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夏目漱石の障害者いじめ

明治の文豪、夏目漱石は、人格者でもあった、と言われる。

江戸っ子らしく気が短く、癇癪持ちで、ときに神経質であったが、学識が深く、偽善や虚栄を嫌う正義漢で、教師として多くの人を育て、また友人知人に親切だった、とされる。

それは本当だと思うが、一方、漱石の子供時代の「いじめ」エピソードが伝わっている。いずれも小学校時代の親友、篠本二郎の証言である(以下「定本漱石全集別巻 漱石言行録」岩波書店刊、より)。


*気に食わない女の子をいじめる

漱石(夏目金之助)の同級生に「お松さん」という女の子がいた。「容色淡麗」で身体健康、そして学課もよく出来た。

そのお松さんは、算数を受け持つ鈴木先生の娘であった。お松さんは、父親の授業中にも、いつも一番に挙手して正解を答える優等生だった。

しかるに、漱石も、友人の篠本も、算数が苦手で、授業中によく恥をかいていた。

ある時、漱石と篠本は、算数の授業中の失敗を、お松さんに笑われたことがあった。漱石と友人は、お松さんへの「嫉妬心と憎悪」から、また、この時代は、「婦女を蔑み」「男女席を同じうして教えを受くるさえ不快に感じていた」から、お松さんをひどくいじめよう、と相談する。

漱石と篠本は、お松さんの席の両脇に座り、「お松さんを肩にて押しつぶすほどにおしつけて苦しめ」た。そうすれば証拠が残らないと考えたのだ。お松さんは顔を赤くして大声で泣き出した。

結局、ことは露見し、漱石と篠本は10日間ほど廊下に立たされる。


*気に食わない盲人をいじめる

篠本の家の前を、目の見えない按摩が、杖をつき、笛を吹いて、毎日のように通っていた。

漱石と篠本は時々、土だんごを投げたりして按摩をからかっていたが、按摩は「盲人に似ず活発」で、杖を振り回して反撃してくることがあった。

漱石と篠本は学校で、「一つ按摩をいたぶってやろうと色々に協議」する。

肥柄杓(こえひしゃく)に小便を入れ、紙くずをそれにひたし、その紙くずを釣竿に垂らして、塀の上から按摩の頭上に垂らす計画である。

「小便のしたたる紙くずを、按摩の額上三、四寸のところに下ろして、一二滴、小便を額上に落した」

「その後の按摩の挙動を思い起こす時は、今も笑いを抑えることができない」

「てのひらにて水滴を撫でて、じかにその手をかいでみる所作をなす。嗅いでその臭さを知るや、たちまち憤怒の形相となり・・・」

「最後に十分の小便をひたしたる紙くずを鼻頭に吊り下げて、小便を塗りつけ、共に静かに塀を降りて逃げた。」

この悪事はばれなかったが、「子供心にも罪深く感じて、申し合わさずも再びしなかった」。

篠本も書いているが、漱石は子供の頃から嘘が大嫌いであった。「虚言を吐くな」ーーそれは、漱石が属していた士族の倫理でもあった。

だから、明治時代に「ロッキング・オン・ジャパン」や「クイック・ジャパン」がインタビューに来たら、これらのことも正直に話していただろう。

そして、明治時代の東京オリンピック・パラリンピック開会式への列席も辞退させられただろう。

漱石の肖像が載ったお札も、すべて回収処分となっただろう。

漱石の作品を教科書に載せるなどもってのほか、読書感想文の題材にすると自動的に失格しただろう。


*なお漱石は、朝日新聞に「支那人や朝鮮人を見ると甚だ気の毒。日本人に生まれて幸せだ」(「満韓の文明」)と書いている。そういう時代の人だった。


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