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【オペラ】蝶々夫人(東京二期会)

 2024年7月21日(日)、上野の東京文化会館で東京二期会のオペラ『蝶々夫人』を鑑賞しました。今回は、演出の違いなどを中心に感想やメモを記載しました。※4階席からの鑑賞で記載が曖昧な部分があります。

■はじめに

 先月は映画館で、オペラ『蝶々夫人』を鑑賞しました。下(↓)は、その際のリンクです。参考として添付します。

 そのため、同作を生(ライブ)で観る必要まではないのではないかと、自分でも思ったのですが、オペラ初心者の私が入っていきやすい作品が他に思いつかなかったこと、①日本が関係していて、②長崎が舞台であることから、本作を選びました。
 以下、あらすじを記載し、感想に続きます。

<STORY>
 舞台は長崎。港を見下ろす丘の上に十五才の少女、蝶々さんの家があった。没落した武家の娘である蝶々さんは、今は芸者として暮らしていた。そこに、若いアメリカ海軍士官ピンカートンが現れ、蝶々さんに優しく愛を語った。辛い境遇にいた蝶々さんは、救われる気持ちで彼に惹かれて、結婚式を挙げるのだった。
 やがてピンカートンは日本での配属を終えて帰国する。蝶々さんはピンカートンの帰りを信じて待っていた。
 そして、三年の月日が流れた・・・

二期会のホームページより。

■感想:演出などの違い

 今回、演出は宮本亜門さん、衣装は故・髙田賢三さんでした。やはりというか、先月の鑑賞と比較して観てしまう部分もあり、過剰書きで記載してみます。

  • 相対的な面が大きいですが、前回映画館で観た蝶々夫人は和装(着物姿)で控えめな印象であったのに対し、今回は、もう少し自分を前に出す印象でした。特に、ピンカートンとの結婚、および、彼のアメリカへの帰国後は、洋装(ドレス?ワンピース?)で彼を待ち続けました。髪型も西洋風におろしていたように思います。

  • 対して、夫人の女中であるスズキは、自分を抑えた印象が強かったです。蝶々夫人とスズキは(二人一役とまでは言い過ぎかもしれませんが)補いあっている関係にあるともいえます。当時、アメリカ人と結婚した日本の女性が、どのように日本社会や世間と対峙していくか、両者のバランスで表現している面があるように思いました。

  • また、ピンカートンと蝶々夫人との関係も、作品の作り方で違いが出てきます。今回は(ネタバレになりますが)臨終間近のピンカートンがベッドの上で、蝶々夫人を思い出す回想シーンから始まりました。ピンカートンが蝶々夫人に対して、どれくらい距離を持っているか(素っ気無いのか、思いが強いのか)というのも、作品の演出によって異なってくるようです。

  • 他方で、以下のような点は、どのような演出意図があるのか考えたりしました。①第1幕に出て来る蝶々夫人の叔父さん(追記:父親の霊?)がなぜお面を被っているのか?(正確に判別出来ず、濃い化粧だったのかもしれません。)、②蝶々夫人の家が小ぶりのお堂のような形をしているのはなぜかなど。

■最後に

 今回は、同じ作品を異なる演出で観る2回目ということで、その違いに目が行く部分が多くありました。「演出」というと、(私の頭の中では)演出家が俳優に「演技指導」しているイメージが思い浮かびがちだったのですが、今回の鑑賞を通して、観客に対してどのように見せるか「解釈」が背景にあるように思いました。余力があれば(の話ですが)、今後、同じ作品を別解釈(演出)で観ることも楽しんでみたいと思います。

 そして、私は今回、東京文化会館の4階席から観ましたが、やはり舞台との距離感を感じました。蝶々夫人の衣装や髪型など記載が曖昧な部分があるのは、そのためです。帰りに見かけた2階席は、舞台に近く、しかも、目線の高さが合っているようで「いいなぁ。」と思ったりしました。
 ただ、あまり興味の幅を広げると色々大変なので、当分は、日本文化関連などに絞り、映画館で観るのもよいなぁと思いました。

 最後になりましたが、冒頭の画像は、「蝶」で検索し、くさだやすしさんの作品を使用させて頂きました。ありがとうございました。

 本日は、以上です。

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