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打たれたピリオドを想う

『推しがいんたいしたんだがむりすぎる』
 推し以外を変換する気力がなかったことが伺える文面。これを数日前に送りつけて来た友達は、今目の前で突っ伏している。
 一旦会おうと私が言って、高校生の頃から通い詰めているファミレスに来た。ドリンクバーのカプチーノ2杯と、色違いのケーキ2つは、未だ1口も手を付けられていない。
「……もっかい見して、推しの記事」
 声をかけると、友達は突っ伏したままスマホを差し出してきた。
 ヒビの入った画面に友達の推しの誕生日を打ち込むと、ついさっき見せられたネット記事が開いた。
『――選手、引退。セレモニーは……』
 どの界隈でも引退の文字列見るのはキツイな、と思いながら改めて読み進める。スンと鼻をすする音が聞こえた。
「……あっ、ほら、球団コーチになるって書いてる。まだ推し見れるじゃん」
 記事の『来季からは……』の部分を長押しして、選択状態にして画面を向ける。チラッと視線を上げた友達の目は真っ赤で、少し腫れていた。
「……見れる、けど」
 言葉に詰まって友達が鼻をかんでいる間に、スマホの画面を消して友達の近くに置く。推し選手イメージのグッズらしいスマホカバーは塗装が剥げて、小さな傷がいくつもついていた。
「コーチってそんなに表に出ないの?」
「ううん、一軍コーチだからベンチにいるはず……」
 だけど、と小さくつぶやいて、ハンドタオルで目もとを拭っていた。
 友達と私は好きな界隈が違う。私は配信者で、友達は野球選手。たくさん話を聞いて多少の知識は付き始めたとはいえ、元々野球に興味すらなかったから、詳しい事情はわからなかった。
「なんかさ……ん……めっちゃめっちゃウチのワガママなんだけど」
 口を開き始めた友達のために、少し前のめりになってやる。オタクの話なんて、妄想とエゴとワガママしかないんだから、気にするな。
「…………もっと、見てたかったなぁって……!」
 そこまで言って、また涙をボロボロと落としていた。脇にある紙ナプキンをまとめて取って、友達に渡す。
「もっと……打ったり守ったり走ったり、あの人が、野球してるの、見てたかったなぁって……!」
 受け取って嗚咽混じりに話している姿を見ながらも、コトの重大さを測りきれずにいた。引退するとはいえ、コーチとして球団に残ってくれる以上、まだまだ推しの姿は見ることができるのに。セレモニーまでしてもらえるのに。惜しまれつつ引退だなんて、めっちゃぽいじゃないか。
「なんで……辞めちゃうんだよぉ……! まだまだいけるだろぉ……! あんたがいなくなったらっ、誰が、誰がぁ……!」
 ただ、今は落ち着かせるのが先だ。ハンドタオルも紙ナプキンも、何もかも間に合わないぐらいに泣く友達の肩をさすりながら、放ったらかしにされているケーキたちを端に避ける。ふと、友達が握っているハンドタオルの刺繡が見えた。推しの背番号だった。この数字を見かける度、発作でも起きたのかと思うほど嬉しそうにするから覚えてしまっていた。



「……落ち着いた?」
「……うん。ゴメン、いろいろ」
 店員さんに心配されたりしながら、ようやく泣き止んだ友達と一緒に、冷えっ冷えのカプチーノを一気に片付けた。
「泣いたら、ちょっとだけスッキリした。ありがと」
 真っ赤になった目で頑張って笑おうとしてる。どう返したらいいかわからなくて、空になったカップを二つ持って立ち上がった。
「何飲む?」
「カプチーノで」
「ん」
 適当に返事をして、ドリンクバーへ向かう。まあ、私らそれしか飲まないんだけど。
 カプチーノ二杯を入れて戻ると、友達はもぐもぐとチョコケーキを食べていた。チョコの気分だったんですけど、と文句を言おうと思ったが、今日くらい寛大な心で許してやろう。
「グッズ買い込まないとなぁ」
 私がショートケーキを一口含んだところで、ポツリと言った。
「いいじゃん、買いなよ。散財散財」
 ニヤッと笑って見せると、指ハートをして応えてくれた。少しいつもの友達に戻ってくれてホッとした。
「……さっき言ってくれたじゃん?」
 安心してカプチーノをすすっていると、ポンと話が変わった。「さっき」がどのさっきかわからなくて、眉を上げて続きを催促する。
「コーチになるから、まだ見れるって」
「ああ、それか」
 ごくっと飲み込んで返事をする。そりゃ、引退はどの界隈だってつらいし無理だ。けど、「見れる」ことってかなり大きいと思う。配信者なんか引退しちゃったら、もうネットの海から消えてしまう。今この瞬間何をしているかなんて、絶対知り得ないから。そう考えていた。けど。
「確かに見れるんだけどさ。――選手という野球選手は、もういなくなる訳じゃない?」
 言われてから、あっ、と思った。
「それがどうしようもなく悲しい」
「……」
 何も返事ができなかった。「打席に入ってる推しは世界で1番格好いいし、世界で1番強い」って前に言われたことがある。コーチは、もう打席に入らない。友達の推しはこれからも生きていくが、――選手という野球選手の最期は、もうばっちり決まってしまった。「選手生命」という言葉をその通り使うなら。
「……ごめん」
 軽率だったと思って謝った。友達と、友達の推しに。
「いいよいいよ。コーチで見れるのは本当だし、コーチやってる推しが楽しみじゃないって言ったら嘘になるわ」
 ニコッと笑って許してくれた。毎日試合で推しが出ただの出なかっただの、勝っただの負けただのしている友達の、切り替えの速さはプロ級だ。「推しは何も引きずらないから、私も引きずらない。毎日新しい気持ちで推しを応援する」だそうだ。
「プロ野球選手が辞めるときって、2パターンあるの」
 メンタリティと優しさに感嘆していると、ピース――もとい2を指で作って、目の前に出された。
「戦力外通告と、自分で引退を決めるのと」
 先に言われた言葉は私でも聞いたことがあった。テレビ番組を見たことがある。あんまり真剣には見なかったけど、全体的に重たい雰囲気があったのは覚えている。
「戦力外だったら、要は他の人からの肩叩きじゃない。ギリギリまで戦い抜いたってことで」
 そう考えると、彼らは選手生命を生き抜いたということでもあるんだろう。
「……引退は、自分で限界を悟って、受け止めて、最期を決めるってこと」
 綺麗な最期、だなんて聞こえはいいけど、なんて残酷で苦しい決断なんだろうか。
「推しは、野球に本当真剣だったから、めちゃくちゃつらかったと思うのよ」
 聞きながら食べていたショートケーキが最後の一欠片になった。チョコケーキは、まだ半分くらい残っていた。
「それでも推しは決めた。ちゃんと決断したの」
 私に言っているというより、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。
「まだもう少し見れていたのかもしれないことが、苦しくてつらいけど」
 友達が視線を上げた。目が合った。力強い真っ直ぐな目だった。少しうるんでいた。
「最期も自分で決断するのは、最高に推しっぽくて好きだわ」
 笑って細められた目から、涙が一筋こぼれた。決意された最期を、受け入れて見届ける決意。私は、こんなにも強いものを初めて見た。

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