入っていつも褒めてくれる教授もいた。
街で出会うアメリカ人からはよく「どこの州出身?」と聞かれた。
英語脳をインストールすることは難しい、という強固な洗脳を脱ぐ
わが国では、英会話教室がいたるところにあり、何十年も絶えず英語学習の書籍や広告で溢れている。
英語がすこしでも話すことができれば、「すごい!かっこいい!」ともてはやされる。
それらが、逆にわれわれ集団に強固な思い込みを植え付けてきた。
"英語を習得するのはめっっっっっっっちゃムズイ"
”ネイティブレベルは果てしない努力の先にある”
いかにネイティブレベルになるのが簡単かを説明する。
一番当たり前のことを、思い出してみてほしい。
当たり前すぎて、右から左にならぬよう、心の耳で聞いてほしい。
「あなたが日本語を話せるようになるまでに、あなたは努力しただろうか?」
あなたは今、思考の介在なしに日本語を自由自在に発話している。
「て、に、は、を」を覚えてきただろうか?
「苺 いちご」という言葉を暗記しただろうか?
「〜があったらよかったのに」という表現を、
分解してマーカーを引き、ノートに繰り返し書き殴って暗記しただろうか?
私の曰わんとしていることをこれだけで察知していただけたかもしれない。
そう。英語脳をインストールするのに一番邪魔なもの。
それは "理解" だ。
すみずみまで理解することが、なんとなく美徳であり、正義、みたいな刷り込みがある。
すみずみまで分解して理解していないと次に行ってはいけない。
何かを取りこぼしてしまっているのではないか、という焦りが残ってしまう。
だが考えてみてほしい。
私たちは「て、に、は、を」の助詞を、意識することなく選択している。
場所の前には「に・へ」だから「学校 に 行く」だな。
目的語の前には「を」。だから「ラーメン を 食べよう」だな。
こんな調子で日本語を覚えてきた人はいないだろう。
私たちが学校で受けてきた英語教育はまさにこのやり方。
ほんらい、1分で身に付くことが10年かかってしまうのも頷ける。
そして10年で得られた結果は、ぎこちなく、不自然な日本人英語。
"これでいいよね?正しいっしょ?" が見え見えの、
"英語を話すことが目的"になってしまっているものだ。
英語を話すことがゴールになってしまっていて、ひとりよがりな英作に甘んじている人をよく見かける。
私たちが目指すのは、「語っていることを語っている状態」だ。
すなわち、新しくインストールした言語世界で誰かと魂から語り合い、笑い合い、コミュニケーションを取り合うことがゴールなのだ。
英語を自分のものとして自在に使いこなし、
英語の上に成り立っているもう一つの世界・文化の中を生きること、悠々自適に泳ぐことがゴールなのだ。
まず、20秒で英語脳をインストールする体験をしてみてほしい
論より証拠。まず20秒で「英語脳をインストールする」という体験をしてみてほしい。
"What've you been up to?"
という、よく使われる表現。最近どうよ?元気だった?みたいな意味。
↓の音声を再生し、そのままモノマネしてみてほしい。
音を丸呑みするのだ。そのまま丸ごと食べるのだ。丸呑みして、モノマネする。まったく同じように。
全く同じようにモノマネできない!という人は置いていく。
同じ人間だから同じ音が出せないわけがない。
そして、意味やニュアンスをただ ”知る” だけ。
けして勉強、暗記するのではなく、「知る」という感覚が大事。
何も理解しなくていい。分解しなくていい。
What 何
have been be動詞の過去分詞
up to 〜にもとづいている
とかって分解して理解し始めようとするともうジゴク行きだ。
その時点でもうすでにネイティブ行きルートではない。
一生カタコトの、頭の中で英作しつづける人だ。
「理解しようとすること」が、「その言語の外側に立っている異邦人」の立場を死守しつづける。
私の伝えようとしているニュアンスを汲み取っていただけただろうか?
たとえば、「あざっす」という表現。
これを外国人に説明しようとしたらどうなるだろう。
"これは、最近できた「ありがとうございます」の略語だよ。フォーマルな場所で言うと失礼だよ。若者が使うことが多いかなぁ。そんでもって女性よりも男性の方が使うかも。"
いくら説明しようとしても、いつまでも「あざっす」が持つニュアンスや文化は伝わらない。
われわれ日本人が「あざっす」という字面を見たときに共通して思い浮かぶのは、かわいげのある若い男の、まったく感謝の気持ちがこもっていない表情ではなかろうか。
さまざまなシーンが思い浮かぶだろうが、
”あざっす” は相手へ甘えやかわいげを見せることで「信頼している」という文脈を送っている。
このように、「あざっす」ひとつ取っても、言語化どころか意識すらしていない日本人共通の認識が幾重にも重なってぶら下がっている。
この地球上にあるおよそすべての情報を参照したところで、「あざっす」には"信頼と甘え"というような説明はどこを探してもないだろう。われわれ日本人ですら口に出して確認し合った人はいないだろう。
「あざっす」のニュアンスは、「あざっす」そのものにしか包含されていない。このコトバを説明しようとする行為は、むしろ本来このコトバが持つニュアンスから遠ざけてしまうことになりかねない。
みかんを食べたことのない人に一生懸命みかんの味を説明しようとしても何も伝わらないのと全く同じことだ。
つべこべ言わずに「あざっす」の音を丸呑みし、「あざっす」という表現が使われるシーンや状況を何度も見ることが、みかんを実際に食べて味わってみることに相当する。
外国人が「あざっす」をつかむためには、われわれ日本人が共有している巨大な「日本語世界のクラウド」にアクセスしてインストールする必要があるのだ。
「あざっす」が生まれるシーンやその人の感情までをも、何度も目撃することでしか得られないのだ。
言語とは、私たちが大きなクラウドを共有しているようなものであり、文法や語彙といったものを大きく超えている。日本語とは日本語世界を象徴する「生き物」。そしてそれは文化とも言い換えられる。
"理解" や "勉強" をことごとく捨てていく。
ありのままに食べる。
それこそが、最短・最速・最楽のネイティブまでのルートになる。
What've you been up to? の音をそのまま食べる。
そしてニュアンスや意味を "知る"。
センスがいい方は、おそらくこれだけの説明だけでネイティブレベルになれるだろう。
それでは次回以降、私がダメダメ大学生だった頃にあれよあれよと英語脳をインストールできてしまったステップをわかりやすく説明していく。
だいたい1年半くらいで英語脳がしっかり完成されたように感じる。
早い人は3ヶ月〜半年くらいで着々と英語脳が構築していっているのを実感するだろう。
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