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小説:徳利のちっさいおっさん

ホームセンターの帰りに大きな公園を散歩していると骨董市が行われていた。透明な翡翠色が美しいガラスの徳利が目について思わず買ってしまった。

家で買ったものを荷解きしていると後ろから声がした。
「我は願いを叶えし魔人。さあ、そなたの願いを聞かせてみよ」
振り返るとちっさいおっさんがいた。
身長160cm台の小柄な不審者というわけではなく背丈12.3cmほどの、アロハシャツにタイガースのキャップを被ったおっさんが徳利の上に腰掛けていた。

「あ、うちそういうの結構です」
反射的に答えた。宗教も怪しげなスカウトや勧誘も大抵これで逃げ切っている。

「いや、ちゃうやん姉ちゃん。いや、ちゃうやんワシ。仕切り直しや。
我は願いを叶えし魔人。さあそなたの」
「うちそういうの結構です」
「だからちゃうやん!おっちゃんが願い叶えたるって言ってんねん!年末のさんまがあんたの夢叶えたろか言ってるんとはレベルが違うねん。ほんま何でも叶えられんねんて。
え、アラジンとか観たことない人?」

よく喋るおっさんだ。見なかったことにしようか、殺虫剤か何かで外に出てくれるだろうか。

「姉ちゃんえらい肝座ってるんやな。その様子やとワシの存在知ってて徳利手に入れたわけやなさそうやし。そういう人間もたまーにおるんやけど、大抵みんな死ぬほどビビり散らかしよるで」
「そりゃ招き入れた覚えのない人が家にいたら驚きもするでしょう」
「いやまあワシが言いたいんはそうやないんやけど、まあええわ。ワシは所謂魔人や。たまたまでもこれは姉ちゃんに降りかかったラッキーやねん。何でも一つ願い叶えたるで」
「こういうのって3つが相場じゃないの?」
「やっぱりアラジン観とるやんけ!」

おっさんは説明してくれた。
「ええか?ワシが叶えられるんは1つだけや。
金でも名声でも何なら人殺しやら呪いでもかまへんけど命を生き返らせることはできひん。ずっと願いを叶え続けろってのもな。その辺はお決まりやわ。
まあ死んだ人間と小一時間話したいとか、その程度ならできるけどな。ずっと留めとくんは摂理に反するさかいなあ」
でもあの時の蘇らせたじいさん、居心地ええ言って1週間ぐらい家おったら一声聞きたいって呼び戻した孫にもさすがにちょっとうざがられとったな。とおっさんは独り言を言っていた。

「ほんで願いは?」
「特に無いですかね」
「なんか一つぐらいあるやろな。欲しいもんとかないんか?」
「じゃあみりん買ってきてください。切らしてたの忘れてたので」
「はじめてのおつかいちゃうぞ!そんなもんAmazonで頼め」
「え、無理なんですか?みりん」
「いけるけど!願いでそれ言われたらおっちゃんの魔人プライドどうなるん」
「知らんがな」
「エセ関西弁やめて」

願いじゃなく、普通に近所のスーパーに買いに行ってくれた。きちんと170cmぐらいの普通サイズのおっさんになって買ってきてくれた。


「で、あなた何者?目的とか代償とかそういうの具体的に教えてもらえますか」
「だから魔人や言っとるがな。代償なんてあらへん」
「契約して魔法少女になれとか言いません?」
「言わへんし、それは乗ったらあかんやつや」
私が少女と言える年齢はとっくに過ぎていることはさておき、恐らく怪異だとかの類いのわりにやたらとサブカルチャーについて詳しいおっさんである。

