見出し画像

「米英撃滅の歌」 見応えある国策映画

今朝早く、YOUTUBEで映画「米英撃滅の歌」を見つけ、題名につられてぼんやり見始めたのだが、たちまち引き込まれてしまった。

何の予備知識もなかったのだが、調べてみると、映画「米英撃滅の歌」は1945年3月公開。日本敗戦の半年前だ。劇中、日の丸と共に、ドイツの鉤十字旗と、イタリアの国旗がひるがえる。このわずか一ヶ月後に、ムッソリーニが処刑され、ヒトラーが自殺する。

そのギリギリのタイミング、日本の崖っぷちで作られた国策映画。「米英撃滅の歌」という、本土決戦の覚悟を促すような歌がまず作られ、そのプロモーションのために作られた松竹映画だという。

戦前、戦中の日本映画はたまに見るが、まあ、やはり、たいがい、つまらない。しかもこれは「ザ・国策映画」という内容なのだ・・・が、実に見応えがあるのだ。

<見応えの理由>

その理由の第一は出演者の充実で、藤原義江、高峯三枝子、笠智衆などが熱演する。ご承知のとおり、それぞれ戦後も活躍した人たちで、特に高峯と笠智衆が流石の演技を見せる。

藤原や高峰らの放つ華やかな雰囲気と、笠の人間味が、こうした映画にありがちな堅苦しさを緩和しているということもある(もちろん、意図されたものだろう)。だが、今Wikipediaで三人の出演作品をチェックしても、この映画の名前は出てこない。

ただ、Wikiでは、藤原義江の、次のような戦後の逸話が紹介されている。藤原は戦後、「蝶々夫人」のピンカートンを演らなかった。なぜ演らないのかと聞かれ、「アメリカ人を殺せという歌を歌っていたのに、いまさらアメリカ軍人の制服が着れるか」と答えたという。藤原が「アメリカ人を殺せ」と歌っているのが、まさにこの映画である。

見応えの第二の理由は、音楽の充実だ。伝説のオペラ歌手、藤原の歌がふんだんに聞けるのはもちろん、音楽が第二の主役といえるほど演奏のクオリティが高い(藤原歌劇団の「カルメン」も見られる)。

だから、クラシック音楽のファンや、日本でのクラシック受容史に関心のある人にもお勧めできる。実際、物語の上でも、音楽が中心を占めるのである。

<物語>

昭和10年前後、音楽学校を同期に卒業した仲良し3人娘の物語。

「千鶴」(高峯三枝子)はジャズ奏者の夫と上海に渡り、「弓子」(轟夕紀子)は藤原歌劇団に入って新進作曲家と結婚、「美穂」(月丘夢路)は田舎の小学校の音楽教師になる。

やがて日米開戦。

「千鶴」の夫はジャズをやめ、上海の特務機関で働くようになるが、最後はアメリカ政府の刺客に殺される。

「千鶴」は日本に戻って、「美穂」に、国際都市上海に憧れたけれど、現下の国際情勢はそんなに甘くなかったと話す。

「恐ろしいことだわ。ジャズがアメリカの文化謀略だってこと。結局、私たち馬鹿だったのね。アメリカの文化謀略に踊らされていたのよ」

そう言って、「千鶴」は音楽をやめ、炭鉱で勤労奉仕を始める。

一方、創作に行き詰まっていた「弓子」の夫の作曲家は、日本軍のシンガポール陥落(1942年、日本帝国陸軍がイギリス軍に勝利)の報に感激し、「これまでは理屈ばかりこねていた。今は行動あるのみ」と、お国のための音楽つくりを決意する。

それで出来たのが、「米英撃滅の歌」だ。

(1番)「濤は哮(ほえ)る 撃破の時は今だ/空母戦艦 断じて屠(ほふ)れ/海が彼奴(きゃつ)らの 墓場だ 塚だ(繰り返し)」

(2番)「風は咆る 覆滅の時は今だ/魔翼 妖鳥 断じて堕とせ/空が彼奴らの 経帷子(きょうかたぴら)だ(繰り返し)」

(3番)「草は燃える 殲滅の時は今だ/鬼畜米英 断じて斃(たお)せ/山が彼奴らの 墓標だ墓石だ(繰り返し)」

(4番)「時は今だ 決勝の時は今だ/興亜聖戦 断じて遂げよ/み民の我らの 命が的(まと)だ(繰り返し)」

(実際の作曲者は山田耕筰)

我らの命が的だ・・・こうして書き写していても恐ろしい感じがするが、映画は、再会を果たした3人娘と藤原が、舞台で、職場で、学校で、この歌を高らかに歌い上げるところで終わるのである。

<感想>

戦争末期の余裕がない時期に作られたはずだが、国策映画としても、映画としても、よく出来ていると思う。監督は佐々木康。

当然ながらいろいろなことを考えさせる。並の歴史映画よりも歴史について考えさせられ、並のホラー映画より(ある意味)怖い。

まずは一見をお勧めしたい。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?