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ミニマリストになつたきつかけ その一

 ※ 令和六年五月四日 加筆・修正
 荷物は状況に応じて変化することがあるので、その都度修正してゐます。

 なほ、上の猫は、この記事と特に関係があるわけではありませんが、今戸神社のナミちゃんです。私は、「関東の白猫キャット」と呼んでゐます。

 この記事に、目を留めていただき、ありがたうございます。玉川可奈子です。
 どうか、最後までお付き合ひください。

 さて、私はミニマリスト歌人・作家と名乗つてをりますが、ミニマリストつて何?と疑問を持たれた方や、どの程度のミニマリストなのか気になつた方々に向けて、そのことについて書いてみました。

 おほよその内容を、簡単な問答形式で書いてみました。

一、ミニマリストつて何ですか

 いふまでもなく、少ない持ち物で生活してゐる人のことです。
 『デジタル大辞泉』には、「最小限のことしかしない人。最低限必要なものしか持たない人。」と定義されてゐます。

 具体的には、しぶさんや、『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』の著者である佐々木典士さん、プロギャンブラーののぶきさん、そして私が勝手に対抗意識を燃やしてゐるはぴらきさんなどが知られてゐます。アフロの稲垣えみこさんや、落語家の立川こしらさんもさうでせう。

二、どうしてミニマリストになつたのですか

マキシマリストな自分 

 もともと私はミニマリストの反対であるマキシマリストでした。特に、本とかばん、筆記用具を大量に持つてゐました。蔵書はおよそ二千冊、かばんは二十個以上、高級な万年筆を十本以上持つてゐました。もちろん、服やくつもたくさん持つてゐました。

 さうした自分を変へたきつかけは、生まれ育つた東京を離れて、某県某市に引越したときにあります。今からちやうど八年前(令和四年から数へて)のことになります。当時、私は某県某市にある私立高校に採用されました。
 三月半ばに引越しを終へ、その県の県民となりました。何日か経ち、新生活に向かつて「がんばらう」と思つてゐた矢先、なにやら言葉に表し難い不安感を覚えました。

「体を見えない鎖に結び付けられ、足を見えない誰かに掴まれる感覚…」

といふと言ひ過ぎかも知れませんが、とにかく何かに縛られるやうな不思議な感覚がもたらす不安感と圧迫感でした。

本の断捨離

 新しい部屋の中で、何とも言へない不安と圧迫感に襲はれた私は、何となくもう読まないであらう本の整理をはじめました。当時は、そのことが断捨離といふことを知らず、二千冊あつた本のうち、一割程度だつたでせうか、紐でくくり、業者に回収してもらひました(なほ、その業者はS学会の人で熱心に勧誘されましたが、すべて断りました)。
 一割程度なので二百冊くらゐです。それでも不思議と心が軽くなつたのを覚えてゐます。

 それ以来、ことあるごとに、本を捨て、服を捨て、かばんを捨て…結果的に、本は一年間で五百冊まで減らしました。約千五百冊を手離したことになります。処分する方法はといふと、図書館への寄贈や、知り合ひにレターパックで勝手に送り付けることもありました(ごめんなさい)。その後は、教へ子たちにも協力いただき、最終的には二十冊程度まで減らしました。

 一年で勤め先の学校を雇ひ止めになりました。東京に帰ることになつたのですが、行きに三十万円かかつた引越し代は、十分の一で済みました。単身パックを利用できるくらゐに荷物が減つてゐたのです。

 その後、さらに断捨離を進めました。そして少し前に引越した時は、身体一つで全て運べました。

 物が減れば減るほど、気持ちが楽になる。そして、その結果、気が付いたらミニマリストになつてゐたといふ感じでせうか。当時、物を捨ててゐた時は、それが断捨離だと思はなかつたし、ミニマリストといふ言葉も知りませんでした。

「死」の意識

 もう一つは、少し重たい話しになりますが、「死」を意識したことがあります。
 ちやうど十月のことでせうか。十月某日未明、背中の激しい痛みに耐へられず、救急車よ呼び、近所の大学病院に運ばれました。生まれて初めて乗つた救急車。好奇心旺盛な私は、車内がどのやうな様子なのかを観察したかつたのですが、まつたくその余裕はありませんでした。血を抜かれ、点滴を打たれ、CTスキャンへ…。
 そして、その時に初めて私自身の「死」について考へました。

