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長編小説『くちびるリビドー』第7話/2.トンネルの先が白く光って見えるのは(1)←無料エリアあり

「私がこんなにも満たされなさを抱えているのは、たっぷりの母乳を与えてもらえなかったからに違いない」と、長らく胸の一部を占領し続けていたドス黒い塊がようやく消え去り、そこに誕生したまっさらなスペース。未来の私は、この瞬間を見逃したりはしないのだろう……。自分の中で古びつつある何かが終わり、同時に新しい何かが生まれ出ようとしている感触に、私の心は戸惑っている。だけど――。//物語は第2部、浮かび上がった「納得」と真新しい「決意」の、さらなる先へ。

第1話は全文無料公開中☺︎/*



くちびるリビドー


湖臣かなた




〜 目  次 〜

1 もしも求めることなく与えられたなら
(1)→(6)

2 トンネルの先が白く光って見えるのは
(1)→(6)

3 まだ見ぬ景色の匂いを運ぶ風
(1)→(8)


2

トンネルの先が
白く光って見えるのは


(1)


 神無月。もはやこれは「遅い夏休み」というより、完全なる「行楽の秋」だ。
 レトロモダンな旅館の露天風呂に浸かりながら、澄んだ夜空を見上げ月を探す。
 もうすぐ新月のはずだから、見えるとしたら爪のように細い月……(と思うとき、いつも頭に浮かぶのはコンタクトレンズの断面図なのだけど)。でも確か、満月を過ぎて欠けてゆくサイクルに入ると、月が空に登場する時刻はどんどん遅くなっていくんだっけ? ということは、今宵の月が姿を現すのは、夜明け近くになってからということか……。

 私は月との対面をあきらめて、青と緑が少しだけ混ざり込んだような乳白色の湯の中で思いきり手足を伸ばした。ほのかな灯りが、立ち昇る湯気を照らす。
 夜中でも自由に入ることのできる大浴場には露天風呂が併設されていて、ほどよく目隠しされた外の世界は今、私だけの貸しきり状態になっていた。
 深く息を吸い込み、小さな肺胞一つ一つを新鮮な空気で満たす。
 温泉街に入ったときから「くさっ」といちいち声に出し、子どものように反応していたこの硫黄のにおいにも、すっかり慣れてしまった。
 周囲を縁取る岩肌はぼんやりと闇に同化し、私は白く浮かび上がる湯の中に無遠慮に体を投げ出す。もわもわと舞い踊る黄灰色の花が、動くたびにあちこちをくすぐり撫でる。
 さすがは恒士朗が選んだ温泉宿だ(本物志向の彼は源泉掛け流しの温泉にしか興味がないのだ)。その濃厚な湯からは自然界の強烈なエネルギーがびりびりと伝わってくるようで、こうして熱めの出で湯に体を馴染ませていると、いろんなところが緩むというより覚醒されていくような気がしてきて、不思議と滝に打たれる荒行を思い起こさせられる。
 きっと、こちらが弱っていたら負けてしまうのだろう。
 そう感じるくらい、こんこんと注がれ続ける源泉は与える力と奪う力に満ちている。
 私は神妙な心持ちで、さっき恒士朗によってもたらされた〈さらなる答え〉の感触を反芻した。まさか、あんなにも心の奥底で煙を上げ続けていた母乳にまつわる燻りが、こんなかたちで解消してしまうなんて――。


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“はじめまして”のnoteに綴っていたのは「消えない灯火と初夏の風が、私の持ち味、使える魔法のはずだから」という言葉だった。なんだ……私、ちゃんとわかっていたんじゃないか。ここからは完成した『本』を手に、約束の仲間たちに出会いに行きます♪ この地球で、素敵なこと。そして《循環》☆