「魔人。願いを叶える魔人と言えば定番はジン、英語ならジーニーかしら。いや、アラブ圏では霊的なものの総称になるんだっけ?
インド神話の魔人ならアスラ、でもアスラも阿修羅も願いを叶えるだけなんてあまり耳にしないわね。
あなた徳利に憑いているのだからどちらかと言えば付喪神の方がしっくりくるのだけれど」
私の言葉におっさんは少し嬉しそうに目を丸くした。
「お、姉ちゃんえらい詳しいなあ。人間の解釈なら概ね正解やわ。
なんちゅーかな、ワシらみたいな、あんたらが超常的って呼ぶ存在にも確かに種族があるんやけどそれを垣間見た人間が地域ごとに好きに呼んどるさかいな。人間側の解釈とワシらの認識は多少違うからどれにも当てはまるっちゃ当てはまるしそうやない言ったらそうやないねん。
姉ちゃんを哺乳類と見るか人間と見るかアジア人と見るか日本人と見るか。
姉ちゃんらの呼ぶジンも阿修羅もワシら側の厳密な区分とは違ったとしても、まあアメリカ人とフランス人の違いみたいなもんやわ」
人間さんらに分かりやすいように便宜上魔人やって名乗っとるんやけどな、とおっさんは付け足した。

願いが浮かばないという私におっさんはしゃーないなあと呆れ顔で言いつつ、決まるまでしばらく時間をくれるそうだ。
本当に裏が無いとしても何でも叶えてくれると急に言われても正直困る。


「おっちゃんさ、阪神ファンなの?」
何故か私は鍋をつついている。食べやすいように若干大きいサイズになったおっさん、改めおっちゃんと。
いつものように晩ご飯をシリアルバーで済ませようとしているとおっちゃんが「あかんかあかん!若い女の子がそんなもんで生きとったらあかんで。旬のもん食え!旬のもんは鍋に入れたら何でも美味いから」と半ば押し切られたからだ。

「せやねん。姉ちゃんより何人か前に阪神ファンの金持ちのおっさんの古い家の食器棚にずーっと仕舞われとった時期があってな。掛布も川藤も好きやったわ」
「奇遇ね。私はその頃は知らないけれど赤星とアリアスのファンだったわ。あと滅多に見れない下柳のヒーローインタビューを生で見た時は子供心ながら感動したわね」
「なんや、姉ちゃんも阪神ファンかいな。下柳はシャイなおっさんやったしなあ。4番は金本の頃ぐらいか?」
「そうね、桧山がスタメンの頃から代打の神様と呼ばれてる頃はよく父と観ていたから。JFK、懐かしいわね」
「ウィリアムス、藤川、久保田か!最強の布陣やった。あの頃も岡田阪神やったなあ」

懐かしい話をしながら鍋の春菊をつまんだ。
ほぼ好き嫌いの無い父は春菊だけが苦手で我が家の鍋に入ることはなかった。馴染み深くはない春菊は、美味しい。

「それにしても。願いが決めきれへんってのなら分かるけど無いって難儀やな。一生遊んで暮らせる金、納税とかせんでも用意できるで?」
「お金がもたらす余裕は確かに大きいわね。時間も、精神的にも」
「しばき回してやりたいやつとかおらんのか?」
「いなくはないけれど」
強いて言うならばそれは自分自身だとは言わなかった。

「おっちゃん、日本酒は好き?頂き物がちょうどあるの」
「お!またええやつやないか。やっぱり鍋はビールと日本酒やな」

私たちは日本酒で改めて乾杯をした。

「姉ちゃんいける口やな。
にしても、最近はミニマリストって言うんやったか?えらい小ざっぱりしたとこ住んでるんやな」
「最近色々処分したものもあるからね」
「ほんで碌なもんも食べんと、寂しないんか?」
「大抵の人間はみんな寂しいまま生きてるんじゃない?」
「まあそれは。人間にもワシらの仲間にもそんなやつは多いけども」

