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追悼:オリビア・ニュートン・ジョン 〜その「影」としてのカレン・カーペンター

オリビア・ニュートン・ジョンが亡くなった。73歳だった。

1970年代後半、私が思春期まっさかりの時に、世界の「美神」として圧倒的な存在感を誇った。

長いガン闘病の末だった。ご冥福をお祈りしたい。

彼女で思い出すのは、カレン・カーペンターのことだ。

同じく1970年代に全盛期だったカーペンターズのカレンと、オリビア・ニュートン・ジョンは、(1975年にオリビアがアメリカに移住して以来)親友だったとされる。

イギリス=オーストラリア出身のオリビアは、ノーベル物理学賞受賞者や有名法学者などにつながる名門出身として知られるが、ショービジネスの世界にそんなことは関係なかっただろう。カーペンターズもオリビアも、下積みを経て人気者となった。

オリビアとカレンは、年も近く(オリビア:1948年生まれ、カレン:1950年生まれ)、同時期に人気絶頂となったポップスターとして、「アイドル同期」的な親近感があったのかもしれない。音楽的な志向も共通していた(カントリー的な、あくまで白っぽい音楽を志向して、カーペンターズは「共和党ポップ」などと中傷された。ABBAが差別されたのも同じ。そういう時代だった)。

しかし、カレン・カーペンターは、オリビアと知り合った1970年代半ばから摂食障害をわずらう。いわゆる拒食症だ。

身長163センチのカレンの体重は、1974年までは最高64キロに達していたが、1975年9月には41キロまで落ちる。(Wikipedia「カレン・カーペンター」による)

拒食の原因として、親子関係の問題がのちに言われたが、オリビア・ニュートン・ジョンと知り合ったことが原因という説もあった。

当時のカレンは独身で、たぶん恋愛が順調でなかった。親友のオリビアを見るにつけ、自分の容姿が理由かもと思わないわけにいかなかった。「オリビアのようになりたい」という、オリビアに対するコンプレックスで、拒食症をこじらせた・・という説だ。カレンが亡くなった後に出た何かの本で読んだ。

もし自分が女性で、間近にオリビアのような絶世の美女がいたら・・と思うと、わからないでもない話だと思った。

健康的なイメージだったカレンが、摂食障害で痩せ始めるとともに、カーペンターズの人気は落ちていく。

一方、オリビア・ニュートン・ジョンの人気はまだ上昇していく。1978年の「グリース」のあたりが絶頂だろうか。30歳近いオリビアがJKを演じる無理は当時から言われたが、映画を見れば、「この役柄は彼女しかいない!」という製作者の思いが当たっているのがわかる。

1980年の「ザナドゥ」は、そろそろ人気がピークアウトした頃だが、それでも、その映像で見る彼女は無敵の美貌を誇っている。

1981年、カレン・カーペンターは、前年に結婚した実業家と離婚し、健康状態ともども人生最悪の時を迎える。

同年、オリビア・ニュートン・ジョンが、健康美を過剰にアピールする「フィジカル」を発表したのは、残酷な対照だった。「フィジカル」のMVはきわどい内容で、「80年代トンデモMV」としてよく挙げられるが、ともかくこの曲は80年代最大のヒットの1つになる。

1983年、カレンは心不全で亡くなる。32歳だった。拒食と過食を繰り返し、睡眠薬中毒にもなっていた。親友のオリビアが葬式で泣くシーンを映像で見た気がする。なお、摂食障害を社会が認知したのは、このカレンの死がきっかけだと思う。

1980年代後半からは、オリビアは人気の下降を感じて、ポーランド人ダンサーとの結婚生活に重点を移すが、1992年に乳ガンが発見される。晩年は鬱病にも苦しんでいたという。

なお、オリビアの娘、クロエ・ラッタンジー(歌手、女優)が出る映画「シャークネード5」を、好奇心でGYAOか何かで見たことがある。(オリビアも共演している)

オリビアとはまるで似ていないので、何か安心した覚えがある。とはいえ、その後、クロエは「整形中毒」になったというゴシップ記事を見て、こちらも少し心配していた。

カレンの拒食症の原因がオリビアだと確定しているわけではないし、仮にそうだとしても、オリビアには責任はない。知られる限り、オリビアは思いやりのある良い人柄だった。

ただ、あの時代を振り返る時、時代の「光と影」を、オリビアとカレンのふたりが象徴しているように思えるときがある。

そして、オリビアの死を悼む人に、ちょっとだけカレン・カーペンターのことを思い出してほしかった。

肉体を脱ぎ去ったふたりが、いま天国で仲良くデュエットしていたら素敵だと思う。


痩せ始めた頃のカレンの歌が心にしみる「ふたりのラブソング」(1977)。私が一番好きなカーペンターズ。


オリビアではやはりこの曲を。「そよ風の誘惑」(1975)。「メロー」という言葉が流行った。どちらも27歳のころ。


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