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日本はウクライナだった ロシアと戦った戦前日本の「栄光」を呼び起こす

日本は、明治元年(1868年)から77年たって、1945年の敗戦の年を迎える。

そして、その1945年から77年たったのが、今年2022年だ。

だから、近代日本の「戦前」と「戦後」がちょうど同じ期間になった時点に、我々はいる。

今後は、「戦後」の期間が、「戦前」を追い越して行くことになる。

しかし、ウクライナ情勢は、新たな「戦前」の77年が始まったような気持ちにさせる。

1945年の敗戦は、(古代の白村江を別とすれば)日本が史上初めてこうむった大敗北であり、いま生きている日本人にとって、やはり最大の画期と言えるだろう。

しかし、世界史的視点にたてば、その40年前、1905年の日露戦争での日本の勝利は、近代史で同じほど重要と言える。

(ちなみに今年は日露戦後117年。先日、福岡市の田中カ子さんが119歳で亡くなったことで、日露戦争前に生まれた、つまり、まがりなりにも日露戦争での日本の勝利を「体験」した存命日本人=というか存命人類=はいなくなった。次の115歳の巽フサさんは1907年生まれだから)

これは決して、「日本スゴイ」の右翼的・夜郎自大的な見方ではない。

Battle of Tsushima (日本海海戦)が、世界史の転換点であったことは、広く認められていると思う。

強大なロシア帝国を、アジアの新興国が破ったことで、西欧の帝国主義、植民地主義に対する、被抑圧国の最初の叛逆の機運が生まれた。

それは、ポーランドのようなロシアに直接迫害されていた国だけでなく、インド、中国、トルコなどを「覚醒」させた。

それを「反植民地主義」の出発点と見る見方も近年出てきている。(たとえば以下の書)

A little more than a century ago, as the Japanese navy annihilated the giant Russian one at the Battle of Tsushima, original thinkers across Asia, working independently, sought to frame a distinctly Asian intellectual tradition that would inform and inspire the continent's anticipated rise to dominance. Asian dominance did not come to pass, and those thinkers—Tagore, Gandhi, and later Nehru in India; Liang Qichao and Sun Yatsen in China; Jamal al-Din al-Afghani and Abdurreshi al Ibrahim in the ruins of the Ottoman Empire—are seen as outriders from the main anticolonial tradition. But Pankaj Mishra shows that it was otherwise in this stereotype-shattering book. His enthralling group portrait of like minds scattered across a vast continent makes clear that modern Asia's revolt against the West is not the one led by faith-fired terrorists and thwarted peasants but one with deep roots in the work of thinkers who devised a view of life that was neither modern nor antimodern, neither colonialist nor anticolonialist.

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(本の紹介文・抄訳)100年少し前、日本海軍が強大なロシア海軍をバトル・オブ・ツシマで壊滅したとき、アジア中の先覚者たちが、それぞれ独立に、来るべきアジアの優越を唱える伝統を形成しようとした。アジアの優越は実現せず、インドのタゴール、ガンディ、ネール、中国の梁啓超、孫文、崩壊したオスマン帝国のJamal al-Din al-Afghani やAbdurreshi al Ibrahimらは、反植民地主義の主流に数えられることはない。しかし著者は、それが偏見であることを示す。云々

1905年の日本は、いわば現在のウクライナだった。

強国の帝国主義に屈しない小国の象徴であり、それゆえ世界の多くの共感と賞賛を集めた。

そして、その敵国は、同じロシアである。

強いと思われていたロシア軍が、案外強くない、と思わされたのは、1905年以来、2度目だ。

ぜレンスキーに当たるのは、明治天皇であり、東郷平八郎だった。

日本はその上、勝利した。ウクライナが勝利する保証はないが、その奮闘はすでに世界に大きなインスピレーションを与えている。1905年の日本のように。

今日、日本が1905年の「栄光」を呼び起こしにくいのは、その後、日本自身が抑圧的な帝国主義国、植民地主義国になっていくからだ。

その結果としての1945年の敗北と恥辱によって、日本の近代史は上書きされ、1905年の「栄光」も塗りつぶされてしまった。

ウクライナがロシアに勝利した後、今度はウクライナが(あるいは「西側同盟」が)ロシアやベラルーシを占領しようとしたら、同じことになるだろう。

日本の近代史がそのような複雑さを持つからこそ、歴史の教訓として「1905年の栄光」を思い起こすことは意味があるのではないか。

日本人にとっても、ウクライナを含めた世界にとっても。

その教訓を生かせなければ、我々は本当に「新たな戦前」に立っている。


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