それから色んな話を聞いた。
私の知らない怪異の世界とこの世の歴史をその目で見てきた人、いや、魔人の話は面白い。

「スターリンの独裁っぷりには驚かされたなあ。いろんな奴見てきたけどここまでやりよる人間もなかなか珍しい思ったわ。
何にせよ世界ってのは本来各々の自意識で出来てるもんなんや。姉ちゃんが赤い思うもんは赤い、コンビニのレジの兄ちゃんが青い思うもんは青い、それでええはずやねん。
でもどれだけ多様化やとか言ってもな、独裁じゃなくともどんな形でも、支持とか複数意思を束にできる奴は強い。その時々の多数派が“正しさ”やとか“総意”とやらを作ってるようであって、実際多数派もそうやない人らもそれに踊らされてまうねんなあ」
「おっちゃんの世界でも弱者やマイノリティーは排除されるの?」
「そりゃ世の理を乱すようなことしたら消されるな。でもまあワシらは人間らほど互いに干渉せえへんし。唯一無二もおるしマイノリティーやどうの言わんでも同類のほぼおらんそんな奴らは掃いて捨てるほどおるさかいな。ワシらは自分の役割さえちゃんと全うしてたら基本的にはそれぞれ好きにぼけーっとしてるで」
「どっちが幸せなんだろうね、自由意志で生きろというわりに村八分や遠くの非難を行えてしまう人間。何かしらの条件下に仕えつつ迫害はされず1人で生きるあなたたち」
「せやなあ、一つ言えることは寂しさは意識を蝕む。人間でもワシらでも、それ故に凶行にも自傷にも走る奴もおる。そこまでやなくとも、自分の中の既存の恐怖をじわじわ増大させよるねん。影の形は変わらんでも深く濃くなるとでも言うんやろかな。厄介なことに寂しさは可視化も数値化もできひんから本人も周りも根本に気付かへんことが多いんや。
寂しさを知ってるから埋める何かを求める、行動する、つまり必要量は薬にもなるんやけどな。過ぎると毒になるのは他と変わらへんわ」
おっちゃんは言葉を続けた。

「だからな、おっちゃんは無欲な人間を見るとちょっと心配になってまうねん」
私は黙って鍋の白菜を食べ日本酒を煽った。


「欲を出すと、キリが無くなる。一つ前の段階を満たされたはずなのにね。そう考えたらいつの間にか自分の為にお金を使ったりすることも他人に何かを求めてしまう自分も怖くなってしまったわ。だから、今日の徳利は久しぶりの自分の買い物だった」
ぽろりと私の本音が溢れたのは少し酔いが回ってきた頃だった。

「若い子はそういうの、スタバの新作とかに使うもんかと思っとったわ。でもなんか、姉ちゃんなら納得やわ、あんたやっぱり変子やな」
真っ先に私の恐怖に矛先を向けないのはきっとおっちゃんの優しさだろうと思った。

「好きに生きれたらどうしたいんや?」
「難しい質問ね。
そう…求められたい、必要とされている実感がほしいのだと思うわ。ここにいていいっていう安息感が。だけれどそれが奪うものも少なからず知っているから安易に願いはできないわ」
「人の為か、自分の為か?」
「たぶん、両方ね。大切な人たちは傷付けたくないし嫌われたくない。私もこれ以上の傷を負うのは、ちょっと、きつい。水流に抗うには体力も強い気力も必要よ。受ける恩恵の分だけ背負うべき責任をいつか全うできなくなりそうな自分も怖い。
いっそ徹底的に洗脳でもされるか信仰でも持てば楽になれるでしょうけど、そうは簡単にはいかないわね」
「人はワシらみたいな制約無くとも勝手に縛り合う生き物やしなあ」
「そう。何を求めているのか自分でもはっきりしない時間は苦しいけれど、求めるものがやっと分かったと同時に手に入らないものだと知る時の絶望の比じゃないわ」

