「不倫」に厳しく、「強姦」に甘い? 徳光「AKB発言」の背後にあるもの
「吊し上げ文化」に加担したいわけではないが、徳光和夫の「AKBの1人や2人妊娠させられる」発言で、かつての文化庁長官、三浦朱門の問題発言を思い出した人もいるのではないか。
「女性を強姦するのは紳士として恥ずべきことだが、強姦する体力がないのは男として恥ずべきこと」
1985年、雑誌でのその発言が非難の的になった。
今回の徳光発言と似たものを感じる。
徳光は、「AKBを妊娠させたい」と言ったのではなく、「妊娠させられる」、つまり、男性「能力」の誇示を目的としている。
三浦の「強姦は恥だが、強姦する『能力』は必要」という発言の趣旨と、似ていると思うのである。
三浦は「売文業者としてのシャレだ」と弁明したが、徳光も同じような、「お年寄りが無理を言って」的なツッコミを期待した「シャレ」のつもりだったのだろう。
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「セクハラ」「女性蔑視」という批判はいいが、どの点がそうなのか、明確にする必要がある。
徳光発言が「不倫を容認している」からダメだ、という批判は今のところ見ない。
女性を性的対象として見るな、という非難も今のところなさそうだ。
アイドルを性的対象として見るからダメなのか。なるほど、それもあるかもしれない。
しかし、根本は、「妊娠させる」という一方的な表現に、三浦の「強姦」発言と似たものがあるからだろう。
三浦や徳光のような、世間的には尊敬される地位の高齢男性が、このような発言をするところに文化的な根の深さを感じる。
三浦の「強姦」発言には続きがある。
「レイプ犯人が……貞操についてルーズな思想の持ち主を襲ってくれればよいのです」
つまり、女の貞操は大事だが、男の強姦はオーケーという、不倫に厳しく、強姦に甘い文化を表しているように思うのだ。
不倫に厳しく、強姦に甘いといえば、インドのような社会を連想する(昔そう言われたが、今は強姦に厳しくなったと聞く)。
しかし、ある程度は他の国や日本にもある。大きく言えば、人類の歴史は、ずっと、不倫には厳しいが、強姦に甘かった気がするのだ。
いまはどの国でも強姦の厳罰化が進んでいると思う。しかし、それはつい最近のことだ。性倫理についての認識更新がそれにともなっているとは限らない。
それこそが女性差別の核心の1つかもしれない。この性倫理の文化的根源を私は知らないけれど、昔から気になっていたことなので、徳光発言にかこつけて書きました。
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