(23歳・女)の今日、2020年5月14日
かまぼこです。
▼きょうのしあわせ
・キラキラのペンを使って1日のtodoを書き出すこと
・お昼に食べきれなかったつけ麺、後で食べようとしたら、母にコンパクトにまとめられていて、ふふとなったこと
・自分を休めるため、Slackを「見てはいけない」ではなく、「見なくていい」と思うこと
▼きょうのつらみ
・短期的な株価動向を適宜チェックすること
・Youtubeの動画を3本見ると、30分程消費してしまうこと
▼きょうのわたし
noteのテーマについて共有をします。
わたしのnoteの目的は、「わたしにとってのしあわせの基準を持つ」ことです。
わたしはどういう状態であれば充実しているのか?
わたしの日々の中で、習慣化しているけど、思っているよりしあわせじゃないことは何なのか?
わたしは、ピアノがすきです。けれども、だらだら弾くのはきらいです。だけれども、疲れているときにはだらだら弾きたいと思います。どこにその線引きがあるのか?何ができたらわたしはしあわせ、といえるまでの自信と、覚悟が、まるきりありません。
わたしは、人生の先輩たちから、さまざまなことばを聞いてきました。「好きなことを仕事にすべきだ」「仕事はつらいものだ」「自分が思うようにできるのなんて20代だけ」「楽単はこの授業だよ」「とりあえず1年目はがんばるしかない」「結婚したら自由なんてないよ」あーーもううるさいうるさいうるさいうるさい。頭がごちゃごちゃする。
わたしの人生は一度きりなんですよ。
わたしのことはわたしに学ばせてください。
わたしには、「人の意見を受け入れすぎる」という特性があります。受け入れすぎた結果、自分の意見を殺してしまうこともあります。ただし根は頑固なので、知らず知らずの内にフラストレーションがたまります。
わたしはあるいは、思慮のない意見を真に受けて、悲しくなることがあります。人はそれを「受容性が高いね」と言いますが、この特性は使いこなすのがむづかしいのです。
わたしは(23歳・女)ですが、これをつけている理由は2つです。
①(23歳・女)は、「わたし」像をイメージしていただく最低限の情報だと思ったから
②(23歳・女)であることから、「わたし」は逃げたくないから
わたし自身の「いま」に、常に向き合っているために、しあわせに生きてしあわせに死ぬために、このnoteを綴ります。
こんなに「わたし」を使うなんて、論文じゃあいっぱいペケをもらうと思いません?
わたしはそう思います。
明日は、わたしのルーツについて書きます。
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