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日本は誰のものか 選挙と「国体」

選挙特番を見ていると、静岡5区を練り歩く細野豪志が紹介されていた。細野は民主党を辞めて、自民党入りが噂されている。

おばさんが細野に寄ってきて、

「あなたの人間性が信用できない」

と言うと、細野がこう答えていた。

「私は、共産党と組む民主党にいることはできなかったのです」

「私は安全保障では現実主義を貫きたい。内政では弱者の立場で・・・」

一部で劣勢が伝えられる与党自民党は、「野党共闘」批判を強めている。

前に書いた河野太郎のように、ストレートに共産主義の恐怖を訴える者。

細野のように(まだ与党の人じゃないけど)、安全保障の面から、日米安保破棄を唱える共産党を非難する者。

私が野党だったら、

「なんで日米安保破棄で安全保障が危ういだ。中国と組めばいいではないか。中国の方が近くで便利だ」

と言うけどね。鳩山由紀夫だったら言ってくれるかもしれない。

それはともかく、意外に、

「共産党が政権に入ると、天皇制がなくなるぞ」

と言う者はいない(共産党の天皇制に対する態度に触れる者はいないわけではないが)。

「今度の選挙は政権選択選挙ではない。国体選択選挙だ」

と言う者が、少しはいていいのではないか、と思った。

期待を込めて、日本第一党のYouTubeを見たりするのだが、ここも意外にそういうこと言わないのね。中国嫌い、外国人嫌いがあるだけで。

でも、日本の権力者やそれに近い者の「反共」には、安全保障や思想哲学以前に、日本の「国体」への信念・執着があるのは、間違いないと思うんですね。

この「国体」というもの。ある人には非常に明瞭なものらしいが、別の人は一生考えることがないものかもしれない。

私も考えない人だったのですが、日本史に興味を持ち、明治維新とか、大東亜戦争、終戦処理、とかを調べていくと、どうしても「国体」とは何か、考えざるを得ない。

たとえば終戦時、日本のエスタブリッシュメント、政治権力者だけでなくマスコミも含めて、「どうすれば国体を守れるか」ばかり考えているように見える。

その「国体」が、天皇制を含むことは明らかだけれど、天皇がどのような地位にいればいいか、とか、それ以外の権力布置はどうするのか、とかははっきりしない。

まずはっきりしているのは、昨日の「鬼畜米英」が、今日の「親米」になっても、「国体」は守れる、と思ったわけだから、安全保障でどこと組むかは「国体」には関係ない。(古代みたいに朝鮮(百済)と組んだことだってあるわけだし、戦中は「国家社会主義」体制のドイツと組んだ)

新憲法制定過程で、時の自由党政府は「主権在民」を憲法に入れるのに抵抗した。それは「国体」への配慮だったわけですが、結局「主権在民」を受け入れたところをみれば、国体と民主主義も矛盾しないと思っている。

民主主義は受け入れるけど、その土台に「国体」があればいいと思ってる。

憲法<国体

民主主義<国体

なんですよ、本当は。

「国民主権」「基本的人権」「平和主義」の前提に、「国体」があると思っている。

麻生太郎みたいな人を見ているとよく分かる。あの人、天皇家とも親戚でしょ。民主主義なんて屁とも思っていない。正直だから、かえって好きだけど、私は。

この国のえらい人たちは、「国体」を理解しているらしい。

身分制度はごく最近まであった。江戸時代までではなく、昭和20年まで貴族制は残っていた。それから100年もたっておらず、まだ身分制があるといえばある。

天皇家、貴族、士族たち。それに連なる地方豪族含め、こういう人たちは「治める」側です。

自分は生まれながらに「治める側」だ、という意識の人たちが、たくさんいたし、今もいる。自民党の議員とかにもいるし、野党にもいる。

公地公民とか言いながら、古代からそういう人たちの共通意識に「国体」のようなものがあったらしい。「公(おおやけ)」とはもともと天皇家のことだし。日本の大家。

私のように、2000年来、肥桶を担いで畦道を行ったり来たりしてきた、どこまでたどっても「治められる側」の子孫である人民は、そういう世界があるとは知らなし、よく理解できないんですね。

そういうことが、歴史を勉強すると、わかってきた。

この「国体」というのは、一種「密教」みたいで、われわれには中身はよくわからない。多分、「治められる側」にはわからないようにしていた方が都合がいい、そういうものなのだと思う。

新聞の世論調査でも、

「天皇制は残すべきだと思いますか」

とは聞いてくれても(それも滅多に聞いてくれないが)、

「国体を残すべきだと思いますか」

とは絶対に聞いてくれない。

「国体とは何ですか」と読者に聞かれたら、新聞も答えに窮するからです。

選挙の話に戻れば、日本共産党が本当に「国体」に対する脅威かといえば、それも怪しいですけどね。かつてはそうだった。しかし、いまは何がしたいのか分からない。

共産党は今、天皇制廃止を言わない。これは、自衛隊廃止を前面に出さないのと同じ、世論の反発を恐れてのことでしょう。しかし、今回の選挙公約集をよく見れば、自衛隊について「国民の合意が成熟して9条を完全実施する」、つまり「いずれなくす」と書いているの同じように、天皇制も社会主義国になれば自ずとなくなると考えているのでしょう。

そういう都合の悪い政策を隠すのは卑怯だと思うし、左翼としてだらしないと思う一方、共産党がどこまで本気で先のことを考えているかも分からないんですね。

かつては、共産主義と天皇制は両立できると考える人たちもいた。「国体」の許容度はそこまで大きかもしれない。

選挙なんて、「国体」から見れば些事かもしれない。「国体」への脅威でなければ、与党が勝とうが野党が勝とうが、どうでもいい。

ともかく、「国体」が「日本」という国の核心であり、それがなくなれば日本でなくなる、と思っている人がたくさんいるらしい。

それなのに、それが何なのかよくわからない、というのは、色々不都合があると思うんですけどね。

私も日本人のつもりだけど、私が知らない「国体」なるものが日本らしさの核心だと言われると、へえそうなんですかと言うしかない。

日本らしさとは何か。

そして、日本という国は誰のものなのか。

選挙戦をながめながら、やっぱりそういうことを考えてしまうのです。


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