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実力も運のうち 能力主義は正義か?

マイケル・サンデル教授の「実力も運のうち 能力主義は正義か?」を読んだ。

考えさせられると同時に、自分の会社の事業が目指す世界ととても近いものを感じたので、ここにまとめておきたい。

所得階層の固定化

公式の紹介文はこちら。

ハーバード大学の学生の三分の二は、所得規模で上位五分の一にあたる家庭の出身だ。にもかかわらず、彼らは判で押したように、自分が入学できたのは努力と勤勉のおかげだと言う――人種や性別、出自によらず能力の高い者が成功を手にできる「平等」な世界を、私たちは理想としてきた。しかしいま、こうした「能力主義(メリトクラシー)」がエリートを傲慢にし、「敗者」との間に未曾有の分断をもたらしている。この新たな階級社会を、真に正義にかなう共同体へと変えることはできるのか。超人気哲学教授が、現代最大の難問に挑む。

アメリカという国は、チャンスが平等に与えられており、努力をすれば報われるといわれているが、まずそれがそうではない、というところから話が始まる。

富は実際には固定化されており、豊かな家の子供はよい大学に入ることができ、よい大学に入ることがその後の成功につながっている。ヨーロッパや日本よりも、世代による豊かさの固定が進んでいるのがアメリカである。

ここではアメリカの問題を指摘するために、日本や北欧に比べて~といった論旨が展開されてもいるが、国の間の差異はあまり意味はないと思う。むしろ全世界でそのような固定化が進んでいることに問題があるといえるのではないだろうか。

OECDのデータによると、日本が他国に比べて所得格差の世代による流動性が高いのは事実のようだ。一方で、富裕層は引き続き富裕である傾向が強固といえる。

社会階層のエレベータは壊れているのか? OECDレポートより

平たく言ってしまえば、金持ちの子は金持ちで、貧乏人の子は貧乏だ、ということだ。そしてそれは学歴というフィルターを通して実施されている。

本書では、その仕組みについても細かく解説されており、たとえば寄付金を多く拠出できる親の場合は合格率が上がる仕組みであったり、卒業生の子供を優先して合格させる仕組みなどがつまびらかにされている。

能力主義の罪

そして本書で主張されているのは、その結果に対しての人々の態度である。実際には極めて不公平な競争であるのに、結果に対して、人はそれを自分の功績、あるいは自分の能力の不足であると感じる。また、そうしたことが社会的通念として共有されている。

トップに立った人たちは、成功は自分たちの努力によるものだと考えるようになった。なので、自分たちは大量の富を受け取るのにふさわしいと思う。これは“能力主義の横暴”。エリート層は苦しんでいる人々を見下している。そして、人々は見下されていると感じると、社会から疎外され、力を奪われている、自分たちの貢献に意味がないと思う。

中世の貴族社会に貧乏な農民として生まれたのであれば、それは生まれが悪いのであって、本人の責任ではない。運命を恨むことはあっても、自分自身に対する嫌悪感や自己否定の感情が環境から生まれるわけではない。


だが、現代社会に生まれ、自らが貧困層にいる場合、それは本人が十分な努力をしなかったせいだと言われる。機会はすべての人に与えられている(与えられた)のに、その機会を活用しなかったのは自分のせいであり、現状は自分が足りなかったためなのだ。それは、自己嫌悪であり、自己否定に直結する。

そうした実は与えられていない機会の結果に対して、オバマも、クリントン夫妻も、機会の平等、努力の尊さを訴えてきた。その象徴としてのグローバリゼーションであり、それは事実、社会全体の富を生み出したが、新たに生まれた富はすべて勝ち組、すなわち高所得者層の富をさらに上げただけであり、貧しい人々は貧しいままであった。その怒りを上手にすくい上げたのがトランプである、という主張は非常に納得性が高かった。

世界は左と右という対立軸ではもはやなくなっており、上と下に分かれている。上の世界は、努力が報われる世界(と本人たちは思っているが、実は親から受け継いだゲームを有利に進める各種ゲームルールのおかげ)であり、下は努力が報われないだけでなく、結果を自己責任とし、自らを下等な人間と認識しなければならない世界だ。

すべての職業に誇りを

どのような解決を目指すべきなのか。単純な結果の平等が好ましい結果を生まない(というよりも実現ができない)ことは明らかだ。では富の偏在が生まれる前提で、どのような社会が望ましいのだろうか。

サンデル教授があげているのは、仕事の報酬とその価値は連動していないこと、その意味を社会で共有すること、だ。そしてすべての労働に尊厳があることを社会で共有すべき、と続ける。そこではキング牧師の言葉が引用されている。

私たちの社会がもし存続できるなら、いずれ、清掃作業員に敬意を払うようになるでしょう。考えてみれば、私たちが出すごみを集める人は、医者と同じくらい大切です。なぜなら、彼が仕事をしなければ、病気が蔓延するからです。どんな労働にも尊厳があります。

