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HSPを知るまで【2】

覚えていない

次女が退院して来てしばらくは本当に神経を最大限に尖らせて生活していた。
なんでも聞くからねと言ってあったので、どのタイミングで何を話したくなるか分からないし、量は減ったとはいえ精神科で出た薬はよく眠らせる分、怠く残り、気力を奪う(いや落ち着かせると言うべきか)。昼間飲んでいる薬も眠気が出るので1日中、ぼんやりしている。

夜中にふと出て行ってしまう日もあった。
もう生きられないと言って。
とにかく苦しいと言って。

玄関の鍵がガチャリと鳴ると飛び起きる。
すぐに追って腕を掴んで引き戻して話しをする。

その気持ちは分かる。自分もそうだから。
死にたいのではなく、消えたいとか、もう楽になりたいと思ったりする。
もう頑張って来たよ。頑張ったよねと思ってしまう。
一人の人間としてそう言う感情になるのは深く理解出来てしまうのだけど、親としては認められない。
自分の娘が悲しみ、苦しんでいると知っているのに死んだとしたら、その後、ママは生きられないよと伝えた。
楽になれたんだなんて思えない、救えたはずだとずっと悔やむと。

次女は、弟がいるんだし、夫がいるんだからママは生きてないとダメだと私に言う。必要とされているんだからと。

じゃあママがあなたを必要としているんだから生きていてよと言う。
同じことを何度も何度も言い合った日々。

頼むからこの言葉が染み込んで次女を包み守りますようにと祈りを込めて肩をさする。背中をさする。
その繰り返し。

世間でいう『命の大切さ』なんて分かっている。
自分たちより大変な人が居る事も、生きたくても生きられない人が居る事も、百も承知。
それでも尚、どうしても生きる気力が欠落している時、言葉は無力だ。

甘えだの、現実を見ろだの、普通に暮らせることに感謝しろだの、そんな事も百も承知。
小さな幸せをありがたいとか嬉しいなと思える感性が少しでも残っていれば踏みとどまることが出来ても、幸せと喜びを心から締め出している時期はただひたすら苦しく悲しいだけ。
そんな事も分からずに一般論で攻め込んで来る人が羨ましいくらいだった。

そして一瞬の衝動で死んでしまう事があるのも知っている。
だから、どうしても引き止めたい親にとっては、せいぜい神経尖らせて、どんどん心にたまった澱を吐き出させる作業に没頭するしかなかった。
本来のこの子を知っている者として、諦めたくはなかった。

育って来る中で不安だった事、辛かった事、大人になっても困った事…。
次女の想いを聞く度に、後悔と反省の繰り返し。

私だって分からない!と言いたくもなったけれど、ただ受け止めて、その時は確かに私の判断が、対応が間違っていたと思った事は、ごめんね、そう思ってたんだねと謝った。
そして自分の育って来た環境についても話し、だから自分は、子供に対して好きなように話をさせ、好きなようにさせて来たと。

ただ、ミスったなと思うのは、「後悔の無いように、自分で決めなさい」と言い続けていた事。
そして「我慢は美徳じゃないからね、そこに居て自分の尊厳が守られないと思ったらすぐに逃げなさい、自分の心が削られてからじゃ動けなくなるから、余力のあるうちにね!」とも。

私としては自由に自分で選択し、尊厳を奪われるような場所、人と関わるくらいなら余力がある内に次へ行けと言うエールでもあった訳だけど、優しく、悩みがちな次女にとっては自分で決めるのではなく、『相談』を望んでいたのだと知る。

それに気づいた時、
「ぎゃーーーそっちかーーーい!」
と、もう心底後悔した。

私と長女は似ていて、割と『自分で決めたんだし、まぁしょうがない!』と開き直るのも早い。
でも次女は繊細で周りに合わせて、場の空気にいつも気を使っていた。
なかなか縄跳びの縄の中に飛び込めない子の様に、ぐるぐると回る縄を見つめ続けて、自分のタイミングを逃し、諦める。
何かあったら声を掛けてねと言って来たけど、違った。
常に、相談したかったんだ次女は。
「これどう思う?」って。

もう衝撃!
そうだよ、みんながみんな自分の様な考え方じゃないんだし、他人のニーズに応えるばかりじゃなく、何より我が子のニーズに応えて来てないじゃん!と激しく後悔。

子育て向いてないのに産んで悲しい想いをさせて育てたのかと落胆した。

ーーーーーーーーーーーーー

確認の為、今日、ずっと見られなかった当時のノートを開いた。
次女が生きられないと言って来た数ヶ月前に、私は何かがおかしいと書いている。
次女がペラペラと軽い話し方をしていて気になると。

そしてその後、怒涛の緊急入院、引越しとなるのだが、その際に私の妹夫婦が動いてくれていたり、単身赴任中だった夫が急遽帰国したりとかなりな騒ぎ。子持ちの長女まで駆り出されている。
警察、役所、病院…それまで滅多に関われないと思っていた方々とも深く話したりお世話になったりしている。私はほぼ覚えていない。
読んでみて、あぁそういえば!と。

