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「大嫌いな新潟が大好きだ」3期目を終える株式会社サンゾウの代表亀貝の心境は。

今年も終わろうとしている。11月下旬から1ヶ月ほど中国に滞在した。中国では、仕事やらプライベートやらで、上海、大連、深圳、広州、東莞と色々な都市に滞在して、全く年末に向かっている気がしなかった。

気温25度の広州で、たまたま入ったレストラン。マライヤキャリーの「恋人たちのクリスマス」を生演奏の中で歌う女性がいた。その時、僕はようやく年末なんだよなと思った。

12月が終われば、サンゾウは3期目を無事に終えることになる。例年通り、このタイミングでnoteを書いておこう。株式会社サンゾウの事業的な部分や未来のことは、3月の創業月にでも書くとして、このタイミングでは、過去の振り返りとして、個人的な感情や思考を中心に、書き留めておく。

何よりもまず、2023年も中華関連や新潟関連などのお仕事を依頼していただいたクライアントには、本当に感謝しかない。生かされているからこそ、このnoteをまた書けている。

noteを書き終えた時には、過去は忘れて、未来に集中して邁進していきます。求めているのは、変化であり成長。そのためには、必要以上に過去は引きずらず、過去の経験をパワーに、理想を現実にしてしていきます。

誰の何のためのnoteなのか

大前提として、自分の頭の整理のためのnoteである。また、今後起業する人や現在同じように創業したばかりの人に、僕の経験から何か少しでも気づきや共感を生み出して、間接的にお役に立てればと考えている。烏滸がましいけど。

生き残っているという事実

現在のサンゾウは、VCからの出資を受けてはおらず、自己資本での経営である。どちらが良い悪いではなく、出資を受けるようなスタートアップと自己資本での経営は、全く異なるゲームだと思っている。今後は、出資を受ける機会があるかもしれないし無いかもしれないが。

そもそも何をするかは決めずに、2021年3月に創業した。これまでの状況は、今までにも、たくさん書いてきているので割愛するけど、来年の3月3日、4年目に突入する株式会社サンゾウは、今も生き残っている。

資本金300万円で始めようとして、それでも台湾からの家族での本帰国の渡航費などなどで、結果的に250万円で始めたような零細企業だけど、今も生き残っている。助けてくれる仲間、発注してくれるクライアント、今までの経験、今までの想いなど、色々な要素が重なり合っての結果、今も生き残っている。そう、つまりは、まだ死んでいない。ポジティブな意味でね。

生き残っても、自己肯定感はない

それでも、自己肯定感は低い。しかしながら、創業したことには、1mmも後悔はない。起業したいから、起業したのだから。過去のキャリアは捨てて、さらに自分にとっては、難しいかもしれない0→1の創業、未経験である創業に、挑戦している。これが、僕の人生だ。
しかしながら、3年間生き残って、自分自身に「俺はすごい」とは思えていない。まあそりゃそうだよね、今までのサラリーマン時代や取締役時代とも、ゲームが、そもそも違う。そこで通用するのかを確認したくて、未経験の自分は飛び込んだ。今までとは異なる人生を、ゼロから始めているようなものとも言える。もちろん3年間は経験となっているし、今までの経験が今後も活かされることも多々あるだろう。

よくやってるなー

自分自身で選択している人生だし、挑戦し続けることこそが人生だと考えているとはいえ、たまに客観的に自分をみたときには、本当によくやってるなーと思うことがあるw  もっと楽に生きようと思えば、普通に働いたり、副業的に稼げることに手を出したり、もっともっと器用に生きる道があることは知っている。それなのに、サンゾウとずっと一緒。まだ希望をもっているから行動し続けるし、考え続けるんだろうね。人生は、言うまでもなく1回なのだけれど、大きな挑戦をすると人生を複数回生きているような感覚になれるから、オススメ。

グローバルコミット

サンゾウは、初期から亀田製菓やジャパネットたかただと言ってきている。つまり、拠点は新潟、市場は日本であり、世界である。
もうコロナは終わった。それでも、もしも新潟にずっといるなら、僕の価値は薄まり、ただの新潟の人になってしまうだろう。
しかも、僕自身が、to新潟のビジネスを狙っていくのに合っているタイプではないと今は思う。もちろん、新潟には、還元していきたい。新潟 to新潟のビジネスもやりたい。でも、やりたいとやれる、やりたいと求められる、やりたいと結果を出せるは、異なる。
サンゾウでいえば、新潟への還元としては、外で稼いで、新潟でお金を使った方が早いなと感じる。