こうした価値観を社会が持ち、そしてそうした労働に従事する人たち自身もそのような考えが持てれば、少なくとも多くの人々が今よりはるかに自己肯定感を持ち、幸せに暮らせるのではないかー。同時に、ここで言われているのは「エリート」に対する思い上がりをなくせ、という強いメッセージでもある。

では具体的に、どのようにすればそのような社会になるのか?残念ながら、サンデル教授があげている解決策は、どれも根本的な解決にはつながらないように感じた。大学入試にくじ引きの要素を入れ、一定の運の要素を入れることや、課税方針を変え、所得税でなくキャピタルゲインや売上税にシフトすべき、などだ。

だがこれはサンデル教授が力不足なのではなく、それだけこの問題解決が難しいことを示しているのだと思う。少しずつでも、社会のあるべき姿がこちら側にあること、能力主義ではないことの価値を認識することから始めるしかないのではないだろうか。


自らの事業とのつながり

さて、ここからは自分の話だ。自分は株式会社こころみという会社で「聞き上手」を主題として事業を行っている。そこでサンデル教授が主張していることが、自らの事業が成し遂げたいことに非常に近いことに気づいた。

弊社のビジョンは、以下である。

誰しもが持つかけがえのない価値が共有される社会

キング牧師が言う世界観と同じだ。現代社会は、あまりにも人が自己肯定感を高く持てない社会になってしまっている。しかしながら、そもそも人はそれぞれかけがえのない価値を持っており、それを自分でも認められていないし、他人も気づいていない。弊社は、そこをビジネスを通じて、自分で自分の価値に気づき、同時にその価値を他者とも共有できるような社会を目指している。

親の雑誌

弊社のコンシューマ向け主力事業は、親の雑誌という家族向け自分史作成サービスだ。従来の自分史と異なり、依頼する方の多くが子どもや孫などの家族であり、その親御さんの人生を一冊の雑誌風の冊子にまとめることにある。つまり、自ら自分の人生を誇らしく思い、残したい方だけでなく、自分史なんて作ろうと思っていなかった方に、プレゼントとして自分史を作ることをしている。

すると、もちろん大多数は自分の人生に満足している方なのだが、中には自分の人生を平凡な、あるいはつまらないもの捉えている方もいらっしゃる。しかし、そうした方のお話も例外なく大変に面白く、熱い思いがあり、善き人との縁があり、社会に対して生み出してきた価値がある。決して経済的に大成功した方でなくても、一人一人の人生にはかけがえのない価値があり、大切に残すべき学びやエピソードや、思い出に満ち溢れている。

同時に私たちがやりがいを感じるのは、そうした思いでお話を聞くことで、また作成した冊子をご家族や知り合いの方が読むことで、ご本人も自らの人生の価値を再認識できることだ。

これはまさに、サンデル教授が本の中で主張していた世界観なのではないか。おひとりおひとりへのサービスなので影響力については限定的というほかはないが、そうした価値観が広がる一助になればと思う。

インタビューソリューション

弊社は、コンシューマ向け事業だけでなく、企業が抱える課題に対するソリューションラインアップとして、企業向けに「インタビューソリューション」を提供している。ベテラン社員のナレッジ共有や業務可視化のためのインタビュー等、コアとなるディープリスニングを用いながら、企業活動にとって必要な情報収集を行い、課題解決につなげる支援を行っている。

この事業は、企業向けであり付加価値はあくまで課題解決だが、提供している大きな価値の一つとして、労働の尊厳であり働く人の価値の再認識があると考えている。

多くの企業が社員とその労働に対して、価値を表明し、尊重することができていない。私たちのサービスはその過程で社員が持つ価値に興味を持ち、認め、言語化している。

つまり働く人が持っている(が、多くの企業では認識されていないか無視されている)経験とそこに基づく価値を見出し、共有できる支援をしているのだ。それが結果としてナレッジシェアとして組織のスキルの底上げになったり、業務プロセス可視化として現状の業務内容の共有につながる。

ここでも、実際に支援させていただきインタビューをさせていただく現場においては、自分で自分の労働に価値を感じられずに働いている方が少なからずいる。しかしそうした方も責任感を持ち、工夫をし、努力をして業務遂行をしている。そしてそれを第三者である私たちが聞き、まとめることで初めて周囲と共有でき、また自分の価値に気づくことができるのだ。

日本の労働生産性は低いと言われる。そうだとしても、原因は個別の従業員になるのではなく、労働生産性を高める仕組みの不足にあると実感している。特にその根本には、個別の従業員の仕事に対する自己肯定感の不足にある。自らの仕事が認められていないと感じるからこそ、人は自らの仕事内容を語らないし、共有しない。また認められていないと思うからこそ、さらに変化させ改善させていくことにも否定的になる。

話を肯定的に聞くことで、改善に前向きな姿勢を生み出し、実際の改善に結びつけることで、企業にとっての価値を生みだすことが可能となる。働く人も企業も幸せになれる。それによって生み出されるものは、サンデル教授が目指す世界と整合性がとれている。

改めて自らの会社のミッションに従っていこうと確信した。

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読書感想文

神山晃男 株式会社こころみ 代表取締役社長 http://cocolomi.net/