【演劇】野がも(俳優座、イプセン)
2024年6月7日(金)、六本木の俳優座スタジオで、ヘンリック・イプセン作の『野がも』を観劇しました。見てみて良かったです。記録を残します。
■全体的な感想
上演時間2時間40分(2幕構成で幕間に15分の休憩を含む)で、最初は「長めかな」と感じたのですが、実際に観てみると、それほど長く感じませんでした。これが第一にくる感想です。
舞台上では、もちろん事件も起きるのですが、楽しい家族の会話や親友同士の会話もあり、私個人としては、それを落ち着いた気持ちで追っていく感じでした。森の中のアトリエというセットも、個人的にとてもしっくりきました。
■あらすじ
俳優座のホームページから引用するとともに、少し加工してみました。(勝手にすみません。)
■個別の感想
(1)イプセンと近代について
ヘンリック・イプセン(1828〜1906)は、ノルウェーの劇作家です。女性の自立を描いた(とされる)『人形の家』の名前は知っていましたが、私が観劇するのは、今回の『野がも』が初めてでした。
『近代劇の父』とも称されています。この近代劇についてですが、描くテーマが近代の問題を扱うようになったのか、作品の描写や演出や演じ方も変わったのか、日本に与えた影響など、演劇史の本などをいつか読んでみたいです。
(2)悲喜劇性について
公演パンフレットによると、『野がも』は本来「悲喜劇」だそうです。他の演出で観たことがないのですが、確かに今回、家族や親友とのやり取りなど楽しく観る部分がたくさんありました。
この「悲喜劇」の定義にもよるのでしょうが、例えば、生活の困難を笑い飛ばすような会話や、真剣な会話の中にズッコケるような部分が入ったりするようなことでしょうか。
ちなみに、私が一番楽しかった場面は、豪商ヴェルレから経済的支援を受けることについて、ヤルマール(演:斉藤淳)とグレーゲルス(演:志村史人)が笑い飛ばす場面です。「武士は食わねど高楊枝」的なものを感じました。
(3)野がもが象徴するものは何か?
そして、題名の「野がも」が象徴するものは何か?考えてみました。どうなんでしょうか。
①人間社会に対する自然。野がもを観察したり、野がもについて会話したり、ほのぼのとした印象を受けました。
②他方で、人間に飼われる・養われる存在。豪商から支援を受けるエクダル家の存在を示しているのかなと考える部分がありました。
(4)その他
国や会社など組織は別なのかもしれませんが、家族間など距離が近い間柄については、真実を追求していくこと(責任を問うていくこと)が悲劇を招くことに繋がる部分があるのかもしれません。「嘘も方便」という言葉もありますが、嘘も処世術の一つであり、ドラマが生まれる場面のように本作を観て思いました。ヤルマール(演:斉藤淳)と、ギーナ(演:清水直子)の夫婦のやり取りも、とても面白かったです。
また、イプセンは『幽霊』という作品において「遺伝」を扱っているようなのですが、今回の『野がも』でも、遺伝的な目の病気について扱っていました。詳しくは伏せますが、誰と誰が血縁関係にあるかなどに繋がるようです。時代性のようなものを感じました。
追記:この項目を記載しながら、こうした血縁関係について、どれだけ科学的な追求(DNA鑑定など)を行うかについて考えました。イプセンが「遺伝」を問題にした文脈等は分かりませんが、現代にも通じる部分があると思いました。
■最後に
今回、イプセンの作品を初めて観劇しましたが、演劇史上での位置づけなどを含め、不勉強さを感じるところが多く、メモっぽくなってしまいました。しかしその分、これから学んでみたいことも増えた気がします。
X(旧Twitter)を見ると、投稿者のコメントに同感することが多く、短く感想を伝える凄さを感じました。そして、今回とても楽しい2時間40分でした。
冒頭の画像は、俳優座の写真を使用させて頂きました。ありがとうございました!
■公演概要
期間:2024年6月7日 (金) 〜 6月21日 (金)
会場:俳優座スタジオ
出演:加藤佳男、塩山誠司、清水直子、安藤みどり、志村史人、斉藤淳、八柳豪、野々山貴之、釜木美緒 他
作:ヘンリック・イプセン
翻訳:毛利三彌
演出:眞鍋卓嗣
本日は以上です。
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