盾と矛

生きてれば苦手な人、嫌いな人が出てくるのも当然だと思う。
自分に都合の悪い人間の存在を素直に容認できるほど、私の人格は立派ではない。

では、自分の中に定義して苦手な人間になってしまう相手の共通事項とは何か。
ふと考えてみると“矛盾”であることに気がついた。

私には強い承認欲求と、自己肯定感と、正義がある。
私の中には私なりの正義があり、世界への感覚があり、自分という存在に対しての認識がある。
そして私から吐き出される発言や、行動はすべて私自身から派生された、いわば子供みたいなものだ。
子供自身は私自身では無いものの、私自身を起源とした存在であることには違いがない。
ただ、他人が私の子供を見た時に私自身を連想できるか、他人から見た私自身に結びつくかと言うとそうではない。それでも、元を辿れば同じ私自身なのだ。

それを踏まえた上で、他人同士を抱え育てているように見える人間が苦手なのだ。

そこに自分自身という自我があれば存在しない言葉、簡単に言うと嘘。
嘘と嘘を平気な顔をして並べてしまう人間。嘘と嘘を並べることで矛盾が生じる。もしかしたら片方は真実かもしれない。真実だったとして片方は嘘だ。
どちらかが嘘でないと道理が通らない発言。

私はそれを一人の人間から見出した時、信用も信頼も持てないと感じる。

生きていれば思考が変わることも、信念が曲がることも、正義が悪になることもある。
沢山の要素から成る他人同士で価値観が違うのも当然のことだ。

それでも私は他人の発言から見える矛盾について、許容することが出来ない。

商人は言った、ここに最強の盾と矛があると。
それを見た旅人は言った、ではその盾と矛をぶつけてみたらどうなるか?

矛盾を併せ持つ人間は、自分の盾と矛をまだぶつけていないのだと思う。

そしてそんなことを考えずにいられる、矛盾を解決させずとも存在を容認される、そんな環境で生きてこられた人間に嫉妬し、嫌悪してしまう。
けれど、それが利益になることなら、私はそんな相手すら利用しようと思うだろう。

私はひどく利己的で、矛盾を抱えた、醜い人間だ



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