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タイでドイツ文学を読みながら中華料理を食べるフランス人と英語で会話した話


タイでの豊かでゆったりとした暮らしの様子をお届けするエッセイです。


タイに滞在中、ほぼ毎日食べていたのが「パックブン(ผักบุ้ง)」、英語だと「モーニンググローリー(Morning Glory)」と呼ばれる、中が空洞になった、ほうれん草の硬いバージョンのような野菜だ。

これをニンニクで炒めたシンプルな料理が実に美味しい。さらにビールと抜群に合う。ほぼ毎日食べていた。

これが屋台で25B、だいたい100円で食べられる。これに50Bのビールと合わせて300円。日本のせんべろ居酒屋も真っ青のコスパである。

帰国後、調べるとあれは「空芯菜」というものらしい。中華料理屋にいけば日本でも食べられるものだった。

それでも私は、やっぱりタイで食べた味が忘れられない。



1月19日。
チェンマイの旧市街地北の門、チャンプアックゲートのそばでは、夕方になると多くの屋台が路肩を埋め尽くすように店を構える。

私はいつものように、パックブンとビア・シン(タイのビール)を注文すると決まった場所に座り、読みかけの本を開く。

そのとき、ふと、斜向かいに目をやると、私の大好物であるパックブンを食べる女性の姿があるではないか。

ヨーロッパ系のその女性は、ブロンドの髪を束ね、左手で箸を器用に使ってパックブンを口に運んでいた。

さらに興味を引いたのは、パックブンを食べながら眉を顰め、難しい顔をしながら分厚い本を読んでいた点である。

私は好奇心に勝てなかった。

「君もそれ好きなんだ」

彼女はふっと顔をあげ、驚いたように私の顔を見た。無理もない、基本的に内気で英語が話せないと考えられているアジア人がいきなり話しかけてきたのだから。

「あら、あなた英語が上手ね。韓国人?」

何故だか、アジア人で英語が話せるのは韓国人、というステレオタイプ的な考え方が欧米にはあるらしい。

「日本人だよ、いまここに住んでる。君は?」

彼女はフランスのリヨンに住む大学生で、長期休暇を利用して東南アジアを廻っている最中らしい。

彼女はドイツ文学を専攻していて、彼女が読んでいた辞書のような本はゲーテの『ファウスト』だった。

「私はね、自分が見聞きしたり体験こと以外を批判したりしたくないの。わかる?だから、四の五の言わずに世界を見て廻ってる。座ってるだけの評論家なんて***よ」

彼女はお酒を幾許か飲んでいたが、彼女の強い口調はアルコールの回りからくる類のものではなく、彼女自身の強く気高い性格に由来するもののような気がした。

それからしばらく、彼女の旅の話を聞いていた。

彼女は今夜のフライトでカンボジアの古都・シェムリアップに向かい、明後日にはフランスに帰国するという。なんとも忙しい。

話が終わると彼女は時計を確認して、そろそろ行くわね、と言って徐に席を立った。

最後に私は、

「英語を話せるアジア人は韓国人だけじゃないってこと、座ってるだけの評論家になりたくなかったら覚えておいてね」

と言った。

彼女は大きい目をさらに見開いて、吹き出した。

「やられた。そうするわ。素敵な時間をありがとう」

彼女がいなくなってから、私はひとりでパックブンをつつきながらビールを飲み、ゆっくりとあたりを見渡す。

そこには、生まれた場所、住んでいる場所、職業、国、性別、人種、全てが違う人たちで賑わっている。

あの人にも、この人にも、そして私にも、全く違った人生が、これまで何十年と続いてきたし、これから先何十年と続いていく。

その一瞬、ほんの一瞬だけ、私たちの人生が交差し、言葉を交わす。

その奇跡的な確率は一体どのくらいなんだろう。

きっと、私はあのフランスから来た女子大生と再び会うことはない。

その遣る瀬のない事実が、より一層、あの人生が交差した一瞬、言葉を交わした一瞬を神秘的なものにしている。

その日のパックブンは、ちょっぴりさみしい味がした。



↓後日談、というよりかは後日詩。


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