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近代日本「左翼」史 2

およそ政治的な活動の内部には上下関係がある。

指導者がいて、兵卒がいる。動員する者がいて、動員される者がいる。

「平等」を理念とした左翼運動も、例外ではない。

近代日本の左翼運動以前も、農民一揆や、大塩平八郎の乱のように、政治権力への反乱運動はあった。

しかし、大きな違いがある。

明治時代以前には、権力内部の闘争は別として、反乱者が権力者にとって代わることはあり得なかった。それはただ、為政者に反省を強いるための自己犠牲的行動だった。

近代の政治運動では、反乱の指導者が政治権力者にとって代わる可能性があった。自己犠牲ではなく、自己を強化することができた。少なくとも、そう信じることができた。

したがって、反権力運動は、「権力への意志」の発露ともなり得た。特にその指導者層においてはそうだった。

それは、明治以後の、いわゆる左翼に限る話ではない。

明治維新自体が、天皇という御旗の下に、薩長などの一部勢力が権力を奪取した革命だった。

つまり、天皇親政をタテマエとし、宮廷の一部勢力と地方士族が結託した政府転覆だった。

反乱者が権力者となる前例を作れば、後にそれに続く者があらわれる。

それ以後の政治運動は、明治維新という何百年に一度の「出世の特急」に乗り損ねた者たちが、なんとか挽回を果たそうとする活動の色を帯びている。

特に薩長土肥以外の旧士族にその傾向は顕著であった。いわゆる不平士族の乱を起こした者たちだけでなく、福沢諭吉や福地桜痴、徳富蘇峰などの言論人、ジャーナリスの多くも、出世の道を取り戻そうとした「不平士族」であった。

左翼運動においては、自らの苦境や他者の悲惨を救うために、身を投げ打った人たちがいたことは疑えない。

しかし一方、特にその指導者層には、反体制運動に投じることで「出世の早道」を得ようとする者がいたのも確かなのだ。

このことを強調するのは、左翼なり労働運動なりの歴史を記述しようとすると、一次史料として当時の指導者の記録を元にすることが多い。

たとえば安部磯雄とか片山潜とかだ。

そして、学問的な研究も、伝統的にはそうした文献資料にもとづくものがほとんどだった。

しかし、今名前が残っていること自体が、彼らが「出世」した証拠であり、その動機や事跡について、記録にバイアスがないかを疑う必要がある。

そうした文書にだけ依拠して歴史を書くことは、日本書紀と古事記だけで日本の古代史を再現しようとするのと同じ、まさに左翼が批判してきた歴史の方法論を繰り返すことになる。

私はCall Of Dutyというゲームをするたび、「歴史は勝者によって書かれる」というナレーションを聞くことになる。この台詞はスター・トレックが典拠だという説もあるが、いやもっと古いだろう。およそ戦いのあるところ、庶民はそのことを知っていたに違いない。

では、左翼史において、「勝者」以外の史観に立つにはどうすればいいのか。

「指導者」や「識者」の書いたものだけでなく、なるべく「兵卒」に近い者の考えや動向に関心を持つことだ。

(この項、つづく)



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