第四話 日向の女(大人の切ない恋愛短編集(官能小説) 1)
【18歳未満の未成年が読むには不適切な性的表現が随所に含まれる官能小説です。 切ない恋愛短編集のそれぞれの話のアフターストーリーになっています。切ない恋愛短編集「第四話 報われない恋」を読んでからこのお話を読むと更に味わい深いと思います】
幸子は自分の名前が嫌いだった。幸せな子になってほしいと願いを込めて母がつけてくれたのに、幸せとは程遠い生き方をしている。
彼女が夢見る幸せは平凡なもの。愛する夫と子どもがいる、それだけでいい。どこにでもある普通の家庭を築きたい、それが彼女のささやかな願いである。
幸子は父の顔を知らない。生まれた時からいなかった。母の美千代と二人暮らしでも寂しくはなかったが、父母が揃う友人たちに対しては少し引け目があった。
だからと言って、母を恨む気持ちはない。感謝こそすれ、少しも恨めしい気持ちなどない。女手一つで育ててくれた母を尊敬しているのである。
母の気持ちに応えたいと、早く幸せになりたいと思った。愛する男性と素敵な家庭を築く事が、一番の親孝行だと思っていた。しかし、彼女には男性運が乏しかった。街の占い師に観てもらうたびに、同じ言葉を聞かされる。
「家庭運に恵まれないようです」
判で押したように、同じ言葉の繰り返し。信じやすい彼女は、占い通りの人生を生きてきた。
占い師が正しいのか、それとも彼女の思い込みの故にそうなるのか。楽天的な性格とは言え、自分の未来予想図に明るい色を加えるのはさすがに難しいと考えるようになった。
だからこそ、彼の言葉を簡単に信じる事は出来ない。
「いつか妻と別れて、君と結婚するつもりだ」
口では何とでも言える。良い事ばかり言っても、どうせ裏切られる。男は嘘をつく動物。今まで何度も同じ目に遭ってきた。
年頃の娘がいる四十代後半の男。彼は幸子が好きな小説の作者。自宅から離れた場所に仕事場としてアパートを借りている。幸子の母が営むバー「さちこ」に客として訪れてから、彼女と付き合うようになった。
彼のファンだった幸子は食事を作ると言う名目でアパートを訪れるようになり、出会って三日目の夜には男女の関係になった。
妻と子どもがいる男を好きになっても報われるはずがない。頭ではわかっていても、感情には逆らえない。占い通りの生き方しか出来ない自分を肯定する幸子だった。
「幸子、今まで待たせて悪かった」
午後十時過ぎ。アパートを訪れた幸子が玄関を開けた途端、先生に言われた言葉。待っていたのは先生なのに、何故そう言うのか意味がわからない。
「さあ、早く入って」
笑顔で急かす先生。幸子はきょとんとしながらも中に入る。
「焼酎飲むか? 暑いからロックにしようか」
夏でもお湯割りの先生にしては珍しい。そう思いながら、黙って頷く。
「今夜はお祝いだからこれにしよう」
なかなか手に入らない幻の焼酎をグラスに注ぎ、氷を入れて幸子に手渡す。夜になっても暑さの残る中、自転車を漕いでいきた幸子の額には汗が滲んでいる。彼女は軽くお辞儀をして、コクコクと喉に流し込んだ。
「とても美味しいです。先生もどうぞ」
一杯の焼酎を分け合って飲む。それが二人のやり方。先生はグラスを受け取ると、男らしく一気に飲み干す。再び焼酎を注いで幸子に飲ませると、残った半分を喉に流し込む。そんなやり取りを数回繰り返してから、先生が口を開く。
「妻と離婚する事になった」
幸子の目を見て話す先生は、先程までの上機嫌な顔から一転して真剣な表情である。
「幸子、長い間待たせて悪かった」
幸子の手を取る先生。その手は、冷たいグラスに触れていたのに温かい。
「娘が成人になり、お互い自分の人生を生きようと言う事になった」
無口で多くを語らない先生。その言葉一つ一つに重みがある。
「妻は、一人で自由に生きたいらしい」
先生が幸子の手を引き寄せる。
「僕は、君と一緒に生きていきたい」
幸子の手にキスをする先生。
「先生……」
幸子の瞳に涙が滲む。気を抜くと溢れ出してしまいそうで怖い。泣かないように奥歯を強く噛みしめるが、その抵抗も虚しく大粒の涙が零れ落ちる。
「泣くなよ」
頬を伝う涙を先生が手で拭う。
「さあ、おいで」
幸子の手を引いてベッドに誘い、立ったまま熱い口づけをする。いつもと変わらないはずなのに、今まで感じた事のないほどの刺激が幸子の脳に伝わる。ぼんやりとした幸せが、ようやく形になろうとしている。まだ掴んではいないが、もうすぐ手が届く。
