鎌倉市教育委員会note

鎌倉市教育委員会が運営する公式noteです。 私たちの取組やチャレンジを多くの方に知っていただきたい!皆さんと一緒に鎌倉の教育を盛り上げていきたい! そんな想いから、教育や図書館、文化財などに関するトピックスをお届けします。 ※運用は「鎌倉市公式note運用方針」に基づきます。

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    【第3弾!鎌倉SCF受付期間延長中】より魅力的で豊かな学びを、鎌倉の子どもたちに

    教育長の岩岡です。 未来を生き抜く力を育むことができる魅力ある教育活動を、豊かな人材、NPO・企業・大学等と素敵なコラボレーションで実現していく「鎌倉スクールコラボファンド(鎌倉SCF)」。 令和2年度からスタートした本プロジェクト。 プロジェクトに対する私の思いは、【第2弾】の時のnote記事で掲載しています。ぜひこちらをご覧ください↓↓↓↓ 令和2年度【第1弾】、3年度【第2弾】のご支援で、SDGs等のさまざまなリアルな社会課題への興味や関心を深めたり、子どもたちの

      • かまくらULTLAプログラムのスピンオフ!~オンラインでも学べるプログラム

        教育長の岩岡です。 私たちは子どもも大人も、唯一無二の個性や特性を持っています。 それは「学び方」についても同様です。一人ひとりに自分らしい学び方があり、学校は、子どもたちの多様な能力や特性、興味などを引き出す「個別最適な学び」の実現に日々挑戦しています。 この中で、学びたい、何かやってみたいという気持ちはあるけれど、学校での学習になじめず、不登校や休みがちになっているなど、学校に通うのがつらいと感じている子どももいます。 こうした子どもたちに対して、学習機会を保障する

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          【写真で鎌倉SCF活用報告!】玉縄小学校~地球にやさしい未来とは?

          • 【KamaClub 】鎌倉武~冬「子どものためのウインターコンサート」 活動レポートをお届け!

            生涯学習課の松山です。 あけましておめでとうございます。 本年もどうぞよろしくお願いいたします。 図らずも教育委員会noteの新年初投稿となりましたが、鎌倉武(KamaClub)の活動レポートをお届けします! 令和4年(2022年)12月11日(日)。 鎌倉武(KamaClub)〜冬の活動として、きらら鎌倉(鎌倉生涯学習センター)ホールで、「子どものためのウインターコンサート」を開催しました。 コンサートの様子について、鎌倉ペンギン🐧が解説してくれます。 ペンギンさんお

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            ふるさと納税で魅力的で豊かな学びを ~鎌倉スクールコラボファンド(鎌倉SCF)

            教育長の岩岡です。 リアルな社会課題に基づく課題解決型学習やプログラミング学習、ICTも活用した個別最適な学びーーー「未来を生き抜く力」を育むことができる魅力ある教育活動を、豊かな人材・NPO・企業・大学などと素敵なコラボレーションで実現していく「鎌倉スクールコラボファンド」(鎌倉SCF)。 ふるさと納税の仕組みを活用したガバメントクラウドファンディングで皆さんからご支援をいただき、今年度も「未来を生き抜く力」を育むことができる魅力ある教育活動が数多く生まれました。 例

            【鎌倉殿通信・最終回】遺志を継ぐ者たち

            源頼朝亡き後、武家政権を維持・発展させた北条政子・義時姉弟も、貞応三年(1224)に義時、翌年に政子が相次いで亡くなります。 義時の長男である泰時は、承久の乱後、京都で戦後処理にあたっていたため、父の死に目には会えませんでした。ときに42歳。以後、執権として幕政を主導しますが、継母にあたる伊賀の方が三浦義村と協力して実子の政村を執権に据えようと画策するなど、その前途は多難なものでした。 近年発見された藤原定家の日記『明月記』によれば、危篤状態の政子に対し泰時が何度も「あな

            【鎌倉殿通信・第15回】「関東の爪牙耳目」と称された、大江広元

            鎌倉幕府の執権といえば初代北条時政に始まり、歴代北条氏が就任したことは広く知られていると思います。しかし、北条氏の出身ではないにも関わらず、室町時代ごろの系図などに「執権」と書かれた人がいることをご存じでしょうか。その人物こそが文士として活躍した大江広元です。 幕府草創期の「執権」の位置付けについてはさまざまな考え方があり、広元を歴代の執権としてカウントするかどうかは諸説あるところです。しかし「関東の爪牙耳目(耳目となって助ける臣)」と称されるなど、将軍の最側近として重要な

            【鎌倉殿通信・第14回】北条義時の妻たち

            北条義時には、少なくとも四人の女性との間に子どもが生まれています。 源頼朝が征夷大将軍に任じられた建久3年(1192)、義時は姫の前を正妻に迎えました。比企朝宗の娘で、将軍御所で女房を務めていた女性です。格別に頼朝のお気に入りで、美しい容姿の持ち主でした。 姫の前を見初めた義時は、恋文を送り続けましたが相手にされません。そこで頼朝が義時に、絶対に離別しない旨を誓約書として書かせて仲を取り持ち、婚姻に至りました。これには、源氏将軍家を支える北条氏と比企氏の一体化を目指す頼朝

