見出し画像

「箱」と対峙するーモノのメディア論ー

こんにちは.
秋なので先日のゼミで研究の骨格をサンマの骨に喩えたら,「なんでサンマ…?」とあっさりツッコまれてしまった院生です.
前回「箱」と対峙する-序-として第一弾

を書きましたが,続きの私が表象文化論の研究室にお邪魔した時の話を具体的に書いていこうと思います.

 さて,キャンパス間バスに乗って20分ほどして到着したのはメインキャンパスとも言える,大きなキャンパス.私の所属する学部は学部1,2年まではこちらのキャンパスに通っていた.私の所属する学部,そして看護,健康福祉系の学部以外は全て4年生までこの大きなキャンパスに通うことになっている.
 なので所謂メインキャンパス,本キャンパスと言うのか….ここでは長いのでMキャンパスと記述する.私は3年,4年,留学直前追い込み前も教養学部にあるフランス語の授業を履修していたため,自分の所属キャンパス(Hキャンパス)とMキャンパスのダブルキャンパスをしていた.

 前置きはそれくらいにしておいて,本題だが,今回表象文化論の先生にお会いして意見交換をさせていただく機会は初めてだった.修士の時にはマーケティング分野で経済学部に一度伺ったことはあるが,なかなか自分の研究で他領域の先生の元へ行くこともないので緊張していた.一番緊張したのは多摩美のグラフィックの先生の元へ機械学習とグラフィックについてのお話を伺った時だろうか.その時と同じくらい緊張した….こう書いていると自分が緊張しいのような感じがするが,本番に弱いタイプなので自分でも緊張しいだと思っているのかもしれない….
 とりあえず到着したけれど,約束まで少しだけ時間があり,通い慣れたフランス語文学科の教室と同じ棟で同じ階だったので顔を出してきた.そこでいつもお世話になっているフラン語文学科の事務局の方と教授,後輩と立ち話をしていたところ,ひょっこりトイレから「今表象の先生って呼んだ?」と顔を出したのが,約束をしていた先生ご本人だった.

 表象文化論にはなんとなく親近感はあった.学部時代に所属していた軽音サークルの先輩や後輩に表象の人はいたし,学芸員課程の授業で表象文化論の先生が担当していた授業は映像だったので非常に面白かった.その先生のおかげでブラザーズ・クエイやヤン・シュヴァンクマイエルの不思議な世界にどハマりしてしまって,ブラザーズ・クエイに関しては松濤美術館での企画展に酔いしれて図録を買って帰ってニヤニヤ眺めているくらいである.今考えてみれば,それもミニチュアのような箱の中の世界のアニメーション,動画作品であるように感じる.
 そして今回お話を伺ったのは聴覚文化論を研究されている先生で,現在所属している研究室の助教と同じ学会にいらっしゃるので助教にも指導教員にもまずは表象の先生のとこ行ってこよう!とのことで,話は聞いてみたいけれどなかなか迷っていた私の背中を押してくださって伺いました.先生方は非常に,面白い.というのも,先生方は本当にその世界のトップに立つような自分の専門を持っていらっしゃるので,いつも私のような他領域の生徒の話を聞いてくださる際に必ずと言っていいほど(私の助教も指導教員もそうですが)「自分の専門じゃないのでアレなんですが…」といった(風な)言葉を文頭において話される.
 どうやら仮説ではなさそうだ,と定量的に感じているところではある.そして話始めてしまえば,先生の膨大な知識量が露わになる.先生の専門は専門である.それは正論なのだが,その専門に至るまでに先生は多くの知識を持っており,それが土台となって先生の専門となっているのでその基礎知識として,表象文化論の領域の話を聞く私にとっては到底及ばぬ存在だと思い知らされる.

 肝心の「箱」について,私の意見交換時の段階だが思っていることをモニョモニョ…と話し出すと,私の我儘を受け止めてくださった上で,表象文化論,とりわけ視覚文化論を見てみてはどうだろうか,と提案をしてくださった.細馬宏通先生の『浅草十二階』から松浦寿輝先生の『知の庭園』など著書を教えていただき,そしてJoseph Cornellという箱作家について,図録が重版かかったよ,など次から次へと名前が上がり,私はその先生方の名前と著書のメモをとるので精一杯だったほどだ.
 そして少しかじっていた社会学分野のベンヤミンやボードリヤールが気になっているということや,消費社会論など含め,箱という1つのテーマからどんどん溢れ出てくる先生の会話のヒントを拾っていた3時間だった.

 結果として,表象文化論を入り口として,現在一次資料として収集している新聞広告などを見ながら当時の箱の需要について纏めていることから,「1対1」であった商品のやりとりがいつからか「1対n」という情報発信に関わることからメディア論的観点で近代の日本国家のモダニズム,特に印刷技術の発展を見ることで従来のデザイン史とは違ったアプローチでのパッケージデザイン研究ができるのではないか.そこまでの研究計画の骨格は作りあげられた
 今週末のマス・コミュニケーション学会にも参加,公聴しに行きます,ほぼほぼ入会するのを決めている.この学会もそうだが,表象文化系の学会や現在所属している大正期の学会についても,ほとんど自分で探り当てたか自分の所属以外の先生から教えていただいた学会ばかりなのが事実である.

 方法論や研究の進め方は指導教員やその研究室に即すとしても,取り扱う専門は博士となれば皆違ってくる.同研究室のD3の先輩も専門は全く違う.修士と博士の違いは中間発表時の空気感や日頃の研究活動で恐ろしいほどにもう体感している.その一方で,勉強しなければというよりかは,自分にこの分野の勉強が必要だから勉強しようという気持ちの方が強い.そしてそれを知るためには自分の所属領域だけでなくて一度外に出てみてもいいのかもしれない.今まで自分の所属領域では一回も聞いたことのない先生の名前や学会名が出てくるし,自分の関心に近く,世界はまだまだ広大だと感じた.

 そういった成り行きで,昨日のゼミでは研究の骨格を作り上げることができ,これから肉付け段階に入る.それにあたってどの分野をどのくらい勉強しておかないといけないか,専門は違えど同じ方法論の方と話した時に理解できていないといけないのか.そういうことも考えさせられた.
 ここから私は少しスピードアップして勉強していけると思う.そして箱との対峙というタイトルにも関わらず,また具体的な話ではなくただの訪問記になってしまった….

 次回最終回にて「箱」を実際に観察してみた結果の話を修士研究のことも含めて本当に具体的な「箱」の話を一記事丸々書いてみたいと思う.今はあと研究計画書と勉強をすることでまたモチベーションを保ちたい.

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?