過去の記憶が走馬灯のように蘇る。幸せが嘘のように思えて、死んでしまいそうな感覚に陥るが、先生の息遣いが確かな生を感じさせる。先生の手によって幸子の身を包むもの全てが取り払われ、彼もまた着ている全てを脱ぎ捨てる。
出会って三年目の二人。何度体を重ねた事だろうか。その全てを思い返してみても、今この瞬間に勝るものはないと幸子は確信する。二人にとって今日が初めてでありスタートなのだ。初めて先生に抱かれているかのように錯覚する。
立ったまま抱き合う裸身の二人。キスをしながら幸子の顔に添えられていた先生の手。その手が首から肩に届き、滑らかに滑り落ちる。それが背中に回っていって、強く彼女を抱きしめる。幸子の柔肌に先生の指が食い込む。
「ああっ……」
性感帯には触れていないのに、体の反応に吐息が漏れる。その声が、先生の性欲を刺激する。男は視覚、女は聴覚で恋をすると言うが、先生は聴覚の刺激にも敏感である。幸子との交わりが、小説創作のヒントになる。
「幸子は敏感だな」
耳を齧るほどに唇を近づけ、ぼそりと囁く。それは正に重低音の響き。高性能のスピーカーから出力される音が腹の底まで届くように、耳から入った先生の言葉が彼女の愛芯部まで届いたとして不思議ではない。彼はそれを知ってか知らでか、囁きの魔法を自在に操る。
先生の離婚が成立したなら、この関係は不倫ではなくなる。独身同士のどこにでもある普通の付き合い。日陰の存在から、晴れて日向の女になる。心の片隅で淡い期待を抱きながらも、半ば諦めていた事。それが叶う喜びが、彼女の性感をより敏感にさせるのかも知れない。
もう立ってはいられない幸子をベッドに寝かせ、先生の愛撫が始まる。既に全身が性感帯になっている彼女には、どこを刺激されても絶頂を迎えるより他に術がない。恥じらいを覚える間も無いほどに、淫靡な言葉を叫ぶ。
幸子の乱れる姿が先生の本能を刺激したのか、男の部分がむくむくと音を立てて伸長する。下腹部の近くでそれを感じた幸子は、訪れの時を今か今かと待ち望む。
体全体にくまなく舌を滑らせ、乳首を舐めて乳房を充分に揉んだ後、彼女の花弁に手を当てる。先生に触れられるだけで、電気が走ったかのように足が震える。
そんな幸子の女の部分を労わるかのように、優しく唇でキスをする。先生の唾液で潤す前から、愛液がふんだんに溢れている幸子だった。
彼女がそれを欲しているのはわかっている先生は、ゆっくりと時間をかけて挿れていく。出たり入ったりを繰り返しながら、時に角度を変えてみる。
先生の男の先端が蜜壺の中の敏感な部分に当たるたびに、恍惚の表情を浮かべる幸子。
若い彼女の要求に応え、様々な恰好で交わる二人。その間に幸子は、何度絶頂を迎えた事だろうか。もう誰に遠慮する必要もない。先生は私のもの。無我夢中になりながら、幸子は女の幸せを実感していたのである。
翌朝になって自宅に戻った幸子は、母に向かってこう言った。
「先生、離婚する事になった」
母の美千代が驚きの顔を見せる。
「先生が離婚? 本当なの?」
「うん。私と一緒になってくれるって」
満面の笑みを見せる幸子に対し、美千代の心は複雑だった。二人は二十歳近くも年の差がある。自分とさして年齢が変わらない男が義理の息子になる。そんな思いを抱きながらも、一方では娘の幸せを祝福してあげたい。
「そうかい。良かったね。幸せになるんだよ」
そう言って、自分より背が高くなった娘を抱きしめた。
※実は「大人の切ない恋愛短編集(官能小説)」を始めたきっかけは、この話のアフターストーリーを書きたいと思ったからです。いつか、幸子と先生を一緒にしてあげたい。ずっとそう考えてきました。
「切ない恋愛短編集」は切ない話ばかりですが、それは人生の一部分であって全てではありません。皆さんの中にも、ちょうど今、切ない恋愛をしている方もいらっしゃるかも知れません。
でも、別れがあれば出会いもある。片想いの恋がいつか実る日も来る。私はそう信じています。
大人の切ない恋愛短編集(官能小説) 1
第一話 男の後ろ姿
第二話 夏の日の公園
第三話 懐かしい再会
第四話 日向の女
第五話 先輩が彼女
第六話 二人で掴んだ幸せ
第七話 初恋の人
第八話 彼女が帰る場所
第九話 十年越しの恋
第十話 昼下がりの誘惑
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