            【鎌倉殿通信・第13回】『吾妻鏡』のひみつ

            大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放送が始まって以降、『吾妻鏡』という名前をよく耳にするようになりました。『吾妻鏡』は鎌倉幕府によって編纂された公式な歴史書で、鎌倉の歴史を知る上で基本となる史料です。治承四年(1180)4月、以仁王の令旨(命令の文書)が源頼朝の元に届くところから始まり、親王将軍宗尊親王が京都に戻るまでの出来事を編年で記しています。編纂時には、京都の貴族の日記や文学作品、各家に伝来した古文書、幕府関係者の日記など、膨大な史料が参照されました。 しかし、残念ながら

            【鎌倉殿通信・第12回】鎌倉幕府と高野山

            皆さんは、鎌倉幕府と高野山には密接なつながりがあることをご存知でしょうか。今回は、北条政子や安達景盛がつないだ鎌倉と高野山の結びつきをご紹介します。 建保七年(1219)正月27日、鶴岡八幡宮で3代将軍・源実朝が甥の公暁に殺されました。実朝の死の影響は大きく、4代将軍の選出や後鳥羽院と幕府の関係悪化をもたらします。混乱の中、尼将軍・政子と補佐役の義時姉弟は、実朝死後の混乱する幕府をまとめ、承久の乱にも勝利しました。 その一方で進められたのが、実朝の菩提供養です。暗殺の翌日

            【鎌倉殿通信・第11回】「鎌倉ノ本体ノ武士」 梶原景時

            13人の中に、鎌倉を本拠地とした武士がいることをご存じですか。その人物こそ、鎌倉の地名「梶原」を名字とする梶原景時です。景時は桓武平氏の一流・鎌倉党を出自とする武士で、鎌倉の梶原を本拠としました。深沢地区には、鎌倉党の祖・鎌倉権五郎景正を祭る御霊神社や、景時の墓と伝わる五輪塔があり、梶原氏ゆかりの地であることを今に伝えています。 源頼朝が挙兵すると、同じ鎌倉党で平家方の大庭景親軍につきますが、石橋山の合戦で頼朝の危急を救い、以後頼朝の信頼を得て活躍します。治承・寿永の乱の際

            【鎌倉殿通信・第10回】頼朝の腹心・安達盛長

            今回は、源頼朝を陰に日向に支えた、安達盛長に注目します。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも、頼朝や義時を温かく見守る姿が印象的ですね。 安達盛長(1135~1200)は、藤九郎とも称し、頼朝を流人時代から支えていました。おそらく、頼朝の乳母である比企尼の娘・丹後内侍の婿となった縁から、比企尼の意向のもと、頼朝の身の回りの世話にあたっていたと考えられます。出自は三河国宝飯郡小野田荘(今の愛知県豊橋市賀茂町)を本拠とする小野田氏の庶流(分家)の可能性がありますが、諸説あり明らかで

            【鎌倉殿通信・第9回】北条義時の邸宅はどこか!?

            鎌倉の有力な御家人は、一族で複数の屋敷を持っていました。鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』を見ると、北条義時の邸宅も複数あったことが分かります。 一つ目は、建保元年(1213)に起こった和田合戦の記述に登場する「小町上」の邸宅です。この邸宅は、現在宝戒寺が建つ場所にあったと考えられているので、仮に「宝戒寺小町亭」と呼ぶことにしましょう。ここは義時の弟・時房の所有となった後、五代執権・時頼の邸宅となりました。その後、北条氏の嫡流・得宗家に伝領され、鎌倉幕府滅亡の際は高時の邸宅となって

            【鎌倉殿通信・第8回】北条義時の親・兄弟姉妹

            大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、北条一族が大活躍していますね。今回は主人公・北条義時の家族を紹介します。 義時の父は、北条氏を率いる時政。伊豆の在庁官人(国衙の行政実務を担当する役人)を務めています。母は伊東祐親の娘と考えられています。残念ながら、母親については史料にみえず、出産後ほどなくして亡くなったのかもしれません。 兄の宗時・姉の政子・妹の阿波局は、義時と同じ母を持つと考えられます。宗時の生年は未詳ですが、父親の時政が20歳の時に政子、16歳で義時が誕生しているこ

            【鎌倉殿通信・第7回】鎌倉殿を支えた13人の宿老たち

            皆さんもご存じのとおり、大河ドラマの題名は「鎌倉殿の13人」ですね。今回は、この由来を少し掘り下げてみます。「鎌倉殿」については、連載第一回でご紹介しましたが、ではこの13人にはどのような意味があるのでしょうか? 建久一〇年(1199)1月、源頼朝が急死し、息子・頼家が18歳で鎌倉殿を継承します。その三カ月後の4月12日、若い鎌倉殿を支えるため、宿老13人による合議体制が敷かれました。この体制を「一三人の合議制」といい、ここで選ばれた13人が、「鎌倉殿の13人」の由来になっ

            【鎌倉殿通信・第6回】北条氏の本拠地ってどんなところ?

            北条義時たちが暮らした北条の地はどんな場所だったのでしょうか?第6回は、北条氏の本拠地である伊豆国田方郡北条(現・静岡県伊豆の国市)に想いを馳せたいと思います。 北条氏の暮らした館は、現在、史跡北条氏邸跡(円成寺跡)として、国の史跡に指定されています。これは、平成四~五年にかけて行われた発掘調査で、平安末から鎌倉前期にかけての大量の出土遺物と建物跡がみつかり、この場所が北条氏邸跡であると確認されたためです。この成果によって、時政・義時・泰時三代の暮らしの様子を知ることができ