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Education breeds confidence. Confidence breeds hope. Hope breeds peace -1

先日のつぶやきにあげたのだけど、夫アルゴはただいま、VR、バーチャルゲームに熱中しております。つい数ヶ月前に大仰にプレステ5が欲しいと言って大騒ぎしたばかりだというのに。うちは子供はいないけど、でっかい子供がいるようなもんです。

ちなみにVR購入の理由は「クラスに持っていて授業に使うこいつ、仕事(学校)で使うっていえばなんでも買っていいと思ってる!(苛)まぁ、実際持って行っているわけですが。ちなみに夫アルゴが家から自分のクラスに持っていたものは、ベース、キーボード、プレステ4、スイッチ、VR。やりたい放題じゃぁないの。

9月から教師業を始め、念願の教師になった夫アルゴの教師生活の話、その1。

9月から先生になった夫アルゴ。詳細はもろもろ過去NOTEにあるわけですが、ざっというと、夫アルゴは高校卒業資格から自分で取り、短大、大学を人の倍以上の時間をかけて卒業。ヒップホップアーティストとか詩人とか、自営業だとか諸々寄り道をしつつ、39歳で大学院プログラムに入学。40歳にて教師業を開始。我々の居住するNY州では教師になるためには、修士号が必至であるので、3年ほど助手という立場で学校で働いた後のことなのである。

私は自分がやりたいことをやるために、この国に来た人間であるので、基本的に夫にはやりたいことをやればいいじゃんというスタンスであったので、ここに来るまで散々なことは山程あったが、教師という仕事にやりがいとプライドを持っている今の彼の姿を見るにつけて、何を始めるにも遅いってことはないし、何事であっても人生に無駄なことはないのだなぁなどと思う。

ラッパーとしてイベントを回していたことも、オタクなカードを売るお店を経営していたことも、床屋のオーナーだとか、航空会社で飛行機の誘導をしていたことも、なんだかんだで今の教師という仕事に行き着くために必要だったと思える。たぶん。

あと、私的にも大学院を辞めなくてはならなくなって、その後、家計を支えねばならぬという理由で今の仕事でキャリアを積むことになったわけなので。当時は生活していくことに必死だったけれど、そういうことも必要だったのだと思う。人生的に。たぶん。

たぶん、としか言えないのは、単に人生なんて何がおこるかわからないものだし、今の段階では「まぁよかったよね」的なことしか言えないからである。ものっすごく貧乏な頃は、食パンすら買えないギリギリの生活で、気の毒に思った友人らが食べ物を分けてくれるほどの生活であったのだ。あは。人生に起こったことを「良かった」とか確信をもって「あの経験があったから!」なんて言えるのはきっともっと年を食ってからなのだと思う。今でも十分にババァだけど。

夫アルゴの専門はSpecial Educationー特別支援学級であり、こちらの支援学級というのはLearning Disabilityと呼ばれる自閉スペクトラム症やADHDなどの生徒さんだけのクラスに加え、問題行動の多い生徒を集めたクラスが存在する。ちなみに夫アルゴは、自身がこの問題児クラス出身である。平たくいうとアメリカ版GTO(グレートティーチャー鬼塚:ヤンキーが先生になった話)みたいなもんである。

夫が入学した大学院はインターンシップ制度で日中は学校での助手の仕事をしつつ、夜、オンラインのクラスを取るというもの。インターンシップ制度は地元の学区と連携しているシステム。

夫アルゴはそもそもは詩人であり、大学での専攻も英語だったので英語教師で応募したのだが、地元の学区から「いや!彼はSpecial Educationを選択してほしい」と謎、そして異例の横槍

考えてみれば、そら、男性、黒人、そして自身がSpecial Educationの出身、そんな人が教師になったら、学区的にも大層なアピールポイントである。助手としての3年の成果というか、働きぶりを認められてのことであろうので、うへぁとなりながらも彼は何故か2回も面倒な入学手続きを行ったのだ。彼の大学院、インターンシップ生活は始まる前から我々は、ストレスマックスであったのだ。

基本、アメリカにおける教職というのは、白人女性が大多数を占める。次いで、黒人女性、白人男性という感じで、黒人男性が教師になるというケースは非常に稀なのである。これについては社会の仕組みだとか人種差別だとか諸々絡むお話なのでまた別の記事にいたしたい。

そんな経緯があるので、全教科満点、卒業時にはすべての試験をクリア(注:普通教科の先生なら受けるテストも1つでいいのだが、Special Educationは全教科教えねばならないため、テストは6つ)した時点で「Job Offer(仕事の依頼)なんてわんさかくるはずだ」と我々はタカをくくっていた。なんせ州全体、国全体で、教師の数が少ないというのが大問題になっているご時世である。しかも彼は入学の時点で学区からの異例の要請に応えたのである。

5月に卒業。こちらの学校は6月 末で終わるのだが、7月に入ってもなんの連絡もこない。ニュースや噂ではしきりに教師不足が騒がれている。なので自分でも応募書類を学校の求人サイトにいくつか出した。だが8月に入っても学区から連絡は来ず、しびれを切らした夫アルゴは、よその学区に応募。推薦してくれた人の言葉もあり、なんと1日で職を得た。ええええ。通常であれば、書類審査、面接3回なのである。

もちろん、我々は彼が働いていた学区に対して、ふざけんな!と大層、憤慨した。雇用するつもりがないのなら、初めっから横槍いれるんじゃねぇ!と思った。けれど、結果的には、夫アルゴが現在進行形で、普通クラスの教師より、特別支援学級の教師でよかった、この学区を選んでよかったと言っているので、まぁよかったのであろう。

噂の噂でしかないが、地元の学区が夫に職をオファーしなかったのは、彼が黒人であるからだ、と多方面から教えられた。そんなんなら院入学の折に、人生を左右するような横やりいれんなや!(怒)という感じであるが。ちなみに、地元学区が、夫アルゴにコンタクトしなかったことに苦情のメールを送った人々が十数人存在するとこれまた噂で聞いた。ほ〜ん。

ともあれ、である。こうして夫は念願のOwn Classroom(自分の受け持ち教室)を持つことになったのである。

久々だけどやっぱり前置きの長い私のNote……続きます。

続き。

過去の夫アルゴのもろもろ。
*インターン中に受け持ち生徒が亡くなった話。*

*院、卒業のときの話*

*音楽のキャリアを諦めた話*


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