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長編小説『くちびるリビドー』第8話/2.トンネルの先が白く光って見えるのは(2)←無料エリアあり

《それは与えられて然るべきもの。こちらから全身全霊で奪いにいく必要などあるはずがない。だって、この命は歓迎されているのでしょう? そこには愛があるのでしょう??》//物語は第2部、一つの固定観念が今まさに崩れ去ろうとしていた。

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くちびるリビドー


湖臣かなた




〜 目 次 〜

1 もしも求めることなく与えられたなら
(1)→(6)

2 トンネルの先が白く光って見えるのは
(1)→(6)

3 まだ見ぬ景色の匂いを運ぶ風
(1)→(8)


2

トンネルの先が
白く光って見えるのは


(2)


 それはノックもせず唐突に、私のもとを訪れた。
 遅ればせながらの夏休みをやっとのことで取得した恒士朗に誘われるがまま、彼の愛車である黄色いミニ・クーパーでやって来た、二泊三日の小旅行。
 硫黄のにおいが染み込んだ温泉街を通り抜け辿り着いた宿は、小ぢんまりとした印象の外観からは想像もできないような品のあるモダンな内装で統一されていて、私たちは庭に面したロビーの一角でウェルカムドリンクの梅ジュースをいただいたあと、着物姿の若い仲居さんに案内され部屋へと通された。
 私が上機嫌で「ステキ、ステキ!」を連呼しながら部屋のあちこちを点検して歩き、いつものようにカバンから荷物を取り出して並べたりしている間(そうしないことには落ち着かないのだ)、初めての場所でもすぐに寛ぐことのできる恒士朗は「いいね~」と相づちを打ちながら、満足そうにベッドの上で体を伸ばしていた。
 そのまま眠ってしまいそうな彼と緊張感の残る自分のためにお茶を淹れ、テーブルの上に用意された温泉饅頭とともに味わいながら一息つき、さっそく大浴場で強烈な硫黄泉に体を馴染ませる。

 十九時。浴衣に着替えた私たちは、楽しみにしていた夕食の席へと着いた。
 地元の食材がふんだんに使われた色とりどりの小鉢の中身をいちいち仲良く確認し合い、普段あまり口にすることのない山菜のほろ苦さなどに頷き合う。定番のお刺身も新鮮だったし、藻塩で味わったブランド牛のステーキは舌の上で甘くとろけた。
 部屋で飲むためのワインをこっそりと持参していた私たちは、食事の席では酒は頼まず、一途に料理を味わった。「温かいものは温かいうちに」がモットーの恒士朗は、美味しそうなものを前にすると四足動物のようにペースが速くなり、しっかりとした顎と歯並びのよさを武器にガツガツと食べ進む(特に肉を喰らうときの彼はセクシーなのだ。それが私に向けられることは無いのだけれど)。こうなるともう、相手に合わせてゆっくり食べようという理性など働かない。普段はのんびり屋で私を待たせてばかりなのに、食事のときだけは私を置いてけぼりにして、振り返ることなく先をゆく。そして私はいつだって、そんな彼の姿勢を見習おうと必死になっている。
 満たされた恒士朗がようやくこちらに視線を向けて「ゆっくり食べて」と言う頃には、冷めはじめた料理からはどんどん美味しさが減少していて(やはり彼の野生的な行動が示すとおりなのだ)、それを実感するたびに私は一人取り残されたような気分に陥りながら食べ進むことになる。「私だって、美味しいものは美味しいうちに食べたいよ!」と心の中で呟きながら、自分の小さくて貧相な口元や噛み合わせの悪い歯並びを恨めしく思っているこの気持ちなんて、豊満な唇と美しい歯並びをもつ彼に理解されるはずもない。

 そうして今夜も思うのだ。好きな人と一緒に美味しいものを食べることは、人生の中でも上位に入ってくる素晴らしい時間だろう。それに恒士朗の豪快で丁寧な食べっぷりは、私の中の「食べる」という行為に対する意識をより真剣なものへと変化させた。
 だけど、いくら集中力を高めて素敵な時間を共有しようと努めても、それぞれに備わっているものが大きく異なる限り、同じように満たされることなど不可能に近いのではないだろうか。


 それなのに。
 抱き合ってしまったのは、浴衣の醸し出す非日常的ムードに流されたからだろうか。

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“はじめまして”のnoteに綴っていたのは「消えない灯火と初夏の風が、私の持ち味、使える魔法のはずだから」という言葉だった。なんだ……私、ちゃんとわかっていたんじゃないか。ここからは完成した『本』を手に、約束の仲間たちに出会いに行きます♪ この地球で、素敵なこと。そして《循環》☆