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上久保の理論(2):社会は「分断」などしていない:排除されていた層が政治参加できるようになった。

現在、再三にわたって指摘される社会の「分断」について考えてみたい。筆者は「分断」という表現が好きではない。現在、世界中で起こっている「ポピュリズム現象」は、「分断」ではなく、むしろ、政治から排除されていた層が、政治に参加できるようになったことの現れではないだろうか。
 
その彼らが、既存の政治に参加できていた層と政治的利益を巡って争うようになったので、対立が深まっているように見える。だが、そもそも排除されていた人たちが参加できることが悪いことであるはずがない。
 
実際、ドナルド・トランプ前大統領は、政治から排除されてきた「ラストベルト(さびた工業地帯)」の白人労働者に政治的主張をする場を与えた側面がある。これは、正当に評価すべきことである。
 
また、英国では「EU離脱を巡る国民投票」を通じて、保守党・労働党どちらが政権を担っても都市中間層の票を狙って「新自由主義」的な政策が続き、忘れられた存在となっていた労働者の怒りが顕在化した。
 
ボリス・ジョンソン元首相は、新自由主義的な政策を修正し、大衆向けのパフォーマンスを交えて訴えることで、2019年12月の総選挙で保守党支持を固めるだけでなく、労働党の支持基盤も切り崩して大勝した。これは、英国社会を「分断」と呼ばれた状態から脱却させたのではないか。
 
米国のことで気になるのは、ジョー・バイデン現大統領が大統領選に勝利した時、その周辺から「狂気のトランプ政治からの米国の再生」というような発言が聞かれたことだ。それは、トランプ大統領によって排除されたエリートが、ようやく政治を取り戻すことができるニュアンスがあるように聞こえた。
 
確かに、トランプ大統領には「狂気」の側面があった。だが、ラストベルトの白人労働者の政治的な声は「狂気」ではない。むしろ、エリートにはわからない、庶民の「生活」に根差した切実な訴えと考えるべきではないだろうか。
 
仮に、バイデン氏が大統領に就任したとしても、ラストベルトの白人労働者を政治から再び排除することはあってはならない。それこそが社会の「分断」を招くことになるのだ。

筆者は、ポピュリズム現象についての通説にくみしない。ポピュリズムで「分断」が広がったわけではないと考えるからだ。元々、「エリート・都市中間層による、労働者の政治からの排除」という社会の「分断」状態があったのではないだろうか。
 
ポピュリズムが、「分断」を深めたのではないということだ。むしろ、ポピュリズムはこれまで排除された多くの人に、政治参加できる道を開いた側面がある。
 
ポピュリズム現象は、社会が「分断」から脱却し、排除される人がいない「融合」に向かっていく過渡期的現象なのではないだろうか。そして、これから始まるであろう「ポスト・ポピュリズム」の時代は、真の意味ですべての人が政治参加できて、すべての人が政治的利益を分け合える時代としなければならないのだ。
 
参考論考 

 


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