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哀しみの序章  SS0020

成人の日 2019/1/14

「何で振袖じゃないのかな」
「さあ、面倒臭いからじゃないの」
「だって一生に一度の成人式だよ。それも、くたびれたスーツ。やだ、何か笑っちゃう」
「貧乏なのかな──」

 後ろの席のひそひそ声に、私は膝に置いた拳を強く握る。確かにお金はない。十数万円もする振袖を借りたり買ったりする余裕は、児童養護施設出身で身寄りのない私にはない。
 壇上では市長が祝福の言葉を述べているが、会場はざわざわと騒がしい。前の方の席で男がいきなり立ち上がり、会場から飛び出していった。私も早くこの式典から逃げ出したい。

 成人式など出るつもりはなかった。だけど先日、姉のように慕う児童指導員の未咲(みさき)さんと、電話で話している時に言われた。
「出た後悔よりも出なかった後悔のが、後から来るよ。想い出はお金じゃ買えないから」
 ため息をこぼす。だから無理をして参加した。でもやはり、来なければよかった。

 式典の終わった市民文化会館から逃げるように早足で駅に向かう。周りでは二次会の話で盛り上がっていたが、この町に友達のいない私にとっては、関係のない話だ。
 いや小学校二年生まで過ごしたこの町は、ふるさとのはずだった。両親を事故で亡くし、隣県の施設に入所した私は、高校卒業後、今の会社の住所を見て就職を決意したのだった。
 だが、ふるさとだった町の風は冷たい。

 未咲さんから貰ったマフラーに首をうずめ、駅からアパートへ向かうバスを待つ。
 かばんから大好きな小説を取り出す。
『嘘つき男』施設出身の先輩が書いた本だ。
 施設では数年しか一緒に過ごさなかったが、まるで私のために書かれたかのようなこの物語を読むと、哀しかったり辛かったりする思いが、ほんの少しではあるが、小さくなる。

 三連休で混み合うバスに乗り込み、読み進める。隣の窓側に座ったスーツ姿の若い男が、先ほどからしきりに私を何度も見てくる。
 男のスーツは真新しい。私のスーツは就職が決まったお祝いに、施設のみんながプレゼントしてくれたものだ。服を何着も買う余裕がないので、着古してはいるが、大切な物だ。
 馬鹿にされているようで、一度きつい眼で男をにらんだ。男は慌てて視線をそらした。

 いつもの停留所でバスを降り、うつむきながらアパートへ向かう。明日からまた、物語とは違う、代わり映えのしない日々が始まる。

 追いかけてくる革靴の音に振り返ると、あの男が立っていた。よく見れば式典の際、飛び出した男だ。逃げだそうとした私に、「その小説面白いですよね」との声が聞こえてきた。
 足を止め首を傾げる私に、男は近づいてくる。
「僕もその小説大好きなんですけど、今日その話を成人式でしたら、馬鹿にされちゃって。二次会をすっぽかしてきたんです……」
 男は決まり悪そうに頭をかく。
「夢中になって読んでいたから、ちょっと感想を聞いてみたくて……。でも途中だったら悪いかなと……」
 私は手にした本を見て、何度か瞬きをした。
「もう何回も、読み終えていますよ」
 男の顔が、夏の向日葵のように輝く。
「ああよかった。それなら心置きなく感想を言っても大丈夫かな。僕はですね。終章に出てくる言葉に、心を鷲づかみにされて──」
 男は身ぶり手ぶりを交えて語り出した。
 ふるさとの冬の冷たい風が、手にした本のページをめくる。立ちながら熱く語る男を見て、私も作中の言葉をふと思い出した。

「哀しみは、喜びに出会うための序章にすぎない。哀しみを恐れるな、立ち向かえ」

 私の人生の序章のページが、めくられる音が、どこからか聞こえてきた──。

第13回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞して自衛隊ミステリー『深山の桜』で作家デビューしました。 プロフィールはウェブサイトにてご確認ください。 https://kamiya-masanari.com/Profile.html 皆様のご声援が何よりも励みになります!