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世の中と私の世界線の話。


仕事をする。

飲みに行く。

友人と出掛ける。

買い物をする。

恋人と出掛ける。

テレビや映画を見る。

家でゆっくりする。


私と同じ25歳の人が普段やっているようなことである。



私はどれも出来ない。
なに一つとして出来ない。
それはうつ病という病気によって。

私には何が出来るのだろうか。

なにも思い浮かばない。

それほど私は何もできない。


実際のところ、
比べる必要など全くないのだ。

私は病人であり、
療養生活中なのだから。

一般的に出来るとされている事が、
出来なくてもおかしくはないのだ。


比較して自分を卑下することはしていない。
しかし、羨ましさはある。

外に出れる事。
人に会える事。
働ける事。

単純に羨ましい。

世の中の世界線が羨ましい。



私の世界線は違う。

私は昼間の時間が嫌いだ。
世界が、世の中が動いている時間。

私は動いていない時間。

そう感じてしまう。

分かってはいる。
私も回復に向かって動いている事は。

しかし、実感があまりにもない。
むしろ悪くなっているようにさえ感じる。

毎日が、毎時間が、毎分が、毎秒が、
私を苦しめる。

時間を過ごすこと。
苦痛でしかない。

何も出来ない。
何もしたくない。
何もやりたいことがない。

隙があると、時間があると、
症状に襲われる。

希死念慮に襲われる。
理屈は理解している。
症状であると。
本心ではないと。

だから、絶対に実行することはない。

しかし、対処法もない。

ただ耐える。ただただ耐える。
それだけ。


苦しくてしょうがない。
つらくてしょうがない。
しんどくてしょうがない。


理由もなく涙も溢れてくる。
何に対しての涙かもわからない。

胸を、心を、ぎゅっと
押さえつけられているような。
圧縮されているような。

そんな感覚に症状に襲われ続ける。


そんな日々を過ごしている。

これが私の世界線。



同じ時間を過ごしていても、
これほどまで違うのか。

病気とはつらいものだな。


うつ病に限った話ではない。

他の精神疾患、他の疾患、
言ってしまえば風邪でさえ、
普段出来ることが出来なくなる。


健康とは有り難いものだ。
当たり前ではないのだな。

毎日が日常で溢れている。
しかし、それは非日常でもある。

病気になり、一層理解した。




そんな世界線に戻れる日が早く来るといいな。

じっくり、腰を据えて療養しようじゃないか。


私の世界線と世の中の世界線が一致するまで。




かもめ



そのお気持ちが私の支えとなり、励みになります。 ゆったりじっくり一緒に生きましょう。