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わたしの人生物語、第2章にタイトルが付いた

こんにちは!Kanaです。

今日は最近ず〜っと考えてたことを
ようやく皆さんに報告する覚悟ができました。
結構長いのですが、「書く瞑想で人生を変えた人」がわかる記事になっているので、興味がある方は読んでいただけたら嬉しいです!


去年の誕生日に自伝を出して、わたしの第1章は「Going My Way」だったと報告しました。
周りが色々あろうといかに「Kana」として生きるのか、いや、生かされてきたのか・・・ひたすら我が道を行かんとする、そんな1章だったと。

「幸せになりたい」と願った一人の女の子が、人生の中で起こる様々な出来事に翻弄されながらも、どんな時も幸せになることをあきらめずに生き続けてきた結果、本物の自由と、幸せを手にした物語

30〜Going My Way〜: 私たちは自由に生きていい」より


そして、31歳の誕生日からわたしの2章がスタートする、と言ったものの、なかなか思うようにはいかない日々でした。

何より今住んでる家が売れないことには移住できない
→移住しなきゃ文鳥カフェに向けて動き出せない

ということに縛られていました。

自由に生きるって言ったはずが、このしがらみを取り払うことができていなかったのです。

わたし一人の問題じゃないし、
お金のかかることだし、簡単には決断して動けない。

そう決めつけて、時が過ぎるのをただ耐えていました。

でも、一向に売れる気配のない我が家。

少し強制的に人生を動かす時期なのかな?

そう思ってひたすら自分と向き合いました。


・そもそも、家が売れないと何もできないと思ってるけど、本当にそうなのかな?
・今の住宅ローンと新しい家のお金を二重で払っていけるか?
・「自由にわがままに生きる」って人生のタイトルは決めたけど、具体的には?
・今までと同じ考え、同じ在り方、同じキャラでいい?
・今の自分のキャラクターで満足してる?

そんなことをひたすら書いて、

自分にとって何が大事なのか?何が好きなのか?
どう日々を過ごしたいのか?
どうお金を得る暮らしがしたいのか?
Kanaの幸せとは何か?

今一度考えてみることにしました。

これは、29歳の時にやったことと同じです。
(そしてじぶん物語の講座でクライエントさんとやっていることです。)

一度自分と向き合う方法を習得しているので、同じように問いをたて、考えていけば「今のわたし」が浮き彫りになってきます。

そうして、3年前とは少し違う願望や考えを持っている自分に気がついたのです。

BE FREE

これが今のわたしの座右の銘になると思いました。

「自由であれ」です。

そしてわたしは「書く瞑想で人生変えた人」から
ジャーナリングで探究する人」になることにしました。

ちなみに「探求」ではなく、「探究」です。

「探求」は、さがし求めること。「平和の探求」「事故原因の探求」
「探究」は、物事の真のすがたを探り、見きわめようとすることの意。「真理の探究」「美の探究」
《参考》意味は近似し、「人生の探求/探究」などでは、ほぼ同義で使用されるが、前者は追求、後者は考究の意を含む。

学研国語大辞典 (1)

三度の飯より〇〇が好き


この前このテーマでジャーナリングをしていた時に、気付いたんです。

そもそもわたしにとって
三度の飯はかなり大事なもの。
食べることが大好きなのに、それより好きなものかぁ・・・と。

この質問をされると
食事をおろそかにしてまで好きなこと、やりたいことって
何があるだろう?って考えてました。

書くこと・・・
考えること・・・
文鳥?
自由であること?

