左派メディアの「隠れ蓑」
昔、ある左派メディアの幹部が、
「○○先生を隠れ蓑に、安倍を叩こうと思っている」
と言っていたのが、耳について離れない。
○○先生、というのは、ある保守系の評論家だ。
つまり、保守の論客を使いながら、同時に安倍晋三やウヨクを批判しよう、それで「公正な報道」をしているように偽装しよう、ということだ。
こういう意識で、「公益」をうたいながら、党派的でイデオロギーちっくな「報道」をしているわけである。
そのメディアが、皇室について、宮内庁寄りの報道を定期的に出すのも、そういう「隠れ蓑」の1つなのかもしれない。
そして、もしかしたら、これは左派メディアだけでなく、右派メディアにもある手口なのかもしれない。イデオロギー的でない記事をまぜて、党派性を隠す。それで、「公益」目的のメディアだと自称する。
しかし、読者もバカではないから、いかに偽装しようと、偏向はわかるものだと思う。(高齢読者には疑わない人がいるかもしれないが)
私は、「隠れ蓑」発言の中身よりも、その率直な物言いに、驚いた。
そんな発言をしても、おかしいと思わない、咎められるとは思っていない、そういう特殊な「世界」の中で、彼は生きてきたのだろう、と。
そして、その堂々たる偏向ぶりに呆れる以上に、「隠れ蓑」に利用される、○○先生や皇室が、気の毒だと思ったのである。
*読者の方からご質問をいただいたのですが(ご愛読ありがとうございます)、私は「左派メディア」や「安倍批判」が悪いと言いたいのではなく、読者を騙す、読者を操縦しようとする姿勢が悪いと言いたいのであります。そして、同じことをすれば、右派メディアも悪いと言いたいのであります(しかし、私は右派メディアのことをよく知らないので、右派のことは書けないのであります)。読者のため、ではなく、特定のイデオロギーや党派のために「報道」するのは、読者や「公益」に対する裏切りです。そういう組織の中では、公正な報道をしようとしても、偏向側に同調圧力がかかるのも、良くないです。偏向は良くない、ということを、読者の側から言い続けることが、メディアを正道に戻す道だと思います。