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日本の文化性と自己認識

はじめに

生まれ育った日本を出国することになったので、私が当たり前に生きてきた日本という国を振り返り、この国の文化性が私の人格形成や自己意識に与えた影響について書いていこうと思う。

日本語とコミュニケーション

私の母語は日本語である。物心ついた時から当たり前のように日本語を使ってきたが、絶妙な感情を柔らかく繊細に伝えることのできる日本語はとても心地良い。私が、常々日本語を扱ううえで重要だと感じてきたことの一つに、「行間を読む」ことがある。文字通りの言葉の意味には含まれない意味や文脈をいかに解釈するかという意である。
繊細かつ曖昧な言語と感情のキャッチボールは日本語独特のものであると思うが、その分日本語の行間を読むという行為は非常に難易度が高くなる。しかし、そこに日本語の旨みが凝縮されているから、日本語にとっていかに「行間を読む」かということは、最重要事項であり必須スキルのように思える。
このような特徴を持つ日本語を使いこなしてきた人生だから、その言葉が発された周囲の諸要素によって定義される言外の意味を言葉に織り込み理解する能力が、日本語話者は抜群に優れていると感じる。かくいう私も大好きな漫才を見て大笑いできるのは、日本語の絶妙な語感とハイコンテクストが織りなす言語芸術を消化できている証拠であろう。そんなとき、私は日本語の言語感覚を十二分に会得できているんだと我ながら満足する。

相対的な自己形成

自分は誰か、何者か。誰もが一度は問うであろう自己のアイデンティティに関する質問を、私も図らずとも幾度となく行ってきた。その過程で気づくことは、私は自己を相対化させながら認識しているということである。
私は自分の性格や思考の傾向を理解するとき、おおよそ他者との比較の中でそれを行う。自分という存在を人間の類型別でカテゴライズしたとき、どのような位置付けであるか、それによって炙り出されてくる能力、個性の濃淡はいかがなものかを自分の中で検討する。そうやって私は他者との相対化を通じて自分というものを理解する。
これは、決して私が生まれ持った思考性に起因するものではないと思う。日本人が培ってきたモラルと堅実さを守り通す文化性が日本で生まれ育った私にも反映されていると思う。だから私も同様に、集団の中でどのような存在でどのような役割を担いたいか、社会の中で自己を定義するのである。
しかしこうなると、困ったことが起きる。「個」(individual)の概念をどのように定義し理解すれば良いのか頭を抱える。これ以上分割不可能(in-divide)な「個」は果たしてどこにあるのだろうか。自分の中に複雑に絡み合う人間関係の糸が織りなした織物こそが、自分自身なのではないだろうか。相対化と関係性の読解によって、私は自己を認識し自己を規定する。まさに「相手依存の自己規定」をしているのであり、どう足掻いても分割など出来えない自分と遭遇することになる。そして、自分はあくまで社会との関係性の中からしか定義し得ないのだと結論付けてしまう。

多様性と同一性

去年の秋、人生初となるアメリカに1週間ほど赴いたときの一番の収穫は、多様性と社会の在り方の密接な関係性についての学びだった。当たり前に「違う」という感覚を得る環境と、同一性の中で埋もれる日本の環境の違いとその中で生きる人間の思考の違いをありありと感じたのである。
改めて日本について思うのは、見た目も言語もルーツも同質な日本人にとって、当たり前に違うということを理解したり、違いに対して寛容であることは、文化レベルでは非常に難しいことではないだろうかということである。
私自身、日本にいると0.5センチのスカートの長さのニュアンスにこだわったり、友達とカフェにいる時の手や目線の使い方に気を遣ったり、それによって不安になるなんてことはざらにあるが、海外に出るとそんなことはどうでも良くなる。それはなぜかと考えてみると、「違う」ということが当たり前で「規則」や「普通」が存在しないがために、差異がさほど問題にならないという感覚を無意識的に感じ取れるからなのではないかと思う。
よく、海外に出るとオープンマインドになるという定説があるが、おそらく、細かい事象に意識を取られずに、より粗い単位で物事を測るようになるということが理由なのだと思う。脳内ストレージを、より自己主張や表現といった別の分野に傾けることができるから、海外に出ると心が開かれるという感覚を得られるのではないだろうか。

さいごに

以上、三つの観点から日本に生まれ育ちながら染み付いた「日本感覚」なるものについて考えてみた。この諸要素・観点は、時に私に翼を授け、時に足枷となることであろう。とはいえ、決して拭えない大切な価値観や文化性であることに変わりなく、私自身の一部分として自分が自然と手にすることになった諸要素なので、人生において日本という「ものさし」を存分に生かしながら、海外の様々な文化に触れ、学び、成長していきたいと思う。

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