信仰の自由の必要性


https://www.d3b.jp/religion/413

上の記事を読んで考えた事

竹内重年さんの言うことは正しい
正しいが結論が間違っている

戦時中の学校で経験したことから

宗教の名において理性や科学を尊ぶ心が失われ、正しい認識ができなくなってくる。

と書いているがその通りである

だがその後の説明である

「内心の自由」「宗教的行為の自由」「宗教的結社の自由」の回答がおかしい

「内心の自由」についてはその通りである
人は個人であり個人であれば他者の価値はそれぞれ異なる為それを強制してはいけない
内心の自由がない場合 竹内重年さんが経験した戦時中の学校の様に思想教育に走ることになる

「宗教的行為の自由」これについても言うことはないが
付け足すとしたら法令や人権に配慮するということである
自由があるのだから何をやっても良いという訳ではない
キチンと法令を守ってやってもらいたい

最大の疑問は「宗教的結社の自由」をこの人が認めている事だ
自身の経験から

宗教の名において理性や科学を尊ぶ心が失われ、正しい認識ができなくなってくる。

と書いておきながら その宗教の布教は認められるべきだと述べている
これでは矛盾している

もし宗教の布教が法令に則っていれば可能であるとすれば
戦時中の学校で行っていた事も当然法令に則って正しい行いであり
間違っているのは 竹内重年さん 自身であると考えられる

現在では大日本帝国は滅び 日本国として生きている訳だが
天皇陛下は存命であり
その正統性は揺るぎがない

宗教の布教を認めた場合
また繰り返される可能性が残る


私の考えでは科学的な根拠があるのかどうかで
布教を認めるか認めないかを決めるべきだろう
国家に消費者庁の様な機関を作り
宗教などに科学的根拠があるか調べ
そして国民にカルトであるかどうか発表するのである

例えば今回の様に

神社参拝をしたら戦争に勝てる

というのは何の因果関係も無い 嘘 である
だから消費者庁の様な所から 科学的根拠がありません
とアナウンスするのである
それによって 宗教の布教 に科学的視点を入れて
正しい認識が出来る様になるのである

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