Things Happening for Reasons

ここしばらくの記事とはうってかわり重い話です。

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この人の悲しみや苦しみを半分でも請け負うことができないかと、今、私は切実に思っている。

この人の悲しみや苦しみが、例えば、クッキーみたいにぱきんと半分に割って、分け合えることのできるものならいいのにと思う。

悲しみと苦しみのクッキーはきっとひどい味だろうと思う。何とも形容しがたいひどい味に違いない。それでも、少しでもその悲しみと苦しみを分け合えることができれば、と思うし。初めて、まっすぐに視線を合わせた瞬間から、私はそんな風に彼を愛し始めた。だから、今、悲しみを代わりに背負ってあげられればいいのにと唇を噛む。

私が泣いたってなんの助けにもならないし、彼の苦しみをわかってあげることはできない。自分の半身のように思っている人だけれど、彼の悲しみを半分も請け負うことができない。

俺が何かに成功しようとするといつだって、ゴール直前で、それを台無しにするようなことが起こる。俺はもう夢を見ることが怖い。

これは夫アルゴの言葉で、普通であれば、そんなことない!とか、Things Happening for Reasons (物事は理由があって起こる)など励ましの言葉を言うのだが、今はそれを言えないでいる。

実際に彼が言うことは真実で、例えば周りに回ってようやく大学を卒業する時期に母親を亡くした。似たようなことが何回かあった。そして今回は5月の院卒業に向けて準備している最中に起こったこと。

月曜の夜、夫アルゴの教え子、13歳の少年が亡くなった。

亡くなった少年は、他の5人の友達と車に乗っていて、警察を振り切るために逃げていた。車は盗難車だったのだがその子はそれが盗まれた車であることを知らなかった。カーチェイスの末、事故になり、死亡。運転していた少年を含め、他の子供たちは怪我もなく、現在は拘留中。助手席に乗っていた彼だけが病院に運ばれて間もなく亡くなったのだという。

何のこともない1日だった。アルゴも私も、忙しかったけれどまぁまぁ良き一日だったねなんてお酒を片手にだらだら話している最中。同僚からの電話で事件が発覚。

慟哭。咆哮にも似た声をあげてアルゴは電話を床にたたきつけた。

激しく動揺し、嘘だ、嘘だと叫ぶアルゴに私は落ち着いて、とにかく落ち着いてとしか言えなかったし、今もまだ何を言えばいいのか、どうすればいいのかわからないでいる。

平穏な日常、当たり前の毎日、なんてものは存在しないのだと、私はフルスイングの金属バットで頭を殴られたような気持ちになった。

亡くなった子供は、とても勉強ができ、問題行動もぐっと減って、「もうね、特別クラスはうんざりだから頑張ってハイスクールからは普通のクラスに行けるようにがんばりたいんだ」なんて言っていた。バスケットボールチームに入っていて、バスケをやり続けたいから勉強も頑張っていた。

日本語に興味があるらしいんだよね、なんて言っていて、電話でモシモシ、コンニチハなんて会話を交わしたこともある。穏やかでおとなしい少年だった。

夫アルゴはこの子を2年間受け持っていた。問題行動の多い子供たちを集めた特別支援クラス。クラスはたったの9人。だから普通クラスの生徒よりもずっと距離が近い。えこひいき、ではないが、この生徒はアルゴは得にお気に入りの生徒だった。My Little Dudeなんて彼のことを呼んでいた。

こんなの習ってない。こんなのトレーニングされてない。俺の生徒が、俺のベイビーがこんな風に死んで、それをどうやって受け止めろっていうんだ。2年も一緒にいたんだ。毎日、一緒の教室に。2年。こんな風に生徒を失うことがあるのなら、俺はもう先生なんてできない。やりたくない。一生、皿洗いでもやってた方がマシだ。

ストリートをうろつくなって何度も言った。盗んだり、嘘つくなって何度も言った。ドラッグに近づくな、拳銃に近づくなって何度も言った。勉強とバスケに集中しろって言った。なのになんで。俺がやってきたことに何か意味があったわけ?あの子は結局、死んでしまった。

