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現実は小説より奇なり #1

 私の幼い頃は、今のように情報を個人で多大に取り入れる事はできなく、雑誌やテレビ、ラジオなどで沢山の情報が溢れていた時代だった。

 娯楽もやはりテレビやラジオが主流で、その中でも現実離れするような幽霊や宇宙人、世界の不思議などという内容は、幼い私に沢山の不思議と不安を刷り込ませてびびらせていたのは間違いない。

 中でも1999年のノストラダムスの地球滅亡の予言は本気で信じていて、テレビで放映されるとなると、自分の将来起こり得るかもしれない世界の終焉を、幼いながらに不安を感じ、何をするよりも先にその番組を優先してテレビにかじりついて観ていた。

 ノストラダムスの予言を特集していた番組には、沢山の関連情報が溢れ、地球滅亡というとんでもないテーマをイメージ画像と有識者たちのコメントで番組みを盛り上げていた。
 今の時代では簡単に画像の加工ができ、画像の真実味などないに等しいが、当時はPCなど一般家庭にはなく画像そのものが証拠になった時代だ。

 宇宙から惑星が地球へ衝突する可能性があるのではないか…、富士山の噴火により日照時間が減り滅亡へ…、第三次世界大戦が起こり核爆弾により地球が…、沢山の最悪のシナリオをテレビは関連画像と共に発信しているのを何度も何度も見るたびに、幼い子供独特の想像の豊かさから、私は自分が大人になる頃に起こるかもしれない最悪の状況を想像し、不安を募り、その後の自分の将来を考えるようになっていた。

 一般的な幼い少女である。
 当たり前に綺麗なドレスを身に纏ったお嫁さんになるのも夢の一つだった。
 自分で言うのもなんだがとても世話好きで、近所に赤ちゃんが生まれたとなるとお宅へ上がり込んで子守をしに押しかけ赤ちゃんをお世話しに押しかけたり、自分より小さな子供と公園で一緒に遊ぶ事が楽しみだった私は、少しずつ自分が大人に近づいてくると自分の子供が欲しいと強く思うようにもなっていた。

 だが、ノストラダムスは1999年の地球爆発を予言している。
 1999年は私は24歳だ。

 中学、高校と進むにつれて、だんだん1999年問題が私に人生の選択を迫ってくる。
 高校になって進路を決める段階に来た時にも、24歳の時点でどんな環境で何をしているかを真剣に考えるようになってきた。

 大学への憧れもあった。
 当時アメリカのボーイズグループにはまっていた私は、日本へ来た外国人に日本語を教える日本語教師になりたかったが、大学を卒業してその職に就いたとして、果たして「お嫁さん」と「自分の子供」にたどり着く事ができるのだろうか…。大学へ行って就職するのであれば、もし予言が当たった場合夢が叶わないのではないか…。

 私にはこの1999年問題は、自分の人生の選択を決めるための一つの大きな問題でもあった。




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