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【本】『メイドの手帖』・お金のこと

ブッシュ妄言録』の頃から好きでゆるゆる追いかけてきた翻訳家の村井理子さんの訳が読みやすくて、二日くらいであっという間に読み終えました。

「最低賃金でトイレを掃除し『書くこと』で自らを救ったシングルマザーの物語」という副題どおり、妊娠をきっかけに貧困状態で暮らすことになった著者のステファニー・ランドが掃除の仕事をしながら、一人で娘を育て、書き続け、生きる道を切り拓いてきた道程の物語です。

読んでいて思い出したのが、アメリカに住み始めた頃のこと。
ルームメイト二人と家事を分担していたのですが、バスルーム掃除担当だった私が学校の課題にひいひい追われてすっかりサボっていたら、ルームメイト兼家主に「バスルームの掃除、難しそうなら、外注しようと思うんだけど」と言われて、あわてて「やるやる!」と、自分で掃除したことがありました。

日本で生まれ育った私の感覚では「自分が使ったところの掃除は自分ですればいいじゃん」と思っていたので(サボってたけど。でも、サボって汚くなって不快なのも自分だし!みたいな)、「掃除の外注」という案がサクッと出てきたことに、ちょっとびっくりしたのを覚えています。

日本の小学校は生徒が自分で教室とかを掃除するんだよね、いいよね。アメリカの学校は掃除をする人が別にいるから、自分たちの使ってる場所に意識が向かないんだ、と、アメリカ人の友だちに言われたこともあります。掃除に関して、アメリカでは、手間がかかるし大変だし頼めるなら人に頼んじゃった方がいいよね、という合理的な考え方が強いんだろうなという感じがします。(友だちは「いいよね」と言ってたけど、「日本の学校は子どもに掃除をさせるなんて!」って言う人も結構いそう)

個人的には、いまもできるだけ「自分で使ったところは自分で掃除する」のが気持ちがいいし、それが可能な環境(家が広すぎないとか、掃除する時間と心の余裕があるとか)で暮らしていきたいと思っているけれど、しっかり綺麗にするのに特殊な技術や道具が必要な場所とか、いろいろな事情で自分で掃除ができない場合に、プロに仕事として頼むことができる選択肢があるのはいいと思うのです。

でも、それは、掃除が得意な人や好きな人、選んでそれができる状況の人が、その労働と手間に見合った報酬をきちんと得られるのであれば。

多くの人たちが「それしかないから」という選択肢のない状況で働いている、そして選択肢がないから労働条件や報酬の面で搾取されている、という状況なのだとしたら、そのシステムの一部にはならないことを選んでいきたいなあ、と思います。

この本ではアメリカでの掃除の仕事がそれを象徴しているけれど、日本でも、世界の他の国でも、いろいろな種類の仕事にあらわれているこのシステム。

ちょうど、ちょっと前に『パラサイト』を観た時にも考えていたのです。
貧困と、貧困を生み出す社会の構造について。

お金が十分にあれば安心で安全で、多めにあったら幸せで、お金がなければ、心地いい家や、眠る時間や、栄養のあるものを食べる、そんな最低限の暮らしも保証されない。お金をどれだけ持っているかで人としての価値が決まり、どんなふうに見られるかも決まる。

自分では掃除の手がまわらないくらいの大きな家に住んで、使い切れないくらいのお金を持っている人たちがいる一方で、ステファニーのように、「とりあえず食べられるだけ稼ぐ」ために多くの時間とエネルギーを費やして、体も心もすり減らして働き続けなければいけない人たち、『パラサイト』の一家みたいに、生きていくために犯罪者になるしかない人たちがたくさんいる。

いまは違っても、ステファニーのように人生になにか大きな変化が起こったら、多くの人が簡単に後者の状況になり得るシステム。

それがあたりまえになっている社会って、なんなんだろう。

どうして私たちは、こんなにも、お金にパワーを与えているんだろう。

考え始めたら、不思議で。

ステファニーの物語は、こうして本を出版しベストセラーになったところまでも含めて、まさに「サクセスストーリー」なのだと思います。絶望的な状況の中でもあきらめずに機会を掴み、心と体を動かし続けて、自分と大切な娘のために心から望む人生の道を切り拓いていく彼女の姿と、その率直な言葉は勇気と希望を与えてくれます。

でも、だからこそ、こんな「サクセスストーリー」が必要ない、彼女と同じような道を歩かなければならない人がいない世界がいいな、と思うのです。(そして、それは、ステファニーがこの物語を書いた理由でもあるはず)

お金が悪い!というのではないのです。(ほんとうに最終的、私が生きているかもわからないくらいの未来には、『アミ 小さな宇宙人』に出てくる惑星みたいに、お金ってなに?くらいの世界になるような気がするけれど)

いまの世界ではお金は手段として使われているものだから、どんどん使っていったらいいのだと思います。ただ、手段は手段だと心にとめておいて、それ以上の意味や価値や力を明け渡さないようにすること、それ以上の意味や価値や力をお金に与えるような仕組みの一部にはなるべくならないようにすること。

小さいけれど、一人ひとりの人がそういうふうにこつこつと、日々、意識を払っていくこと、その先にどういう仕組みがあるのかに気づきながら選択していくことが、いまあたりまえになっている大きなシステムから世界が自由になっていくことにつながる。

だから、意識を払って生きていこう、と思うのです。

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