【診療のゴールを考える】
以前、究極の医療とはどんな医療なのかを定義した上で、医療の質をどのように評価したら良いかという事を考えていきました。
今回は、それを踏まえて診療のゴールについて考えてみたいと思います。
診療のゴールと言えば、「それは当然患者さんの病気が治る事でしょ?」と誰もが思うかもしれません。それは勿論そうだし、それに対しては疑いようがない事だと思います。しかし、ここで一歩踏み止まって、本当にそれだけで良いのか?というところを考えていきたいと思います。
診療のゴールとは何なのか?
それを考えるためには、やはり医療の究極の目的とは何なのか?というところから遡って考えていく必要があると思います。何事も原理原則からスタートしないと答えにたどり着けないような気がしています。
以前私は究極の医療とは、
と定義しました。
では、患者さんが不具合を来したり、病気になって来院された場合はどうでしょう? 私たち医療者は当然患者さんの不具合を整え、病気が治るように働きかけ、それをサポートします。しかし、それで終わりで良いでしょうか?病気が治り、不具合が修正できたとしても、なぜその人は不具合を来して、病気になってしまったのかという原因やプロセスをきちんと理解しないと、再び同じように不具合や病気になってしまう可能性が高いです。
それを考えると、
というのが診療のゴールになりそうに思います。
しかし、実際にはどうでしょうか。特に高血圧や糖尿病など、いわゆる慢性疾患と呼ばれる病気を抱えている患者さんは、何年もずっと、多くの場合亡くなるまで病院に通い続けて投薬されています。どうしてそのような事が起こっているのでしょうか?高血圧や糖尿病というのは不治の病なのでしょうか?
そんなことはありません。高血圧や糖尿病も生まれつきあるわけでも、老化だけの不可抗力で起こる仕方のない事でもありません。全てはそれに至るプロセスがあるのです。ですので本人がそのプロセスを理解し、その気になって行動変容を起こせば、再び病気の前の状態に戻る事ができます。勿論全ての病気が元どおりになるわけではありませんが、現在医療機関に世話になっている多くの病気は行動変容によって健康を取り戻すことが可能ではないかと思っています。ではどのようなケースで元どおりになる可能性が高いのでしょうか?
私は病に至る原因は大きく分けて2つであると考えています。
この2つが病や不具合の原因ではないかと思っています。
このうち、①の宿命は自分の力ではどうしようもなく、この場合は医療から離れることは難しいケースだと思います。しかし病や不具合の原因の圧倒的多数を占めるのが、②のエピジェネティックではないかと私は考えています。勿論遺伝的背景や持って生まれた身体のポテンシャルというのはあると思いますが、それだけで全て決まるのではなく、本人の心がけや生活様式を踏まえた環境要因によって決まります。この部分はいくらでも自分の力で変える事ができるのではないかと思います。
持って生まれた自分の特徴・特性を知り、自分の身の丈に合った生活様式をとりながら、自分本来のポテンシャルを発揮することは十分できると思います。
この場合の診療の役割とは
ということになるかと思います。
ということは、診療の最終的なゴールとはどうなるでしょうか?
私は、患者さんが自分を見つめ、身体本来のポテンシャルが発揮できるようになった時、その時が『診療からの卒業』だと思います。そうです、私は診療のゴールは「卒業」することだと思っています。
もちろん身体は年齢とともに老いてはいくものですが、それも含めて自分であるということを受け入れて、身の丈にあった生活をすれば必ずしも医療の世話になり続ける必要はないと思います。
医者側も患者側もこのゴールがないまま漫然と薬を処方して受け取ってというやりとりを続けていることが実際には多い気がします。病気の人が来ないと病院は儲からないという意見もあると思いますが、それは資本主義のシステムの問題であって、医療が向かうべき方向は、医療の世話にならない世の中であり、患者さんの事を考えると、診療を卒業できることがゴールになると思います。
そして、その後は医療から教育へと役割をシフトしていくことが大事だと思います。教育の段階で病気にならないように社会全体で予防・養生していくことと、その教養を身につけること、そして社会システムとしての健診や検診で二次予防をしていく事が求められるのではないかと思います。
これは私が考える医療の未来予想と今後私が取り組んでいきたいことで、ある意味一つの価値観です。もちろん病気で今まさに苦しんでいる方は、まずは治療で病気が治ることが大事であることは言うまでもありません。また、患者さんの人生は患者さん自身のものであり、患者さんの価値観と意思決定が最も大事だと感じています。また、どんな人もその人なりの人生の歩みがあり、それぞれ良くなる力を持っていると思います。ですので、薬で症状や数値を改善させ続けて、行動変容はしないと言うのも良い悪いではなく一つの選択ですので、それを否定するものではありません。変容の芽を見つけたら、そっと見守り、その人なりの歩みを邪魔しないことも大事であるとも思います。医療者側が治してやる、もしくは治せると錯覚してしまうのではなく、治すのはあくまでも患者さん自身であると言うことを私自身も忘れずにいたいと思います。全ては関わる全ての方が健康で幸せな人生をおくれますようにと祈っています。
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます。
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