僕自身の強みでもあり、興味でもあるのが、結局のところ中華圏であり、グローバルだ。20歳の時に、初めての海外旅行である北京に行ってからハマった。結果的には、上海に3年、台北に5年住んだ。水も合うし、民族なども多く、哲学のように、良い意味で理解がしきれないところに魅了され続けている。

2023年の後半ぐらいから、サンゾウはグローバルへと徐々に移行してきた。今後もサンゾウは、グローバルコミットしていく。結局は、創業当初と同じように、何をやるかは、はっきりと決めきれてないんだけどね。コロナ期間が終わり、市場は、ようやく開けた。自社事業だといえるものも作っていきたい。その上で、新潟に還元していきたい。中華圏進出、インバウンド、日本進出など、矢印は双方向に考えながら動いていこうと思う。

3期目は、どうだったのか。

3期目は、結論ボコボコにしばかれた。1期目2期目ともに、売り上げは生み出せて、税金もしっかり支払えて、やりきった。それに対して、3期目は減収減益。
カッコよく言えば、赤を掘った…いや前職で赤を掘って成長させていくフェーズも体感したけど、今回は売上が伸びてないのだから、この言い方は当てはまらない。やっぱり減収減益が適した言葉だろう。

要因は。

主な要因は、最初の2期の間に、良い事業を作りきれなかったことだ。先述したように、事業プランに具体性はなく、まずは起業した。考えても市場と向き合ってないなら仮説でしかないし、どうせピボットしていくでしょと思ったから。むしろ、VCから出資を受けてのスタートではないので、ひとつの事業に固執してピボットできないほうがゲームオーバーに近づくとも思っている。

実際に、僕の性格なども考慮すれば、今でもやっぱりこの方法で良かったと思ってる。そのため、最初の2期は売上を作れたという意味では、上手くいったのだけれど、結果的に、良い事業を作りきれなくても、減収減益になった。しょうがないよねとも思う面はある。

良い事業は作りきれなかったけど、稼げたのだから問題なかったとも思う。ただし、魔の3期目とでも言うべきだろうか、良い事業をもてなかった結果が、3期目の結果。2期目まで売上を作れていたとしても、それは、最終的には、早く死ぬのか、遅く死ぬのかの違いでしかないと考えると、良い事業を作りきれなかったことが、3期目の減収減益の原因として、最もインパクトがあったと考えている。良い事業を作れなかったという言い方よりも、正確には、命を削ってもやりたい事業ではなかったという感覚が正しいかも。

コロナのタイミングで、新潟 to新潟に集中できて、自分の中で白黒はっきりできたのは、むしろラッキーだったのかもしれない。そして現在は、コロナが終わったのだから、グローバルにシフトしながら、引き続き事業を作っていこう、ただこれだけだ。行動していくのみ。

感情面

新潟で起業をしようと夢(目標)を描いて創業した。ある意味、起業をするという、この夢は達成できた。でも、今までもnoteで何回か書いているように、夢というのは、叶った時には、また別の夢を描いているものなのだと僕は思っている。新潟で起業しよう、起業して、とりあえず生き残ってみようという夢は達成した。2年間が終わり、3年目には、“次だ。次なのだ…”と思った。でも、まだコロナ中で新潟をフィールドにせざるを得ない状態で、その次の憧れが無かった。突っ走る場所がなかった。そんな感覚だった。

自分と向き合った時間

何が苦しかったのか。創業後2年間、何をやるか決めずに行動した。フィールドに立つことで考えざるを得ない状況に追い込む。そして、コロナで海外という選択肢はなかったので、新潟 to新潟でのニーズを探ってきた。

1期目、2期目は、奇跡的というべきかわからないけれど、結果を振り返れば、順調に乗り越えたのだった。確かに、この順調さにこそ、経験やノウハウが凝縮されているともいえるだろう。仮に僕が20代だったら、即死でゲームオーバーだっただろうから。表現は置いといて、最初の立ち上がりをパワープレイ的に乗り越えた自分がいた。ただ、新潟 to新潟で、無理している自分がいた。希望をもてなかったし、憧れもそこになかった。
それを押し切ってでも進めるほどの事業でもないし、そこまでまだ丸くなってない自分がいた。わがままに、生きたい人生を生きたい自分がいた。

大嫌いな新潟

それでも、実は今年2023年4月、サンゾウは過去最高のキャッシュを持っていた。…それなのに、希望も憧れもない状態だった。

僕は、過去のキャリアを考えても、アウトローのような生き方が合ってる人間だ。そもそも20歳で東京の大学に進学したのは、新潟に自分の居場所が無いと感じたし、少なくとも居心地は、良いとはいえなかった。その人間が、今なら新潟に自分で自分の居場所を作れるかもしれないと挑戦していて、根本的には新潟を変えたいという気持ちがある。

