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今年はひとまず、すでにある「宝物」を磨きたい。

ニャン・ニャン・ニャン。「2」のエネルギー渦巻く、令和2年(2020年)2月22日。魚座の季節。じりじりと公開を続けている『くちびるリビドー』は、昨日ようやく〈第2部〉までをアップし終えた。

「今年はひとまず、すでに“ここ”にあるものを磨き上げていくことにしよう」


もう何年も『賞レース』というものに挑み続けてきて、自費出版なんかも検討し、でも金がないことは明らかで、そうしてnoteにやって来て(2018年9月)、なのにnoteではどうしても作品を発表する気になれなくて、そのうちに「やっぱり私は『新人賞』が欲しいんだ…」という本当の気持ち(願望)に気づいて、認めて、受け入れて、そうしてまた『賞レース』に挑戦することを密かに決意し、実行し(2019年は2回、3月末の『新潮新人賞』と10月末の『女による女のためのR-18文学賞』)、でも結果は相変わらず「無」で。


あっちもダメ、こっちもなんだかイマイチ……で、どこまでいっても八方塞がり、何かが拓ける気がしない……。

だから、去年までの私はずっと「なにかしなくちゃ、もっと新しい“何か”を……」みたいな気持ちに捕われ&囚われていたのだと思う。


『2020、オリンピックYEARの幕あけです』と新しい(おそらくは特別な……特に『日本』という国にとっては何かしら大きな、ものすごく大切な「転機/回帰/尊厳奪還のようなもの?」になるであろう)一年がスタートしても、いつものごとく「ぜんぜん明けた気がしないぃぃぃ~~~~~」と薄暗い気持ちのまま過ごし(そういうとき私は無理に元気を出そうとはしない。じっと待つ。見つめる。眺める。物語の力を借りて生き延びる)、だけど少しずつ何かが――無意識の世界から浮上してくるのを、じわじわと意識の領域に近づいてきているのを、感じながらも泳がせて――。


心が定まったら、わかった。

「なんだ……ここには “もう、すでに” 私だけの『宝』があるじゃないか!」


納得できたんだ。受け入れられた。一度新しい物語の創作に取り組んでみたのも、よかった(きっかけになった)のかもしれない。
そのときどきに「これだ」と思えることをやって、やり遂げて、毎回結果を受け入れて、そうやって……ある意味では何度も何度も“夢みたもの(理想や希望、願望)”を手放して、毎回見事に絶望的に“からっぽ”になって、それでも「ここ」に、残っているもの――。


私の場合、それが『くちびるリビドー』という作品だったのだ。

どうせ死ぬなら――、
そして、いつか未来であきらめてしまうときが来るとしても――、
私はこの『作品』を、まだ世に放っていないじゃないか。誰にも届けていないじゃないか。

そう思った。だから……

「すでに手にしている宝物を、もう一度、磨き上げること。そして “ケチケチせずに” 世界に放つこと」


毎回、そして何度も「終わった…」と思うのだけど、まだ “やれること・やっていないこと” がある。もしかしたら、一番大事にしているものほど、そこに隠れているのかもしれない。そして、隠しているのは他の誰でもない「自分自身」なのだ。それに気づいた。

宝の持ち腐れ――にはなりたくない。この作品を、腐らせたくない。



ということで今年の私は、今いる「環境」の中で、できることを精一杯、だけどひとまずはこの『くちびるリビドー』を解放&開放して、〈1〉まずは普通に全文アップして(創作こぼれ話もアップしながら)、〈2〉でも「横書き」はモヤモヤするから内なる美学に従って「縦書き」でもアップして(自己満足でオーケー。自分で自分のサンクチュアリを創るのだ)、〈3〉「cakesクリエイターコンテスト2020」にも応募して(どういう形で表現するのが今の自分にとって“ベスト”と思えるか、じっくり考えよう)、〈4〉ついでに『砂漠を横切るラクダのように』も見直したいな~(あのときはまだnoteに不慣れなまま、いっきに公開してしまったもんなー)とか考え&実践中。




なにはともあれ、

ひとつひとつ、コツコツ丁寧に、内なる美学と愛を込めて……


自分で自分を裏切らないように、心に嘘をつかないように、魂に恥じぬように。


その向こうに広がる景色を、私は見たい。
その向こうに広がる世界で、出会いたい。




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“はじめまして”のnoteに綴っていたのは「消えない灯火と初夏の風が、私の持ち味、使える魔法のはずだから」という言葉だった。なんだ……私、ちゃんとわかっていたんじゃないか。ここからは完成した『本』を手に、約束の仲間たちに出会いに行きます♪ この地球で、素敵なこと。そして《循環》☆