んーどれもしっくりこないと思っていたのですが

わたしは探究することが大好きで
まさに「寝食を忘れて没頭できること」だったんです。

”三度の飯より”ってきっと寝食を忘れてできることだ!って思いました。

そこで、ようやく自分が本当に救われたものに気づきました。

わたしを救ってくれたもの、
それは「言葉によって説明がつく」ということだったのです。

言葉であり「概念」であり「観念」などで、
「わからない」が「わかる」に変わる体験です。

それらがわたしを「わからない」という恐怖から
「わかった」という安心に変えてくれたことで
今日まで生きてこられた
のだと思います。

要するに、
「こういう生き方をしてもいいんだよ」って
知ったから、選ぶことができた
とか
HSPの概念を知ったことで
「わたしだけじゃないんだ」と
思えて、生きやすくなった。

みたいなことです。

わたしごときが考えたり、悩むことは、世の中のすごい人たちがすでに考えて研究して選択肢を提示してくれているのです。
だから、それを知って、学んで、「じゃあわたしはどれを参考にしようかな」と選ぶだけで、すっきり解決なのです。

どこで、何で、自分の中の問題に折り合いをつけるか決められれば「悩む」という行為は無くなります。


わたしは「言葉にできない、説明できない」ということに
多分人より恐怖や不安を感じやすいのかもしれません。

「まあいいや」
「気のせいか」
で済ませることができない性格で、

「なんで?」「どうして?」
と考えることが脳の通常運転な人間でした。

ジャーナリングが好き、というか
やらずにいられないのは
このためなんだとはっきりしました。

念の為、先ほどあげたものを広辞苑に載ってる
説明でも意味を補足しておきます。

言葉・・・ある意味を表すために、口で言ったり字に書いたりするもの
概念・・・事物の本質的な特徴とそれらの連関が概念の内容(内包)。
大まかな意味内容。
観念・・・ある事柄に対する考え。
(仏語では心静かに智慧によって一切を観察すること。また、一般に、物事を深く考えること。)

物事の本質を見抜きたい、という欲や
構造を理解したいって欲もあるんですが、

きっと全ての行動の原動力は「知りたい」「言葉にしたい」なんです。

だから、わたしは「探究する人」なんだと思いました。

イメージは学者さん

なので、これからの活動も少し変えることにしました。

正直もう「書く瞑想で人生変えた人」ってのは
自伝を出したことで完結したというか・・・
2年使って満足してるところもあって(笑)

ジャーナリングアドバイザーの肩書は
気に入ってるので使い続けるし
仕事内容もそんなに変わらないのですが

わたしの気持ちの問題です!笑

ただ今後「セミナー講師」としてイベントなどをすることは
減らそうと思っています。
(3月のみんなで書く瞑想会までは開催予定です)

というのは
探究して、研究したものを発表する活動を増やしたいのです。

イメージは学者さんかな?と思っていて、

探究というのは本質を探っていくだけなので、
別に答えを出さなくてもいいのですが
わたしは自分なりの答えを出すこともしたいし、
それをシェアすることもしたい。

そうなると研究してある程度答えを出すところまでやることになります。

なぜなら、わたしがそういう「誰かの考えた結果」を知ることで
救われてきたから。

ちゃんと過去の人たちが考えただけじゃなくて
言葉にして文書にして
残しておいてくれたから、
どこかで発表してくれたから、
わたしはその考えを受け取ることができました。

だから、同じようにしたい。

これがわたしの第二章になる予定です。

そして、移住も強制実行


だからこそ、

こんなところで燻ってるわけにはいかないのです。


やりたいことがたくさんあって、
いくら時間があっても足りません。

わたしは一人しかいないし、時間は平等に一日24時間しかない。

こんなところで「早く家売れないかな〜」と言ってる場合じゃないのです。


どこでだって仕事ができる。
どこでだって研究できる。

でも、文鳥カフェだけは場所がなきゃできない。

じゃあ、答えは決まってる。
文鳥カフェができる場所に行くだけ。


と、長くなってしまったのですが、現況報告としてはこんな感じです。

また具体的なことは追々報告させていただこうと思っています。
メルマガや我がままパーク内では、その時々考えていた過程なども公開していこうかなと。

これからもこんなKanaですが、

ぜひ応援していただけると嬉しいです!!


あなたも自由に我がままに人生を進めていきましょう✨

最後まで読んでいただきありがとうございます!

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