2月の私。
2月に入り、クスリをやめた。
きっかけはいくつかあった。
クスリを調べていた事。
自分の症状とクスリの副作用が一致していた事。
クスリの代わりになり得るものを見つけた事。
いくつかあった。
結果的に、クスリを止めて良かったと思っている。
クスリを飲んでいる間に症状として、
苦しんでいたものからは解放された。
主に不安感、焦燥感、希死念慮、気分の波は全くなくなった。
そしてクスリの副作用には、
上述した症状がそのまま記載されていた。
私には一つ疑問が生まれた。
私の症状は、クスリによって出ているのではないかと。
クスリを飲むことによって苦しんでいるのではないかと。
クスリに苦しめられているのではないかと。
そう思った。
クスリや精神医学についても調べた。
調べると色々な情報が出てきた。
正しい情報もあれば間違った情報もあると思う。
しかし一つ私の中でひっかかった情報があった。
”精神医学においてどの病気も、病理学的根拠は存在しない”
というものだった。
どういうことかというと、
精神科において、病気の診断をする際の
根拠が何もないという事。
臓器の病気やがんなどは、精密な専門的な検査があり
CT画像やMRI画像、血液検査等の数字にも表れ、
目に見える結果のもと診断が下される。
しかし、精神科において診察は問診のみである。
これは私自身の体験談でもある。
約1年ほど精神科に通院しているが、
診察として行われたものは、問診のみである。
何か検査をされたことは一度もない。
主治医は何を基準に診察を行っているかというと、
それは自身の感覚である。
経験や知識のみで診断を下し、クスリを処方している。
その為、主治医が変われば病名も変わってくる。
何故なら、感覚で診断されているから。
そしてクスリも変わり、副作用も変わってくる。
私は思った。
無責任過ぎやしないかと。
少しばかり酷過ぎやしないかと。
私自身、うつ病自体は克服していると思っていた。
しかし、その時々に襲われる気分の波や理由のない不安感等に悩まされていた。
その原因がクスリにあるのではないかということに行き着いた。
だから思い切ってやめた。
クスリを中止してから、すぐに離脱症状に襲われた。
当たり前である。
今まで何ヶ月もの間、摂取し続けてきたものを急にやめたのだから。
言い換えると禁断症状とも言えるだろう。
詳しく症状としてどういうものが出たかというと、
まず睡眠が浅くなった。
次に意識がぼーっとしていた。
何かに集中することが出来なくなった。
時間経過の感じ方にも変化があった。
少し前の出来事が非常に前の出来事に感じたり、
単純に記憶に残っていなかったりしていた。
その為、小さな約束を覚えることが出来なかったり
数日ぶりに話す相手とも、数週間ぶりに話すかのように感じていた。
また、ありとあらゆる感覚がおかしくなった。
敏感であり、鈍感であった。
音にすごく敏感になった。
音がすると過剰に反応してしまう。
音がすると心拍数が上がり、眩暈のような症状が出た。
音に対して驚くことが多くなった。
逆に触覚が鈍感になった。
手や足がしびれているような感覚。
触ったり、叩いたりしてもあまり分からなかった。
また、味覚にも変化があった。
味があまり分からなくなった。
感じにくくなった。
といった症状に襲われた。
クスリを中止してから一週間ほどすると、
全体的に落ち着いていった。
現在は音にまだ敏感に反応してしまうが、
その他の症状はほとんど落ち着いている。
この離脱症状が抜ければ、
私は症状として悩まされるものが無くなると思っている。
うつ病になった本質的な問題は解決しており、
悩まされていた場面場面の症状も、
クスリを中止したことにより無くなるだろう。
俗にいう寛解という状態になるのではないだろうか。
今回、色々調べ自分自身で試して感じたのは、
精神医学においては、
医者が必ずしも正しい訳では無いのかもしれないということ。
現在の世の中では、何かと精神科への受診を勧めているが
それは正しい選択なのか分からないということ。
私自身はクスリに苦しんだという結果に行き着いた。
これは事実である。
クスリを止めたことで、悩んでいた症状が治まったのだから。
しかし、精神医学を否定をしている訳でもない。
選択肢があってもいいのではないかと思う。
精神科に行ってクスリを飲むという選択肢だけでなく、
他にもその人にあった解決のためのアプローチがあるのではないかと。
クスリでは解決できない事もあるのかもしれないこと。
自分自身で考えてみてもらいたい。
本当に自分自身に必要なのは何なのかと。
それが一番早く助かる方法なのだと思うから。
かもめ
そのお気持ちが私の支えとなり、励みになります。 ゆったりじっくり一緒に生きましょう。