「だからか?ホームセンターで炭と養生テープ買っとったんは。ご丁寧にリンドウの切り花まで。このマンションで七輪で何か焼くわけちゃうやろ」
「あら、知ってて黙ってたなんて趣味が悪い。花の一本ぐらい見つめて眠りたかったのよ」
口元だけ笑みを浮かべる私をおっちゃんは小さな体で覗き込んだ。
平成を駆け抜けたアニメやバラエティー番組のことまで知っているこのおっちゃんだ。リンドウの花言葉にはいくつかあるが「悲しむあなたを愛する」という代表的な言葉も知っているのだろう。


「なあ何でや?何でそこまでの状態でワシも出てきたのに願いが無いなんて」
「さあ。一度心が死んでいるからじゃないかしら。一瞬考えはしたわよ、確かに。求める存在に求められるようにしてほしいだとか、要らない記憶を消したいだとか、気力がほしいだとか」
「おっちゃん、惚れ薬作るん上手いで?記憶消すなんて目瞑っててもできるし、大正製薬が商売上がったりになるようなエネルギッシュになれる魔法もかけれるで?」
「ありがとう。でも要らないわ、どれも結局は誰かか私が傷付くの。それに大きな望みを持つことはあっても口にするのは苦手なの。本当の望みは隠して生きるものだと、言葉は口にすると取り返しが付かないとずっと思ってきたから。
まだ残る喜びがあることは理解できるけどもう傷付かないことを選びたい。世界に善意は確かに存在するけれど、この先たった一つの悪意に触れるときっと私はもう折れてしまう気がして。今更方向転換するのはこの歳になると腰が重いのよね」
「姉ちゃん、若いやん。なあ、どうにかしたくてもワシは姉ちゃんが願ってくれな動かれへんねん。あんたが幸せになれる道、せめて肩の荷が降りるような道は無いんか」
「そうね、じゃあ」

私の願いを聞いたおっちゃんは目を丸くして「ほんまに、ほんまにそれでええんか?」と何度も訊いてきた。私が笑ったまま黙って頷くとおっちゃんはようやく納得してくれたようだった。

「姉ちゃん、暗い女やわ。
でも暗い女はええ女やって、マツコデラックスがテレビで言ってたで」
おっちゃんは寂しそうに笑ってそう言った。

魔人と聞くと大層酒に強そうだと思うが2人で一升瓶を空ける頃には私もおっちゃんも泥酔していた。
「ねえねえ、おっちゃん何でアロハシャツなの?」
強い眠気に襲われる中、私は尋ねた。
「ワシのこの徳利もほんまはそれなりにええやつやねんけどな、ワシ琉球ガラスのグラス憑き志望やった頃があってん。おっちゃんもおっちゃんなりに、多少の足掻きはしたくなるねん」
おっちゃんの苦笑いとその言葉をぼんやり聞きながら、そのまま目を閉じた。


次の日の朝、目が覚めた。てっきり朝は来ないものかと思っていた。
おっちゃんは見当たらず昨日の出来事は夢かと思ったが鍋は片付けられ私が突っ伏して眠っていたテーブルには一旦洗面所に置いておいたはずのリンドウの花が飾ってあった。私の体にはブランケットがかかっていた。

「おっちゃん、本当に願い叶えてくれたんでしょうね」
独り言が漏れ出た。


“大切な人の心から私が消えたら、その夜に眠った私がそのままそっと死ぬ呪いをかけてほしい”
酒が入っているなりに真剣に頼んでおっちゃんも了承したのだ。おっちゃんも制約の元の存在なのできちんと呪わないといけなかったはずだ。

私は今朝を生きている。予定が狂ってしまった。
仕方がないので手芸店と食器屋に向かった。

「…できた」
両面に刺繍を施したコースターを作った。片面は川藤の背番号4、もう片面は掛布の背番号の31。その上に買ってきたばかりの琉球ガラスの一輪挿しを置き、リンドウを一本生けた。
切り花の寿命は長くない。次は何を挿そうか。


1週間経っても1か月経っても、照明を透かして燦然と静かに光るガラスを私は時々見つめた。

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