「ああ、私もしかして死ぬのかな…。」

大袈裟なやうですが、痛みに耐へながら本当にさう考へてゐました。そして、

「もし、今死んだらどうなるのだらう」

かう考へた時、急に自分の身辺を整理したくなりました。

 四時過ぎに帰宅し、近くのLAWSONのATMでお金を下し、病院にお金を支払ひ、少し休んでからすぐに出勤しました。

 そして、まづ取り組んだのは職場環境のさらなる断捨離でした。

 四月から十月までの間、少しずつ本やかばんを減らしてゐたのですが、この一件以降は、家具や服、趣味で大切にしてゐたカメラなども処分しました。売れるものは、リサイクルショップに売り払ひました。さうして、物をさらに減らした結果、「死」への不安を軽くすることができました。

三、困ることはありませんか

 特にありません。
 ちなみに、お風呂はいつも銭湯です。
 シャンプーやリンスは界面活性剤が入つてゐるので週に一度くらゐしか使ひません。つまり、湯シャンです。なほ、「くさい」と言はれたことはありません(笑)。
 シャンプーを使つた時は、薄めた酢をかけてリンス代はりにしてゐます。
 ※現在では、アーユルヴェーダ石鹸で洗つて、薄めた酢を仕上げにしてゐます。

 洗濯は、コインランドリーでしてゐます。行く頻度は多いですが、洗濯機を所持する負担を考へたら気楽です。また、下着類や靴下などの小さいものは手洗ひして天日干しです。よーくしぼつて、晴れた日に干しておけば、何の問題もありません。

 料理はこだはつてしまふので、しないやうにしてゐます。なので、ほぼ外食です。
 また、バナナなどのフルーツをよく食べるので、冷蔵庫なども不要です。冷たい飲み物はお腹を壊すので飲まないやうにしてゐます。常温の水や麦茶、炭酸水が好きです。

 TVは観ませんし、夏はクーラーを使ひません(自律神経を乱しやすいので)。冬は寒がりなので、厚着した上で暖房を使ひます。
 結果的に、ある時期の夏には電気代が五百円以下になりました。冬は暖房代のお陰で電気代が高くなりますが…。

 個人的な感覚ですが、ミニマリストの生活つて、ロールプレイングゲームにおける縛りゲーみたいなものでせうか。私はドラクエやファイナルファンタジーなど、それなりにやつたのですが、レベル99まで上げたりとかアイテムをコンプするなどやり込みをすることがしばしばです。さうしたやり込みの一種に、呪文禁止や特定の職業禁止などがあるのですが、それと同じだと思つて楽しんでゐるところもあります。

四、持つてゐる物を教へてください

 かばん×5(ミステリーランチのリュックと猫柄のトートバッグと、錦川鉄道のエコバッグ、職場の人からいただいたトートバッグ)

 iPhone SE(第3世代)とそのケース

 Air Pods proとそのケース…なほ、芸能界嫌ひの私が音楽を聞く場面は少なく、聞いてゐる時は周りが五月蝿い時です。倉木麻衣さんが好きです。

 それらの充電器
 モバイルバッテリー
 折りたたみキーボード

 大神神社の健脚御守り

 普段使ひのメガネ
 ハズキルーペ

 くつ(ニューバランス)とギョサン

 手ぬぐひ(朱鳥のそれと、長良川鉄道のもの)

 泉州タオル

備後落合駅のタオル

 MOKUの手拭ひタオル

 万年筆と仕事用のペン(ジェットストリームの多色)。
 懐中電灯
 調理用の北京鍋(唯一の嫁入道具)

 印鑑×3
 水筒(主にカフェ・バッハのテイクアウトに使用)
 ワークマンで買つた折りたたみ傘

 衣類(数枚のTシャツなど)。着物類はトランクルームに預けてゐます。
 消耗品として、歯ブラシ、剃刀、ブラシ、石鹸、毛抜き、マスク、化粧品類(基本すつぴん)など。
 写真や資料はほぼデジタル化してゐます。
 大切な人たちからの手紙類

 ※ゲストハウスや、ホテルで生活してゐる時期もありました。
  いはゆるアドレスホッパーでした。

 これだけ少ないと、出掛けるのも楽です。

五、本はどうしてゐますか

 基本的に、電子書籍を利用してゐます。

 平泉澄先生の『山彦』、『勉強の秘伝』と大切な人からいただいた冊子。

のみ所持してゐます。合計五冊くらゐです。手元には三冊まで置くやうにして、定期購読してゐる雑誌とともに残りはトランクルームに預けてゐます。

 また、電子書籍で手に入らない本は、図書館に行つたり、持つてゐる人に見せてもらつたりします。大抵の本は図書館にありますので、困ることはありません。

 蛇足ですが、以前、「日本」に紹介させていただきました平泉澄先生の『先哲を仰ぐ』は私ども日本国民にとつて、とても大切な書だと考へてゐます。

 今回は以上になります。最後までお読みいただき、ありがたうございました。
 (続)

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