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古川柳つれづれ 病み上がり母を使うがクセになり 柄井川柳の誹風柳多留初篇より⑤

 江戸時代の誹風柳多留はいふうやなぎたる初篇の作品紹介5回目、最終回。江戸の町の人々は、今も隣にいる人と同じ人間。
 読みやすい表記にしたものの次に、記載番号と原本の表記、前句を記す。

 

その手代てだいその下女げじょ昼はもの言

416 その手代てだいその下女げじょ昼は物言ず  むつまじ事むつまじひ事

 手代と下女は「むつまじい(むつまじいこと)」という。つまり二人は仲がいい。恋仲となっている。けれど、人に知られてあれこれ言われたくもないから、仕事中の昼間は互いにものも言わずに知らん顔をしている。今でもありそうなオフィスラブ(もう死語かな)、秘密の恋だろう。
その上司その部下 昼はもの言わず
 というところだろうか。

夜蕎麦切よそばきりふるた声の人だかり

469 夜そばきりふるた声の人だかり  かわりかわりにかわりかわりに

 蕎麦そばは、昔はソバの実をつぶしてそば粉にし、それを固めたものを食べていた。固めたものを平らに伸ばし、細く切った今のソバの形を「そば切り」という。そば切りが江戸時代に流行した。夜にも屋台がソバを売って歩く。屋台の前に夜の寒さにふるえた人たちが「代わり代わりに(かわりかわりに)」集まって来る。
 ところで、植物のソバを知っているだろうか。昔は、いたるところにソバ畑があったものだ。畑といわずとも、種をまけば生えてくるタデ科の草の実がソバなんだけど。
夜屋台 震えた声の人だかり

み上がり母を使が くせになり

550 病上りやみあがり母を遣ふつかうがくせになり  いそいそとするいそいそとする

 病気の時は、母になんでもしてもらっていた。病気が治った(病み上がり)今でも、母を使うことがクセになっている。この句の前句は「いそいそとする」だから、使われる母親は、いそいそとうれしそうに使われている。どんなドラ息子でも、母親にとっては可愛くてたまらない。そんな親子を見ながら、「あーあ」そこまでしなくていいだろう、と思って見ている人の句のようだ。
病み上がり母を使うがクセになり
 

一人者 内へ帰るとうなり出し

756 壱人ひとり者 内へ帰るとうなり出し  ゆかしかりけりゆかしかりけり

 独身の一人者は、家に帰っても誰もいないので、一人で歌をうなったり、時には変な声をあげたりする。
一人者 家へ帰ると歌いだし
 前句が「ゆかしがる(ゆかしかりけり)」=「見たがる。聞きたがる。知りたがる」。ここからこの句がうかぶのはどういう発想だろう。
 選者の柄井川柳は、これが「よい」と選んだ。「ゆかしがる」ものの一つとしての独身男の行動。

 この句はともかく、その選び方が、多くの人が納得するものだったから、「誹風柳多留」は庶民に支持された。柳の下の泥鰌どじょうをねらって、同じような川柳コンテストもできただろうが、柄井川柳の選ぶ「誹風柳多留」は初篇しょへんに続き、二篇三篇と次々出版される。「誹風柳多留」は1回1回のコンテストの優秀作を集めて本にしたものだ。本にまとめられるくらい流行はやったわけだ。そしてこの作品のジャンル名は「川柳」。柄井川柳という人物名がつけられた。人の名前がついた文学のジャンルなんて川柳くらいのものだろう。
 日本文学史において特異な地位を占めているのが川柳である。
 

 数回で終わる予定だった初篇は、5回目の今回でおしまい。
 今に生きる我々の生活にも通ずる、江戸の名もなき庶民のつくった他の古川柳も知ってほしい。

 見出し画像はぱくたそからお借りしました。女の人の姿も、「おおっ」と思う瞬間が、たくさんある。その瞬間を切り取ったものが写真であり、また川柳なのだろう。


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