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いまになって、もう一度したいこと

昔好きだったもの、今も好きなもの。
だけど、みんなに「すき」と堂々といえないもの。

純粋に好きな気持ちに、まわりの人がどう思うかなんて関係ないのに
いつの間にか「これが好きだと思われたくない」が先行する。
わたしの場合は多分、中学生くらいから。

本当に好きなものを見失ってしまう。それにすら気がつかない。

誰も見ていなくてもいい、知らなくてもいい。共感しなくたっていい。
だけど、自分だけは自分のこと、知っていてあげたいと思うから。

「こう見られたい」から解放された、ほんとうの自分のすきをnoteに綴っていこうと思います。


【みんみんぜみの羽化のかんさつ】

小学校1年生。
図鑑を見て、花が何科であるのかを見るのが好きだったころ。
なつやすみの自由研究で何がしたいか考えているときに「これだ!」と思ったのが、蝉の羽化の観察でした。

新潟の胎内にある、昆虫の家で知った、いつか自分の目で見てみたいと思っていたもの。

いつもはもう寝る時間だと制される夜に、外に出かける。
当時のわたしにはそれすら特別でした。

蚊に刺されないように、長袖を着て。手には懐中電灯を。
どきどきワクワクしながらいざ、羽化しそうな幼虫を探しにいこうとしたとき、祖母の家の門柱をずんずんと登る幼虫の姿を発見。
ミンミンゼミかな?

さっそく夜の冒険は終了となりました。


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じっと様子をかんさつしていると、セミは背中の裂け目からどんどん出てきて、直接壁には捕まらず。落ちてしまわないかとはらはらしました。

支えているのは、幼虫の殻の手足。よーく見ると、鋭い爪のようなものを持っていて、身体をしっかりと固定しているよう。

なんと、葉っぱの葉脈にまでひっかけられるそうなのです。

かかとやつま先のトゲを使って、身体を支えるイメージでしょうか。
支えるのも少し、コツがいりそうです。

落ちるのでは、というひやひやも落ち着いたころ。
セミの羽根はどんどんきれいになっていくので、触りたくなってしまいました。

「からだにふれると、大人のせみになれなくなるよ」

そうなったら飛べなくなっちゃう、そのまま死んじゃうかも。

セミは、何年ものあいだ土の中にもぐり、こども時代を過ごします。
おとなになってから生きられるのは、ひと夏の間だけ。

それを知っていたから、好奇心にまかせて触る、なんてことはできず。
頑張れ、あとちょっとだよとひたすらエールを送っていたのでした。



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羽根が全部広がり、じっとしています。
きんいろに輝いている部分もあって、いままで見たことがないようなせみでした。どうしてこのままじゃないんだろうかと不思議に思ったくらいです。

目も真っ黒でクリクリ。

このまま朝までじっとしているのかなと思って観察を続けると。
前足がだんだんと茶色く染まり、日付が付が変わるころ、身体が殻から離れだしました。

飛び立つ瞬間まで、見ていたかったけれどどうしても睡魔に勝てなかったわたしはそのあと寝てしまい、朝目をさましたときにはもう、
せみはいなくなっていました。



この観察は、わたしの、この夏の最大のおもいででした。

なつやすみの自由研究のために観察したというよりも、ずっと見たかったものへの感動と衝撃。それを描いたら自由研究になっちゃったという感じ。

そんな感覚が毎日あったら幸せだなと思う。

虫が苦手だ、と思う感覚がわたしの中にあまりないのはきっと、
小さい頃の好奇心が、きれいだとか、感動した、に変換されているから。

こんなときめき、大人になったら減ってきたきたかな、と思うけど
いまからでも、いつからでも自分のときめきは増やせるはず。

セミの羽化、一度は見ると、世界が変わりますよ。

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