トンビとカラス SS0022
目の前の喧騒に嫌気がさし、俺は胸元からゴールデンバットを取り出し、火を点けた。
慣れ親しんだ安い味が、頭に上った血を鎮めてくれる。俺は、参道脇の銀杏(いちよう)の木にもたれ掛かり、一服しながらも、靖国(やすくに)神社の本殿に向かう参拝客の中の対象者──マル対への監視の視線は切らさずにいる。大石灯籠(おおいしどうろう)の向こうには、青銅の大鳥居(おおとりい)と神門(しんもん)が見えた。
先ほどの昼前から、手前の道路では、右翼の街宣車と靖国神社の建国記念祭に反対する集団が、お互い罵詈雑言をぶつけ合っている。
「よお、トンビ」
なじみの声に顔を向けると、俺と同じく背広姿のカラスが立っていた。
「相変わらずマル自は勤勉だね。警察官だって休みは必要だろう」
言いながらそばに来る。
「そっちこそ休みじゃないのか。それとも自衛隊は祝日も出勤か」
俺の軽口に、カラスは口の端を上げる。本名は知らないが、こいつとは長い付き合いだ。自衛隊の中央情報隊で諜報──ヒューミントに係わっている男だ。
中央情報隊のシンボルマークには、建国神話に出てくる三本足の烏(からす)──八咫烏(やたがらす)が書かれているので、俺は勝手にカラスと呼んでいる。
カラスは俺のことをトンビと呼ぶ。理由は知らないが、烏と鳶(とんび)は仲が悪いからだろう。
「それにしても、こいつら飽きないねえ」
カラスの声にうなずく。右も左も俺から見れば、くだらないし関係がない。俺の仕事は、この場に来る自衛官の記録と監視だ。
「こう寒くっちゃ。やってられないな。最近は、体の調子はどうだい」カラスは腕を組む。
今朝は都内でも雪がぱらついた。五十過ぎの体には、今日のような寒さは身に堪える。
「ふん、お前よりは鍛えている」俺は、自分より、若く見えるカラスに見栄を張る。
「キツネは、定年退職したみたいだな」
「ああ、ネズミも心を病んで配置転換だ」
公安警察や諜報の仕事は、心の負荷が高い。だからこそ敵側としても、生き残っている奴には、口には出さないが共感の想いを持つ。
声が響く。右翼の青年が、集団のあおりに耐えきれず、相手側の若者の胸倉をつかんだ。
俺は煙をはき、周りを見渡す。制服警察官の姿は見えない。喧嘩の仲裁は、公安の仕事ではない。騒ぎがひどくなり、突き飛ばされた青年が、道路を渡ろうとしていた老婆にぶつかった。倒れた老婆を、誰も気にしない。
俺は舌打ちをして、タバコをもみ消した。
足の悪そうな老婆を起こして本殿まで連れていったあと、九段坂の駅まで送り届けた。
九州から出てきたという老婆は、夫の戦死日が今日らしい。毎年はるばる東京まで出てくるが、もう来年は難しいかもしれないと呟いた。老婆は何度も頭を下げ、改札に消えた。
タバコに火を点けながら、監視地点まで戻る。煙と共にため息をつく。監視に穴が開いたので、また上司の小言を聞くはめになる。
銀杏の木に戻ったら、カラスの姿はなかったが、木の枝に、ビニール袋が下がっていた。
のぞいてみると温かい缶コーヒーとゴールデンバットと紙切れが入っていた。タバコには、「禁煙しろよ」とふせんが貼ってある。
敵の情けに苦笑いをこぼし、紙切れを広げたら、八咫烏から金鵄(きんし)へとあり、不在間のマル対の名が、時間とともに書いてあった。
ああ、そうか。ゴールデンバットは先の大戦中、敵性語とされ「金鵄」と呼ばれていた。金鵄──神武(じんむ)天皇の伝説にちなむ金色の鳶だ。
俺とあいつは、結局、同じ穴のムジナ──。
タバコに火を点け、煙を大きくはき出す。見上げた煙の先には、桜のつぼみが見えた。
──禁煙でもするか。いつもより苦いタバコを、俺はゆっくりと味わった。
第13回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞して自衛隊ミステリー『深山の桜』で作家デビューしました。 プロフィールはウェブサイトにてご確認ください。 https://kamiya-masanari.com/Profile.html 皆様のご声援が何よりも励みになります!