まつのことのはのたのしみ その九
いつもお読みいただき、ありがたうございます。玉川可奈子です。
まつのことのはのたのしみシリーズでは、現代短歌ではない和歌(やまとうた)について述べて行きます。どうか最後までお付き合ひください。
前回の「まつのことのはのたのしみ その八」では、大和言葉について触れました。そして、和歌は先例を重視する点もお話ししました。和歌は心と言葉で過去と未来をつなぐもの、さらに今の人とも結ばれるものです。ならば、その心と言葉は過去のものと同じでなくてはなりません。
そして、言葉について今ひとつお伝へしたいことがあります。
今の時代、いはゆるJーPOPと呼ばれる世界では、少しでも似たやうな歌詞や曲があるとすぐに「パクり」疑惑が浮上し、必要以上に叩かれます。しかし、面白いことに和歌の世界では「パクリ」疑惑はほとんどありません。むしろ、いかに過去の優れた歌から言葉を借りてくるかが大切にされました。
事実、『万葉集』はもともと巻物でした。これを巻子本といひます。それはやがて和綴の本(冊子本)に変化しました。なぜでせうか。過去の優れた歌を探しやすいやうにするためです。
平安時代に実際にあつた例を紹介しませう。
三輪山を しかも隠すか 雲だにも 心あらなも 隠さふべしや
有名な額田王の歌です。額田王は万葉時代の歌人であり、紀貫之の時代とは三百年くらゐの隔たりがあります。そして、この歌をもとにして、貫之は次のように歌を作りました。
三輪山を しかも隠すか 春霞 人に知られん 花や咲くらむ
紀貫之のこの歌は『古今和歌集』に収録されてゐます。
恐らく、その当時、この歌を見た平安貴族は誰も「パクリ」とは言はなかつたでせう。むしろ、額田王の歌を活かしてより雅な歌を成したと褒め称へられたのではないでせうか。
例はこれだけではありません。後鳥羽上皇の御代、藤原定家らが活躍した時代には、盛んにこのやうなことが行はれました。『新古今和歌集』を学んでみると、そのことがよくわかります。
藤原定家には次の歌がよく知られてゐます。
駒とめて 袖うちはらふ かげもなし さののわたりの 雪のゆふぐれ
この歌は、『万葉集』にある長忌寸意吉麻呂の次の歌が本歌となつてゐます。
苦しくも 降り来る雨か 三輪が崎 狭野のわたりに 家もあらなくに
このやうな技法を本歌取といつて、前の歌をもとにしてより余情を深めたりします。和歌を作る際に、役立ててみてください。
はじめに買つていただいた歌集は、このやうな場合にも役立ちます。
ただ、中世において、同じ時代の歌から言葉を借りてくることはあまり好まれませんでした。このことを最後に付け加へておきます。
最後までお読みいただき、ありがたうございました。(続)
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