県民all人見知りのような排他的な新潟。一方で、形成されたコミュニティの中に入り込んで、優等生的なキラキラしたノリで、立ち振る舞う方が、新潟の社会では、上手くいくことは理解している。僕だって、中学生の頃には、学級代表を3回もやっていたような人間であり、僕のことを知っている人なら理解できるだろうけど、実は誰よりも常識人だったりするし。

でも、出来ると憧れるは違うんだよね。決して勘違いしないでほしい。僕は、そういう人たちを、1mmもディスるつもりなんてない。
ただ、今の僕には、新潟の一般的なコミュニティや風土には、憧れないのだ。市場は明らかに右肩下がりだ。しかも、その比較的Noオープンなコミュニティ内で、お金を回しているだけ。未来のためにならない。根本的なことは、後回しになっており、日常生活を送ってるふうになっているだけ。

大嫌いな新潟が大好きだ

僕自身も、結局排他的なのだと思う。だからこそ、仲間と思える人とは、心底心を打ち解ける。つまり、普通の新潟人だ。しかしながら、自分自身の経験として、外に出れば出るほど、そのままで良いとはいえない。
日本全体もそうだけれど、やっぱり地元の新潟が、1mmでも良くなってほしいと一方的にでも思ってしまう。なぜなら、新潟はポテンシャルがある街だと思っているから。新潟の人なら、分かりますよね?特に外に出た人であればあるほど。新潟の魅力も、新潟のダメなところも。僕自身が、新潟の全てを変化させることは難しいのも分かっている。それでも、少しの変化が大きな変化に繋がるのではないかと理想を描いてしまう。
つまり、僕は、サンゾウを通して、新潟のダメな部分を変化させたい。なぜなら、僕は、新潟が大好きだから。

恐怖という幻想

2023年4月頃に、キャッシュが増えたからこそ、高さが増した。まだコロナ的な状態の社会で、新潟 to新潟の枠組みで、希望ももてなくなっていた。そして怖くなった。正直自分が“こんなこと”で恐怖を感じるなんて思ってもみなかった。カイジを読んだことがある人は、あの橋をイメージして欲しい。

そうやって、経営者は、恐怖が増して、失敗するのが怖くなり、お金を使えなくなることが多いといえる。怖くなるのだ。さらに橋は高くなる。経営者は、お金を使ってお金を増やすことが仕事なのに、お金を使うことができなくなっていく。自分でお金を増やして、橋の高さを上げているのに、どこかで怖さに打ち勝たないといけない時がくるのだ。そうしないと、お金を使うことができなくなっていき、ジリ貧となり終わる。
忍耐があれば良いだけなら、それは楽。しかしながら、経営者としては、キャッシュがなくなれば終わり。ゲームオーバーがある世界線なのだ。それがまた恐怖感を生み出す。繰り返すけど、こんなことは想像していたし、覚悟もできていたけれど、恐怖感は生まれたのだった

余談だが、Netflixでアニメのカイジを改めて観た。僕はギャンブルは基本的にはやらないのだけれど、起業こそがギャンブルの感覚と似ている。恐怖感、あのざわざわ感が非常に上手く表現されていて、僕は共感しまくった。そして救われた。皆んな同じなんだと思えた。福本先生には感謝しかない。いつかお会いして感謝をお伝えしたい。

成功に至らぬ者の思考

さらには、当時の僕は、口をひらけば、新潟に対する不満を言い始めていた。確かに批判する事は、底上げ的なことに繋がるので良い面もある。しかしながら、僕は、純粋に悪い意味で不満たる言動や思考が多くなっていた。まがいなりにも以前に成功した経験(成功だとは思ってないけど分かりやすいから使う…)もドン底の経験もしてきた僕だからこそ、成功しない人の思考や行動は分かっていた。まさにそうなっていたのだ。
その中で、自分のマインドを切り替えるためにも、とりあえず海外旅行でも行こうかなと思うのに、すぐに行かない理由を考え始める。しかも、その理由が、自分への影響がまた強いもので、雨降ったら娘を保育園に送り迎えしないと困るしなーとかw

妻は、もう早く海外旅行にどこでも行ってきなさいと言うまでになっていた。ずっとそばで見てきている妻だからこそ、僕の腐り気味な思考の変化を感じていたかもしれない。

前職では、本当に決断疲れのような状況で、結論ファースト以外の話を聞きたくないぐらいだったからこそ、よくわかる。自分があまりにも決断できなくなっていた。もはや海外のどこに行くかさえ悶々と考えてしまっていた。結果、行ったことない場所は、どこかなーとメモまでし始めたり、ムニョムニョしていた。そんな自分にもムカついた。

