古川柳つれづれ 兄は訳知らずに祝ふ小豆飯 柄井川柳の誹風柳多留二篇②
江戸時代に柄井川柳が選んだ誹風柳多留二篇の古川柳作品紹介の2回目。
読みやすい表記にしたものの次に、記載番号と原本の表記、前句を記す。自己流の意訳を載せているものもある。
掛人小さな声で子を叱り
37 掛人ちいさな声で子をしかり 取りちらしけり取りちらしけり
掛人は居候のこと。「取りちらしけり」と前句にあるので、子どもが家の中をちらかしていたのだろう。それを注意するのだけれど、居候の身なので大きな声で注意できない。
居候小さな声で子を叱る
お妾をよく見て帰る柊さし
67 お妾をよく見て帰るひらぎさし 近か付きにけり近か付きにけり
節分には柊の葉を門や窓にさした。その柊を売り歩いたのが「柊さし」。お屋敷の奥まで「近づいて(近か付きにけり)」柊をさしたので、家の奥にいるお妾の顔もよく見たのだろう。お妾、二号さんも当たり前にいた、かつての日本の社会。
兄は訳知らずに祝ふ小豆飯
86 兄はわけ知らずに祝ふあづき飯 さわりこそすれさわりこそすれ
兄は訳もわからずお祝いの赤飯(小豆飯)を食べている。
前句が「さわりこそすれ」。「さわりこそすれ」は月のさわり、月経のことをここでは言っているのだろう。赤飯を炊いて祝うのが最初の月経、初潮。初潮は女の子の成人式のようなものだ。子どもから女になった。
生理のことなんて男の子はよくわからない。何かお祝いがあるので赤飯が出てきたのだけれど、男の子はただ食べるだけ。性教育なんてなかった。
最近の初潮年齢は、10~15歳だそうだ。早い子では8歳くらい。そんな年齢では女の子もお祝いの意味がわかっていたのだろうか。現代に生きる女性の皆さんはどうだったのだろう。男にはなかなかわかりにくい。赤飯でお祝いする家庭が今はどれだけあるのだろうか。
男には実感のない祝い事
最近、うぴ子の歌声にはまっている。
女の子のことは、いくつになってもわからない。いつの時代でもわからない。
私の中では江戸時代が現代に当然のようにつながっている。うぴ子の歌にもつながっている。
五右衛門は生煮への時一首詠み
88 五右衛門はなまにへの時一首よみ あつぱれな事あつぱれな事
豊臣秀吉時代の大泥棒、石川五右衛門は釜ゆでの刑に処せられた。そのときに辞世の句を詠んだ。
石川や浜の真砂は尽くるとも世に盗人の種は尽きまじ
この時は、まだ生煮えだったのだろう。あっぱれなことだ。
石川五右衛門の話は物語として、江戸の人はみんな知っていた。
着飾って乳母は裸を追い回し
156 着かざつて乳母ははだかを追廻し 祝ひこそすれ祝ひこそすれ
「祝ひこそすれ」だから、七五三の祝いかなにかだろう。付添の乳母が着飾ってから、子どもを着替えさせようとしたのだけれど、子どもは裸になって走り回る、という句。
二号さんがいたり柊さしがいたりするけど、現代人と同じような思いで日常の句を詠んでいた江戸庶民。
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