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自己肯定感の大切さをアメリカで再認識中。間違えてもいいんだよ!


未だにちらほらみかけるWBC関連記事。幸せにしてくれた出来事は、長くその余韻に浸っていたいですよね。

大活躍だった大谷翔平選手は、私が長く応援している弱小(苦笑)エンジェルスに入団したので、試合を見に行くたびに、そのプレイを見ることができるのですが、バッターボックスやマウンドにいる彼の姿だけではなく、審判や対戦相手の選手たちと笑顔で話している姿もついつい目で追ってしまいます。

今回のWBCでもいろんな国の選手たちとフレンドリーに話したり、アメリカ地元のTV局のインタビューに笑顔で誠実に答えたりしたのがとても印象的でした。

自己肯定感を身につけずらい日本

WBC終了後、日本に住む妹が、アメリカのテレビ局による大谷選手のドキュメンタリー番組を見たと言ってきました。ちなみに私と妹は日ごろから、いろんな話題をシェアして、頻繁にお互いの意見を交換しています。

妹いわく、「大谷選手は自分がある。自己肯定感の安心感がある。それは父親が自然にそう育ててきている。彼の父親がドキュメンタリーでたくさん話しているのをみてそう思った」。そこから妹と私の話題が自己肯定感の話へと発展しました。

私と妹(アメリカに20年以上住んでいた経験あり)が出した結論は、「日本にいると自己肯定感を身につけることが本当に難しい」

それはもう誰が悪いということではなく、そういう文化なのだと思います。

チア未経験だけれど、楽しそうだから参加

小学校でみた「間違えても怒らない」大人たち

私がこれまでの日本での経験とアメリカに20年住んで改めてその大切さを再認識したことは子供の自己肯定感を育てるにあたって大事なことの一つは、「間違っても怒らないこと」「間違えた理由を考えて次にいかすこと」

よく知られたことで、当たり前のことなのですが、「間違えを責められるのが当たり前」の文化で育ってきた私にとっては思考を変えるのは至難の技です。


私は娘たちがキンダーのときから小学4年生ぐらいまで、週に1度、彼女たちが通う現地校でクラスのボランティアに入っていました。

ある時は教室の片隅にある机で、またある時は教室の外にあるテーブルで作業をしながら、先生やボランティアの親たちと勉強している子供たちのやりとりをこっそり聞いていました。

そこではっとさせられたことは、先生もボランティアの親も、生徒が間違った答えをいっても、「その答えは間違ってます!」と強く否定しませんし、「そんなこともわからないの?」などと言わないのです。

かわりに、「そういう考え方もあるね。なるほど。他にもなにかあるかなあ?」などと言いながらうまく誘導して、他の子たちも引き込んで答えを求めていくのです。

間違えても怒られないから、子供たちは間違うことを恐れないし、発言も挙手もしまくります。ただし高学年や中学生になるとテレがあって挙手しなくなるそうですが(笑)、間違えてもそれを改善していくパターンが小学生から身に付いていくから、その後もそのパターンをずっと生かしていくことができるのだと思います。

間違えてもいいじゃない! その経験を次に活かせるなら


私の中で日本の学校で挙手の思い出にいいものはほとんどありません。先生に質問されて、挙手をして、答えがあっていて褒められた思い出よりも、答えを間違えたときに、「全然違う」とか「さっきの説明聞いてなかったのか?」などと厳しくいわれ、怒られて、嫌な気持ちになったことのほうを覚えています。怒られることは、自分が言われてもクラスメイトが言われても決していい気持ちはしません。

現在ハイスクールシニアの長女がいろんな大学に出願するにあたって、提出しなければならなかったエッセイのテーマの一つが「自分について」。

「自分はこれまでどんなことをしてきて、そこから何を学び、大学で何を勉強したいのか?」を書くのですが、そこで先輩やチューターに口酸っぱくアドバイスされたのは、

「成功体験がなくてもいい。大切なことは、失敗したことを含め、経験から何を学び、これからの自分の(大学ででの)勉強や目標にどう活かしていきたいか? を書くこと

だから私も昔の自分の経験を教訓にして、「テストで1問間違えた」とか「今回はテストの点数悪かった」と報告してくる娘たちに、

「がんばったね。どうして間違えたのかわかってる? わかればいいんだよ」とか「あと少しで満点か。がんばったね」

というように心がけています。


身長105feet(約32m)と書かれても怒りません(笑)


そうはいっても、毎回、100点満点のテストで99点だったと聞けば、「なぜ毎回1点ミスる?」と問い詰めたくなりますが、今のところなんとかこらえています(笑)。


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