【日常がつまらない方へ】詩エッセイ解決策(3)
この記事を読もう、と思っていただき、感謝してます。
この記事の文字数は、2900文字程度、となっています。
時間がない方もいるかもしれないので、この記事の大まかな内容を、載せておきますね↓
詩作品のタイトルは「木の葉のざわめきそれだけが今」
生きている。それは、奇跡。
木の葉の合間を風が駆け抜ける、ということは、多くの振動がそこにあり、いくつもの光が点滅している可能性がある。
詩を書く(行動する)のであれば、できたら幸せな状態で、書いた方がいいと思う。
日本に生きていれば、おもしろい日常にできる可能性はある。
細かな内容を知りたい、という方は、目次を活用してみてください。
「日常がつまらない」と思っているような方に、1つでも参考になる部分があれば、幸いだと思っています。
それでは、本編に、入っていきますね。
詩作品
「木の葉のざわめきそれだけが今」
遠くから
風がさらさら
やってきて
木の葉の合間
駆け抜けていく
ああこれが
生きていること
なんだろう
ただ風がそこ
ながれてるだけ
詩に関するエッセイ
生きている。
それは、奇跡である。
僕はよく、のほほんと平和に、周りから大切にされて生きてきた。
と、よく勘違いされている、と思う。
とんでもない。
絶望の底×無限の底から天国に舞い戻ったから、生きていることに喜びを覚えるのである。
幸せそうにしている僕の顔を見て、人は思う。
苦労なんて、今までしてきたことなさそうな顔だな、と。
詩解説
それでは、自分の詩を自分で解説する、という少し恥かもしれない見出しの中身に突入する。
さっそく、初めの自由律俳句から。
木の葉のざわめき、と言うのだから、聴覚に焦点を当てている。
そして、今という時にそれがある、と強調する。
ある意味、視界には木の葉一色で、ざわめきだけが聞こえる、というシンプルな詩である。
しかし、幸せとは、何気ない日常に存在する、と僕は考えている。
何気ない日常に幸せを感じられたら、どんなことにも幸せを感じられる力は増える、と思う。
それは、詩作の能力を高める上でも、大切なことかもしれない。
続いて、1つ目の短歌。
「遠くから」だから、遠い空間にも、主人公は意識を張り詰めている、と考えられる。
「風がさらさら」で、心地よい空気を想像できる、と思う。
「木の葉の合間駆け抜けていく」
これは、単純に読むと、気持ちいい言葉、となるかもしれない。
ただ、1つ追加で解説させてもらうと、木の葉の合間を風が駆け抜ける、ということは、多くの振動がそこにあり、いくつもの光が点滅している可能性がある。
僕は、自分の詩に対して、というおかしな言い方ではあるが、そう思っている。
最後に、2つ目の短歌。
ただ風が、目の前を流れることに、感動する人はどれくらいいるのだろうか。
僕は、先ほどのエッセイでも少し述べたが、絶望の底をすでに味わった、と思っている。
絶望の底でも、生きていたら、人は意外と大丈夫だ。
すると、不思議なことだが、どんなことにも幸福感を覚えるのである。
そもそも、日本は、命に危害を加えられる、ということはほぼありえないし、幸せになるための家電やサブスク、外食店等色々あり、幸せを素直に感じやすい環境は整っている。
日常がつまらない、ということは、平和ということ。
それは、先人たちや今活躍している人等に守られている、ということ。
だから、あなたはすでに幸せだ、と僕は思っている。
問題は、幸せに気づけるかどうか。
そこだと思う。
詩から連想する詩論
今回の詩論のテーマは、「あたりまえ」として、話していく。
皆さんは、あたりまえを、どう思っていますか。
普段目の前にある日常。
普通の出来事。
家族と談笑すること。
いろいろあると思う。
詩、というのは、あたりまえの幸福を見逃さない眼力が必要である、とも言える。
なぜなら、あたりまえの幸せに気づけないなら、世界のすべてを愛せる、とは言えず、不幸な詩しか書けない、と思うからだ。
もちろん、不幸な詩で、人を救える、という可能性もある。
不幸な人の立場に立って、共感できる詩を、書ける可能性もある。
しかし、不幸の中から、幸せに向かっていく。それが人間であり、世界とは、そういうものである。
つまり、詩を書くのであれば、できたら幸せな状態で、書いた方がいいと思うよ、ということです。
そうすることによって、周りの世界も明るくなり、日常は少しワクワクしたものになる可能性もある、と思う。
問題は、普段自分が発する言葉。
あなたは、日頃「ありがとう」を、口癖にしていますか。
もし言っていないなら、ぜひ、少しでも感謝できることがあれば、「ありがとう」と言ってみてください。
僕は「ありがとう」を口癖にしていますが、そのおかげで、自分の周りにはありがたいことが多い、と思うことが多くなった、と思っています。
詩から得られる有益情報
この詩、というか、この記事で言いたいことは、たった1つかもしれない。
それは、あたりまえはあたりまえじゃなく、幸せそのものであり、日本にいるなら、そのことは容易に感じられやすい、ということである。
そうはいっても、日常はつまらないことだらけよ? と思う人もいるかもしれない。
たしかに、生きていれば、いろいろなイヤなことはある。
それは、おそらく、どの人もそう。
しかし、いいこともたくさんあるのである。
例えば、3つの事例を、紹介してみますね。
生きていたら、未来で何か行動を起こせる可能性があり、希望が消えることはない。
日本には、おいしい食べものや飲みものが豊富にある(だから、多少粗末に扱ったとしても、また確保できるからいいや、という安心感を用意されている)。
どこに行っても自販機があり、どこにでも安全に行けるようなインフラが、日本には整っている(例えば、使ったことはないので恐縮ではあるが、「青春18きっぷ」というものすらある)。
他にも挙げようと思えば、おそらく最低100個くらいある気がするが、時間の都合上、やめておく。
だから、日常がつまらないのではない、と思う。
日常のおもしろさに目を向けたり、適切な考え方を先人から学んだりすれば、日常はおもしろくなる、と思う。
例えば、良書を読んでみれば、普段自分が注意を向けないよいことに注意が向く。そうなると、よいものが脳内に入るので、幸せになる、という考え方もある。
あるいは、適切な考え方を適切に理解することによって、イヤなことがあっても、少しは苦痛を緩和できる可能性もある。
もし、ここまで読んでみて、やっぱり日常はつまらないさ、となる人は、多少いるかもしれない。
そういう人は、そのままでいい、と思う。
ただ、僕が言いたいことは、何気ない日常が幸せに感じられる。
それこそが幸せであり、幸せはいつも、目の前から見つけられる、ということです。
ここまで、記事を読んでくれた皆さま、ご苦労様です(笑)。
そして、ほんとうに、ありがとうございました。
それでは、また機会があれば、お会いしましょう。