今更ながら、みんなに助けて貰ってたんだ、良かった!と思った。
私は本当に人に助けを求めないし、自分の判断を信じてやって来た。
相談して重荷になりたくない、答えが違ってがっかりしたくない、何よりカンで行きたいとかいう建前の元、実は常に何かを恐れていた。
失望したりショックを受けない様に自分を守る方法が、『早くもの事を流す、次をみる、先を見る事』。
足元をみてしまったら怖いから、危険だから。

うわーん、嫌だー、どうやって逃げよう…さっさと決めちゃおう!
…みたいな。

でもその時は息子が高熱を出していて私がどうにも行動出来ず、妹に託したんだった。
そして夫も、必要であれば帰国すると連絡をくれたので引越しさせたいから頼むと。
長女は次女が実家に戻るのを嫌がる可能性があるから付き沿うと言って妹夫婦の車に同乗してくれた。

良かった、夫も関わっていた。そうだった、次女はわざわざ海外から駆けつけた夫を見て泣き、夫もまた、元気そうで良かったよと言って泣いたのだった。
あの時はみんなで助けた。みんなが次女を助けたいと思ったんだ。
メモを残しておいて良かった。

私の妹は人間的なバランスが取れていて、子育ても上手だった。
愛情の掛け方、手の掛け方、叱り方。それを見るたびに、私は軽くショックを受けた。
私は親に育てられたように、娘達にも接してしまった気がして。
自分が嫌だった事は娘達にしないように気をつけていたけれど、プラス愛とか手はどこまで出したら良いのか要領分からなかった。

次女が退院し、色んな話しをする中で徐々に動き出そうとし始めた頃かな。友達と会って来たり、ほんの少し、出掛けたりして。
不在の次女に送ろうとしたLINEを間違って妹に送ってしまったのだけど、すぐさま妹から連絡があり、
「こんなのね、本人に直接、顔を見て言わないとダメだよ!」
と言われた。
やっぱり妹はすごいなと思った。私は逃げていたんだと思い知る。

内容としてはただ、お小遣いを部屋に置いておいたよという内容なんだけど、私は直接、顔を見て言ったら、次女がどんな顔をするのか想像出来る。アラサーにもなって親からお金を貰う自分を恥じるだろう、ありがとうと言うのも苦しいだろう。
そう思って、居ない時間にそっと置いてLINEしたのだ。

でも妹ならそうしない。なぜなら、今、体調を崩して働けていないのだからお金は無くて当たり前、そして弱っているのだから親から貰っていい!恥じるな!と言う強い思いがあるから当たり前にさっと渡せるのだ。

そんなことすら出来ない自分に心底引く。
悲観というより、なんで変なところは気にするのに、大事なところに注げないのか。
全くゲンナリする。

手加減なしで、自分の想いをストレートに手渡す、不穏な空気が流れたら話し合う。当然の事を日常にしようと改めて思った。

色々と思い出す事が出来て、もう必要以上に緊張することはないと、ちょっとホッとした。

次女が入院中に書いていたノートも一緒に保管してあり、それは次女が退院してしばらくしてから
「不思議な人がたくさん居たからノートに書いてみた。何かお話しのネタにでもなりそうだよ」
と渡してくれたもの。

当時は日常の次女の心のアップダウンに右往左往するばかりでしっかり読んでいなかったのだが、読み直して思わず笑ってしまった。

何でもかんでも歌にしてしまう陽気なおばさんの事、常に「バカヤロウ」と言いまくっているおじいちゃん…将棋を教えたがるおじさんなどなどのクセ、対応策メモ。
どんだけ観察してるんだよ!と。

ぼんやりとしたり泣いたり、訴えたり、とにかく濃密な時間が過ぎて、徐々に仕事を始めてみたり、また辞めたり。
私は仕事場まで送ったり、迎えに行ったり、やり過ぎかと思う程だけど、本人がもういいと言い出すまで、世話を焼こうと決めていたのでとことんやった。

この子に欠落しているのは、しつこい程に愛されているという自覚。

私はとにかく家に居て、次女が眠る時間帯はずっとパソコンで検索をしていた。
元々、何か引っ掛かったり、不思議だと思うと、とことん調べたい派。
なので、眠りの浅い次女に何を食べさせたらよく眠れるかとか、お酒の力を借りて寝ようとするのはダメだとか薬はいつ飲めば良いかと、やたらと調べていた。

その中で多分、ウツの様な、そうでない様な、発達障害の様なそうでない様なと調べていて『HSP』に行き当たったのだろうと思う。

それすら覚えていない。

ただ、当時、ブログの記事でHSPを調べてはいないので、ブログで探せば皆川公美子さんが2019年には既にメッセンジャー講座を開いていたし、たくさんの記事にしているので近道だったと思うのだけど、私は検索から行き着いた『HSP』について書いてある本、しかも博士、エレイン・N・アーロンという人の書いた本を読みたい!と思ってしまい、これまた検索しまくって購入した。

これを知ったらもっと次女の事を理解出来るはず!という静かな確信と、これってアタシもだったんじゃん!という脱力感とがあった様に思う。

今にして思えばという事がたくさんあるのだけど、この様にしか HSPにたどり着かない不器用さ!

はーーー長い!長すぎる!
ここまで詳細に書いて誰かの為になるのだろうか?と疑問にも思うが、書き始めてしまったので続きます。

読んでくださってありがとう!
ではまたね!

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お日様にヴェールの様な雲!
辿り着けない、もどかしい美しさ。

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