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(総選挙総括4)「シン野党連合」は政権交代できなかった時から始まるもの。野党は粘り強く自民党に代わる「国家像」を議論すべき。

立憲民主党(以下、立民)の野田佳彦代表は、特別国会で行われる総理大臣指名選挙での自らへの投票の協力などを、他の野党に呼びかけた。

だが、日本維新の会(以下、維新)の馬場伸幸代表は、「大義や具体的な政治改革案がなければ、くみすることはできない」と述べた。馬場代表は、野田代表の要請をいったん党に持ち帰ったが、その後「首相指名の決選投票で立民に協力しない」と表明した。

国民民主党(以下、国民民)の玉木雄一郎代表は、「ずっと前から基本政策の一致が大事と言い続けてきた。それをしないで数合わせばかりやってきた。今更、協力をと言われても遅すぎる」という旨の発言をして他の野党を批判し、決選投票での野田代表への投票を否定した。

そして、こんなことになりました。

なんか、「1998年、小渕恵三内閣」の「丸のみ」を思い出した(笑)。

自民党(以下、自民)と国民民は、政権運営の柱となる予算編成や税制改正での連携を合意した。自公の連立与党に国民民主を加えた3党による事実上の「部分連合」の枠組みが形成される。

「2009年」ナシ→「2005年」デキナイ→「1993年」ムリ→「1998年」(?)と実に目まぐるしいことだ(笑)。

まあ、この流れは悪いわけではない。

これまでの、第二次安倍晋三政権以降の「自共連立」の政策決定とはなんだったかということだ。自民と「立憲共産党」が政策を巡って激しくぶつかっていた。これを、異論をぶつけ合うとてもいい政治だという人がいるらしい。大丈夫か(?)

まさか「ラウド・エクストリーム・ライト&レフト」(極端な左と右の少数派)から、サイレントマジョリティが「エクストリームだと言われるとは思わんかった(笑)。いやあ、すごいですね。

80年代以降の、新自由主義の時代とかのことを言ってるんだろうけど、あの時は、社会でフェアな競争というものが強調されるようになって、これまで競争に参加できなかった人が多数参加できるようになったんだよ。

その結果、競争に勝って成功した人がいる一方、多くの敗者を生んだわけだ。それで、格差が拡大したということになった。

その敗者を救うセーフティネットが未整備だったことはひはんされてしかるべきだ。だが、あの時代を思い出せば、決して多様性を排除したということではない。むしろ、従来より多様な人が競争に参加した結果だった。

あの時代なりに、より多様な人たちに機会を与えるようにしていたのだ。

私は80年代に地方から都会に出たが、以前に時代より明らかにチャンスを得てキャリアを築けた。それ以前の高度成長期の年功序列・終身雇用がガチガチの時代では、キャリアの形成は限られた範囲内であり、機会に恵まれていたと感じる。

それは、今の社会を「分断」と呼ぶのと似ているんですよ。「分断」にみえるのは、これまで排除されて、物言えなかった人たちが参加して、意見が多様化したから。基本的にいいことなのだ。「分断」と嘆くのは、既得権を持ったエリートだ。嘆く前に、新しい参加者をどう社会に入れるか、知恵を絞ることだ。

話を第二次安倍政権以降の「自共連立」に戻す。与野党の激しい対立があるのはいいという人がいるのだけれど、そんなことはない。罵声を浴びせ合うだけで、なんにもない政治だったではないか。

第二次安倍政権は、様々な重要課題を通してきた。「特定秘密保護法(2013年)」(第72回)、「安全保障法制(2015年)」(第115回)、「テロ等準備罪(共謀罪)法(2017年)」(第160回)、そして今国会で成立した「働き方改革法(2018年)」(第177回)「IR実施法(2018年)」などである。

これらは、旧民進党(現在、立憲民主党、国民民主党、無所属の会など)、社民党、共産党の「左派系野党」が、法案を徹底的に批判し、審議拒否したあげく、与野党間の協議が行われず、ほぼ無修正のまま強行採決で成立したという共通点があった。

例えば、「テロ等準備罪(共謀罪)法」でも、左派野党は、法案の「廃案」を求めて、国会で徹底的に抗戦した。また、国会の周辺では、反対を訴えている人たちが抗議の意思を示していた。しかし、与党は数の力を生かして強行採決し、法案を通してしまった。

この法案は問題の多いものだった。277ある処罰対象の罪のうち、テロに関連するものは110しかない。国民の大多数が不安に思っているのは明らかだった。だが、それらは1つも削られることなく、無修正で国会通過し、法律として成立してしまったのだ。

第二次安倍政権の重要政策の、国会審議から成立までのパターンは、ほぼ同じことの繰り返しだったと言える。

それは、選挙対策のために、「なんでも反対」を貫いてきた共産党との共闘という戦略を取らざるを得なかったために、左派野党が法案の存在自体を全否定して「廃案」を求めてしまったためであった。