それでも、コロナは終わった、行かない言い訳はしないと言い聞かせて、何かに導かれながら、環境を切り替えて、今の自分を完全に切り替えるかのように、2023年6月にベトナムに行ってみようと決断した。

ベトナム、上海、台北など

2023年6月にベトナムのホーチミンに行った。結果的に、ターニングポイントだったと思う。ベトナムには、選択するための強い理由があったわけではなく、率直に行きたかったから行った。何かベトナムに行かなければいけない理由があったわけではない。それでもホーチミンには、一度は行きたかったから。以前ダナンに行って、ベトナムが好きになって、ベトナムの中で最も都会であるホーチミンにもいつか行こうと考えていたから。ある意味、これも一つの夢が達成した。

何も目的なく行ったベトナムは、自分と向き合うのにちょうど良い時間だった。このnoteに書いているような内容を、思考として整理していけたのもこの時間だったと思う。下記に載せたYouTubeは、旅の始まりの時で、カメラを持ったのも久しぶりで、どことなく弱々しく感じる。余談だけど、YouTubeは趣味の領域だけど、振り返るのにはちょうど良いのでオススメ。

その後、ベトナム帰りには、7月に台湾、上海のチケットを購入して勢いを取り戻していった。ある人は“ようやく亀貝さんらしくなってきましたね”と言ってくれた。本当にその通りなのだと思う。

乗り越えた精神

こういうことは、いくらカイジを読んでも、このnoteを読んでも、同じ環境にならない限り、本当の意味で体感レベルまでは難しいだろう。僕自身も、お金がなくなる恐怖は分かっているつもりだったし、会社が潰れたらサラリーマンに戻るだけと言ってきたけど、頭でわかっている程度で、本当にゲームオーバーになることがありえるということを、実感レベルで受け入れて覚悟ができていたわけではなかったのかもしれない。

個人として、30歳には上海でホームレスにもなった。そんな僕でも、個人と家族、個人と法人とでは、やっぱり責任やプレッシャーが違っていたのだろう。野良猫と船長の違い。
今では、ドラゴンボールでいえば、スーパーサイヤ人になれた状態。本当に実感した恐怖感を受け入れて打ち勝てている状態とでもいえば良いだろうか。今の僕は、以前よりも絶対に強いと言い切れる。

4期目へ

長くなったけど、精神的に辛い状態になり、それを後半戦に向かいながら乗り越えたような3期目だった。
そして、1月1日から株式会社サンゾウも4期目へ突入する。浮き沈みの全てが僕の人生の出来事であり、ストーリーだ。こういう生き方なので、伸るか反るかばかりで、平凡な状態には留まりにくい。それを望んで生きているのだから、とことん楽しもうじゃないか。

プライベート

娘は、2024年4月から小学生になる。本当に早い。先日の中国滞在では、娘は、ウルルン滞在記的なノリで、5日間親なしで中国人に囲まれながら過ごした。親としては、複雑な気持ちだったけど、必ず成長機会に繋がると思ってそうした。さらには、1ヶ月間中国で過ごした。台湾で生まれているし、中国での滞在も経験済みだけど、5歳で人間らしくなってからは初めて。中国語も自然と覚えたり、日本とは異なる気質の人たちと接したりと本当に良い機会になったと思っている。もっと中国語勉強したいという娘には、リスペクトしかない。

広州にて

いつもの宣伝関連

ローカルをグローバルに。グローバルをローカルに。

つまらない営業メールはスルーするけど、サンゾウに少しでも興味をもってくれた人や企業がいらっしゃれば、ご連絡を頂けたら嬉しいです。中華関連でも、新潟関連でも。パーパス通り、アナタをハッピーに。そしてみんなでセカイに変化を。を軸に動いており、損得だけで判断しない。むしろクライアントでも、メンバーでも、一緒に突き進んでくれる仲間を探しています。こんなこと書くと偉そうに聞こえるのかな……仕事ください(土下座)…w

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亀貝 康明(KAMEGAI YASUAKI)
株式会社サンゾウ 代表取締役

新潟で株式会社サンゾウを創業して、地方発ベンチャー企業として日々拡大中。元CAPSULE Inc.取締役。上海、台湾在住歴あり。中華圏やアジアを中心とした海外生活や海外ビジネスに関しても発信中。Twitter→https://twitter.com/kamegai_sanzo



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