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「ドライブ・マイ・カー」

2023/04/14(金)

静かな雨が降る午後、予定がキャンセルになった。
ポカンと空いた時間。
体調はそんなに悪くない。

そうだ、観るのに覚悟がいると思っていた映画を観よう。

ということで、「ドライブ・マイ・カー」を観ることにした。

とても評判がいいらしいが、3時間もあるしテーマが重たそうだと思ってなかなか観る気にならなかった映画だ。

<あらすじ>映画.comより抜粋
 舞台俳優で演出家の家福悠介は、脚本家の妻・音と幸せに暮らしていた。しかし、妻はある秘密を残したまま他界してしまう。2年後、喪失感を抱えながら生きていた彼は、演劇祭で演出を担当することになり、愛車のサーブで広島へ向かう。そこで出会った寡黙な専属ドライバーのみさきと過ごす中で、家福はそれまで目を背けていたあることに気づかされていく。


今観終えた感想としては、今までにない角度から刺さるいい映画だったと思った。

そしてこの映画を観るのは、まるでコンセプトのあるCDアルバムを一気に聴く感覚に似ていると思った。

このCDアルバムのコンセプト(テーマ)はよく分からないけど、世界観が好き、この曲も好き、このパートも好きだしぐっとくるといった感じで、
この映画のテーマについてはよく分からないけど、世界観が好き、刺さるしぐっとくる場面がたくさんあるみたいな。

映画を観ながら、この場面の画がいいな、このセリフが好き、タバコが効果的だ、この表情素敵だなとか忙しく感情が動いていった。

この映画は大きな流れで見ると、奇をてらった物語の展開もなくテーマもよくある感じでもある。

でもそれぞれの切り取った場面(つまりCDアルバムの1曲)に自分に刺さるものがあり、それは美しいものであったり自分の中で重いテーマにつながっていく感覚があった。

それがとてもおもしろかった。

どの場面もどの言葉も丁寧に作られているからこそ、そう感じることができるのだと思う。


最後に印象に残ったものやそこで考えたことを備忘録として残していきたい。

・瀬戸内海の静かな海
・淡いトーンの映像と引いて撮られたときの画の美しさ
・選ぶ車と運転がその人の人柄だけでなく、人生哲学も表していること
・言葉はあくまでも情報であること
 →真意(悲しみ、思いやりなど)を伝えるためには、共通言語は必要ない  
  かもしれない。
 →ソーシャルディスタンスや非接触が当たり前の世界では、人間のコミュ 
  ニケーションが情報の交換だけになっている気がする。
・「上十二滝村。僕に見せる気あるか?君の育った場所。」 
 →今まで物語の主導権を握っていた家福が崖っぷちに陥った時の言葉。こ
  のときが自分の中のクライマックスだった。自分の過去と向き合う覚
  悟を決めた言葉に聞こえた。
・死はあくまでも二人称(養老孟司先生のお言葉)
 →死(亡くなった状態)は、死んだ本人(一人称)の問題ではなく死んだ
  本人と関係のある相手との問題である、という言葉を実感する。
・自分の声を聞き自分を知り向き合うことが、後悔のない人生を歩む上で大切なこと


もう一度観るなら、お気に入りの1曲を聴くように好きな場面だけ何度もリピートするのもいいかもしれない。

3時間は超大作だが、収穫も多くなんだか得した気分にもなれた。
いい時間を過ごせた。


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