それに反発した与党との間で、法案を修正する協議の場がなくなった。法案は、問題を抱えながらほぼ無修正で強行採決されて、国会を通ることになってしまった。私は、このような野党の「廃案追求路線」を「零点」と厳しく批判してきた。

このような、不毛な国会がようやく変わることになる。首相の権力が強ければいいのではない。穏健な議論によって、多様な意見を取り入れて、必要ならば修正してよりよい政策を練り上げていくことが大事だ。

それでも、玉木代表の政策ごとの「部分連合」路線に問題がないわけではない。

部分的に協力するというのは、結局、現在の「自民党政治」の社会の継続を前提として、問題があれば正していくという「対症療法」に過ぎないからだ。

だが、本当にこれからの時代、日本が世界の中で生き残っていくのに、自民党が作り上げてきた社会のままでいいのかということだ。

例えば、玉木代表が訴える「手取りを増やす」である。

その政策の中核は「年収103万円の壁」の引き揚げだ。アルバイトやパートの方などが103万円以上稼いでしまうと、「配偶者控除」や「扶養控除」を受けられず所得税の支払いが発生してしまう。

例えば、主婦や学生は親や夫の手取りが減ることを避けるため、働く時間をあえて抑え、収入を103万円に届かないようにしているのが現状だ。

この「103万円」を「178万円」に引き上げる。そうすれば、アルバイトやパートなどの人は178万円まで働く。手取りが増えるということだ。

いいことではある。今すぐ家計を助け、消費を増やす政策だ。だが、これは、本質的な問題解決にはなるものではない。

日本社会・経済の停滞の本質的な問題は、夫が働きて稼ぎ、妻が家を守るという社会のモデルに問題があるのではないか。結婚・出産によって女性は正社員の職を辞める。子育てを経て仕事に戻ろうとしても、多くは非正規となる。その結果、企業の女性管理職の数が世界の中で100位以下という状況だ。

この日本人の半数である男だけが労働力という「片肺飛行」であることで、日本経済は、潜在的な能力の半分しか発揮していない。逆に言えば、日本経済が本来の力を発揮するには、女性の社会進出が必須だ。

だが、「手取りを増やす」という政策は、この「片肺飛行」を前提として、家計を少し助けようというものにすぎない。要は、保守である自民党の「家族観」「社会観」を延命させるものでしかない。

それでは、現役世代、子育て世代は窮屈なだけではないのか。これで喜ぶのは、すでに引退しながら、昔、自分たちが成功した(?)あり方を若い人に押し付けて喜んでいる自民党支持の高齢者だけだ。

より、本質的に問題解決するには、「生涯正社員共働き」で世帯の収入を生涯にわたって増やしていくことしかない。まずは、年功序列・終身雇用の正社員を女性がやめないですむように、企業、社会がサポートするように。次に、ジョブ型雇用の導入で、出産・子育てから戻る女性が、正社員で中途採用される道が開かれるようにしていく政策がより重要だ。

これは、自民党が築いてきた社会の限界を認識し、それを構造的に変革することになる。政治は、現状を前提とした短期的な対症療法だけを考えるだけでは不十分だ。世界の急激な変化、厳しい競争に対応するために、中長期的な日本をどう変えていくか、「新しい国家像」を示さなければならない。

特に、それは野党の役割なのだ。

戦後の日本政治は、「野党の理想」「自民の現実」の組み合わせでやってきた。のちに社会党の政治家になる官僚が立案した戦後の「農地改革」に始まり、福祉、環境を「革新自治体」が実行し、自民党が全国の政策とした歴史、近年でも民進党代表だった前原誠司氏が主張し始めた教育無償化を安倍政権が選挙公約にしてしまうなど、野党の理想を、自民が現実に落とし込み、予算をつけて実行してきたのだ。

つまり、今の政治の問題は、野党が衰退しすぎていたために、新しい政策課題に「理想」を提示されることがない。いきなり自民の「現実」から入るから、世界と比べて「Too Little(少なすぎる)」「Too Late(遅すぎる)」「Too Old(古すぎる)」となってしまうのだ。

無党派、サイレント・マジョリティが世論調査によっては実に6割を超えるとされ、今も増え続けるのには、この状況に対する国民の不満があるのではないのか?

与野党伯仲の状況が生まれた今、政権交代がなくてもやらなければならないことは、野党の「理想」の復活だと思う。

そのために、首相指名が「野田佳彦」にならなかったからといって、それで野党の話し合いは終わりではない。むしろ、ここからが「シン野党連合」形成のスタートではないだろうか。


立民と国民民は、「政治改革」で協力することで一致したというが、それだけでは十分ではない。維新・馬場代表が言ったようにもっと大きな「大義が必要だろう。それは、自民党とはまったく異なる

「国家像」

を野党が示すことだ。

私は、それは「地方主権」だと思っている。かつての民主党や維新が主張したことであり、古い言葉なので、令和風に直した方がいいが、いまひとつ思いつかないので、今日はこの言葉を使う。