そんなことを繰り返し、繰り返し、一晩中、泣きながら繰り返す。でも残りの生徒たちのために「教師」としてアルゴは出勤していった。

Things Happening for Reasonsなんて言うけれど、13歳の男の子が小さな過ちを犯し、たった一つの判断を誤った。それで死ぬってどういうことなんだろう。それに「起こって当然の理由」があるのだろうか。

子供が悪い?親が悪い?先生が悪い?学校が悪い?友達が悪い?世間が悪い?やるせない。

付きまとうのは、IF。もしもあの日、学校をサボったあの子に電話をしていれば。いつもなら親に電話できるのに、その日は担当教師が休みで、他の助手たちも休みで俺一人でクラスを回してたからそれができなかった。もしも俺がもっとしっかり注意しておけば。もしも俺が……とアルゴは繰り返す。

あの子には将来があった。そしてあの子は何よりもそれを望んでいた。そして俺はそれを一緒に歩いてみたかった。彼のすぐそこにある明るいはずの未来を。そうするって約束したんだ。

そんな風に叫んだ夫の後ろ姿に私は言葉を失った。何といえばいいのだろう。

ただ、Be Strong。強くいて。他の子供たちのために。亡くなった子供のために。あなたが先生になりたい、ということには絶対に意味がある。こんな風に生徒を思って泣ける人が、簡単にあきらめていい仕事ではない。だから酷なこととはわかっているけど、あなたは前を向いてなきゃいけない。残された生徒たちにあなたが必要なの、と。

そんなことを……きっとなんの慰めにも、励ましにもならないそんなことを言った。

亡くなった生徒さんの家庭は裕福ではない。なのでお葬式をする費用がなく、どうしようもないお母さんはGo Fund Meという募金を集めるサイトでお葬式の費用を集めなくてはならなかった。だから、お母さんは彼の名前を公表し、翌日にはニュースや新聞に彼の写真が出た。幸いにも、人々の善意により翌日には目標金額に到達したが、それもまたやるせない。

子供を亡くしたばかりのシングルマザー。息子を失った翌日にはお金の心配をせねばならない。その気持ちを思うとそれもまた苦しいとアルゴは泣いた。

先生と言ってもアルゴはまだ実習中であり、院生である。院のプログラム、実習中にこんなことが起こったのは初めてのことで、院の先生たちも対応に困っているし、働いている学校でも、生徒がこんな形で亡くなってしまうことはごく稀なケースで生徒たちへの心のケアを含め、対応に追われている。

残りの勾留されている子供たちは全員が18歳未満であるため、名前の公表も、これから先の裁判などの法的手続きなどについてもまだ発表されていない。

事件から3日が経ってアルゴはようやく落ち着いてきたけれど、正直、なんでこの人にはこんなことがやたらと起こるのだろう、と思う。

昨夜、院のプログラム担当教授から電話がきた。課題やノルマ、こんなことがあったのだから少し遅れて提出しても構わない、と言われた。アルゴは言った。

「悲しいしまだ気持ちの整理はついていない。学校も受け持ちクラスもまだ大騒ぎだけど、それを言い訳に課題を遅らせたくはない。悲劇ではある。でも残された生徒はそれでも学校に来なくてはならないし、自分には教師としての義務があるから課題は通常通りこなします。逆にこう言った状況から生徒と共にRebuilt(再構築)していく課程をあなた方に見ていただきたいし、教えを乞いたいと思っている。Rebuiltしていくこと、それが亡くなった生徒と残された生徒たちにできるせめてものことなので、よろしくお願いします」

あぁやっぱりこの人が教師を目指すことには意味があるのだなぁと思ったし、普段は悪ガキどもめ、むかつくなどと文句を言っているものの、きちんと生徒たちに寄り添っているのだ、と思った。だからこそ今、こんなにも悲しく、苦しいのだ。そして、その悲しみや苦しみは、アルゴ自身が自分の力で乗り越えていかなくてはならないもの。

院のプログラムが終わるのが5月。すでに資格試験を終了しているアルゴは、予定通り9月からは教師として教壇に立つ。この生徒の死はまだ生々しく、ただただ悲しく、やるせないことであるので、Things Happening for Reasons (物事は理由があって起こる)なんてことは言えないけれど。

せめてか彼のために、残された生徒のために、立ち上がろうとしている夫アルゴを支えたい、サポートしたい、とそんなことを考えている今日この頃なのである。

(終)

アルゴが先生を目指す理由の話。







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