どうなんだろ?例えば英国の「グローバル・ブリテン」に似せて「グローバル・ジャパン」(?=笑)。グローバルは嫌う人も多いから、「グローカル・ジャパン」(?=笑)。もうちょっとほしいな。誰か、いいアイディアがあったら教えてくださいませ(笑)。

なぜ、地方主権かというと、結局、自民党政治の問題はどれも中央集権の弊害に行きつくし、自民党への明確な対立軸になるからだ。

私は「シン野党連合」が打ち出すべき「三本の矢」を提示している。その一本目の矢が地方主権だ。2,3本目の矢もそれに関連している。

ただ、私の考える地方主権は、これまでの民主・維新のものよりラディカルです(笑)。以下、ちょっと長いけど、大事なので上記論考から引用し、まとめます。

「地方主権」を掲げる政策では、単に国から地方への権限移譲を進めるだけでない。これからの時代は、地域同士が国境を越えて直接結び付き、経済圏を築く「コンパクト・デモクラシー」が当たり前になっていく。その動きを加速させるのだ。

例えば、関西・九州・四国などの地方都市に経済特区を設け、外資を呼び込み利益を上げる。日本の各都市が、シンガポール・香港・上海といった成長著しい国や地域と直接結び付けば、経済成長のスピードは加速するはずだ。

現実化できるかはさておき、現在の日本では当たり前の「中央政府が地方を規制で縛り付け、全てが首都に集中する経済システム」に疑念を呈する活動を、もっと大々的に行ってもよいのではないか。

これはラディカルでしょう。保守派などがグダグダ言うかもしれませんが、ラウド・マイノリティを除けば、多くのサイレント・マジョリティの腑に落ちると思いますよ。

日本という小さな島の中で固まって、過去の遺産で食べていく「老人国家」となって衰退していくか、成長し世界の文化・経済の中心となっていくアジアの中で、確固たる地位を占めていくか、という選択だ。

「第二の矢」は「地方を巻き込んだ政治改革」である。自民党を揺るがす「政治とカネ」の問題は、国会議員の地方での活動量の多さが根底にある。かねて国会議員は選挙で票を得るために、地元の支援団体・地方自治体・地方議会議員など、さまざまな地元の支持者に便宜を図ってきた。

約30年前に「選挙制度改革」が行われた。だが「小選挙区比例代表並立制」の導入後も、国会議員の活動が地元中心から議会中心へと変化することはなかった。それどころか、議員と地元の関係はより密になった。議員は政治資金のやりくりに苦しみ、派閥や地元の指示に従って、抜け道を探して裏金を受け取るなどの行為に走らざるを得なくなった。

「政治とカネ」の問題の解決には、1990年代の政治改革がやり残した「議員の地元活動」の縮小が必要だ。そうでないと、地元対応にカネがかかる状況は変わらない。議員は新たな錬金術を考え出すことに必死になるだろう。

そうした観点からも、「地方のことは首長・地方議員が担う」「国会議員は地方から切り離され、国会での政策立案に集中する」といった、地方を巻き込んだ大胆な切り分けが必要だといえる。「第三の矢」は、「地域に応じた育児・教育支援」である。

大阪府知事・維新共同代表の吉村洋文氏は、大阪市長時代の2018年に、大阪市の待機児童を「325人→37人(旧基準に準拠。新基準では67人)」に激減させることに成功した。一方、当時の自民党は「待機児童対策よりも教育無償化」を志向し、優先順位が逆だと一部で猛批判された。

今思い返せば、当時の待機児童は都市部に集中していた。自民党が「集票基盤」とする地方の多くでは保育所には空きがあり、都市部と比べると待機児童は少なかった。ゆえに、自民党は「無償化」を優先したと考えられる。結果、中央集権国家で地方の事情が考慮され、首都圏や主要都市での待機児童問題が改善されないという逆転現象が起きた。

これこそが「全国一律」の自民党政治の限界ではないだろうか。その状況を改善するに当たっては、教育関連の施策も「地方主権」の下、各地域がそれぞれの課題に応じて推進するべきだといえる。

なお、維新は2024年度から、大阪府内の高校を対象とした「授業料完全無償化」に踏み切る。この施策を決定した昨年には「拙速」との批判が出たが、地方で独自に財源を確保し、国に先行して教育支援を進めることは注目に値する。政策の財源を中央から地方に移転し、地方の自主財源を増やすことができれば、岸田政権で強まる「財務省支配」への対抗策や、将来の「増税」の不安への対案にもなる。

総選挙で、全国的に不振だった維新だが、大阪では小選挙区で全勝したのは、こういう実績の積み重ねへの評価がある。

このように、地方主権を軸として自民党と異なる「国家像」を練り上げることを軸にして、協議を粘り強く続けていくことが重要だ。

「シン野党連合」への取り組みは、ここからがスタートでなければならない。自民党の社会・政治を延命させる中で、すこし利益をもらうだけでは、若者・現役世代のサイレントマジョリティは、結局失望してしまいますよ、玉木さん?(笑)

総選挙の総括を、これで終わります。








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