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日本共産党の残念 唯一の「改憲政党」が随一の「護憲政党」になった理由

総選挙、どこ入れようかな〜 と各党の公約を見ていて、やっぱり目が止まってしまうのがニッポン共産党だ。

「(1)自民党の9条改憲のたくらみに終止符を打つ
 自民党は、自衛隊の憲法9条への明記や緊急事態条項の新設など、「戦争する国」づくりのための「改憲4項目」を党の正式の方針としており、現在もその立場を変えずに推進しています。

 いま必要なことは、憲法を変えることではなく、憲法9条を生かした外交で平和な日本とアジアをつくることです。この間、「2020年までに9条改憲を実現する」という安倍元首相の野望を、国民の世論と運動が包囲し阻んできました。この成果に確信をもって、総選挙で、改憲勢力を少数派に追い込み、憲法9条改憲のたくらみに文字通りの終止符を打とうではありませんか。

――自民党改憲案に反対し、断念に追い込みます。

――日本国憲法の前文を含む全条項を厳格に守り、平和的・民主的条項の完全実施を求めます。」

(日本共産党ホームページ https://www.jcp.or.jp/web_policy/2021/10/2021-sosenkyo-seisaku.html)


この「日本国憲法の前文を含む全条項を厳格に守り」のところね。

「9条」だけでなく、「全条項を厳格に守る」って、すごいな。護憲の権化だ。

まず、「9条」を厳格に守るなら、自衛隊廃止を唱えろよ、というのがある。別に意地悪で言ってるわけでなく、「厳格に守る」と言った以上は、戦力不保持を厳格に守って自衛隊廃絶を言うべきでしょう。何を遠慮している。一方では「日米安保破棄」を堂々と言っているのに。

「国民の圧倒的多数が「もう自衛隊がなくても安心だ」という合意が成熟したところで初めて、憲法9条の完全実施に向けての本格的な措置に着手します。」

とは別のところで言っているけれど、すでに批判されているように「圧倒的多数が自衛隊がなくても安心」と思えることなど永久に来ないのだから(それこそ世界が1つの共産主義国、1つの超監視国家、1つの北朝鮮にでもならない限り)、死文ですね。アリバイ作り。

「合意が成熟したら」なんてのもよくわからない日本語だし、「憲法を厳格に守る」とは、そんな遠い、あるかないかわからない未来のことか、と。

要するに耳あたりのいいことを並べているだけで、がっかりだ。どこの政党もそうだといえばそうだけど。

いずれにしろ、他党と比べて目立つのは、その「護憲」ぶりだ。外交も「9条の精神で」だからね。それにしても「全条項を厳格に守る」って・・・

1946年11月3日の憲法公布時に、新憲法に唯一反対した政党が日本共産党でした。

朝日・毎日・読売などのジャーナリズム、自由党、社会党などの政党、果ては全国の隣組まで、こぞって新憲法歓迎の大合唱がとどろいた時、日本共産党だけがちがった。

日本共産党は、新憲法公布にあたって、以下のように宣言しました。

「新憲法によって資本家地主的天皇制が保存され、支配階級の特権が維持された」

「わが党は今後とも人民の権利と民主主義の徹底を保証する人民共和国憲法のために、自覚しつつある勤労人民とともに奮闘するものである」

(朝日新聞1946年11月4日)

あんたら、その戦後の原点を忘れたのか、と。

「人民共和国憲法」とは、共産党が戦後すぐから唱えていた「自主憲法」です。

GHQの憲法草案が発表された時、共産党の影響下にあった読売新聞(争議中)は、

「負けたりとはいえ、われはいつの日か独立を希望し、民族純一の意思に基づいて国家百年の礎たる憲法は決定したい」

と書いた。

とりあえずGHQが憲法を作るのは仕方ないから、いったん受け入れるけど、独立したら自分たちで作る、と。それについては、「野党共闘」中だった社会党も同意見でした。当時、「自主憲法」を公に要求したのは野党だったのです。

そして、新憲法に世襲的天皇制が残ったことにについては、

「連合軍の撤退直前に天皇存否の国民投票を行ってもよい。なぜなら米軍撤退は日本の民主革命が完了、民主政権が確立される時であるからだ。いづれにせよ、天皇の地位は天皇制批判の薄明がいまはじまったばかりの時に、永久固定的に確定すべきでないのではあるまいか。三千年来はじめて解放された国民感情は刻々変化しつつあるのである」

と、実に堂々たるものです。

戦力不保持(9条)については、

「もしわが国が他国の侵略を受け、侵略国に隷属させられた場合に、わが国民にも当然解放戦争の権利は残されるべき」

と、「解放戦争」の権利を唱えていました。(読売新聞1946年3月8日「人民憲法の制定」)

そもそも新憲法をめぐる1946年の衆院本会議で、「自衛権の放棄はおかしい」と9条を批判したのは共産党の野坂参三であり、「自衛権の放棄が正しい」と「絶対平和主義」を主張したのが自由党(現自民党)の吉田茂だったのは、有名な話。

産経新聞で阿比留記者も書いていた。

これ、阿比留みたいな保守が言うと、いかにも反共宣伝くさいけど、本当の話ですからね。

私は立場としてはリベラルだから。

私は、これだけ社会主義国が悲惨なことになっているのを見て、いまさら共産党はないだろう、とは思うけれども、戦後すぐまでの、日本共産党の態度、主張の首尾一貫性は、素晴らしいと思ってるですよ。

だから、共産党の変節、というか、「どうせ人々は何も知らんだろう」みたいな態度で適当なことをかましているのが許せないんですね。

今や、「9条護憲」に最も熱心なのは日本共産党なわけです。

私はずっと、「9条」というのは、いつしか「共産主義」の「換喩」になったんだ、と思っています。

「換喩」とは、

「換喩、メトニミーは、修辞学の修辞技法の一つで、概念の隣接性あるいは近接性に基づいて、語句の意味を拡張して用いる、比喩の一種である。また、そうして用いられる語句そのものをもいう。」(ウィキペディア)

いまさら「共産主義」を唱えるのは恥ずかしい(共産党なのに)ので、意味を拡張して、別の言葉で言い換えている。それが「9条」だと思います。

9条の言っていることは、「理想」です。現実には合わないかもしれなけど、「理想」は大事でしょ。理想といえば、そうだ共産主義だ。

という連想で、9条が、「理想主義」を介して、共産主義に結びつく。

もう1つの回路は、「平和」です。

9条の言ってることは「平和主義」、つまり戦争への反対です。戦争といえば、そう、資本主義国が始めるものです。だから戦争に反対するために資本主義をやめなければならない。そうだ共産主義だ。

これはレーニンの帝国主義論(資本主義国は必ず拡張戦争をする、という決めつけ)を介しているから、ちょっと高度だけど、その筋の人なら連想が働くんですね。

軍隊をもたない社会主義国などあり得ない、ということは共産党は分かっているし、かつてはそれを隠さなかったのに、どんだけ不正直になったのか、と。

資本主義国の軍隊は許さないけど、「我々の国」になったら話は違う、というのがミエミエなんですね。

共産党なら、やっぱり共産主義の実現をストレートに打ち出すべきでしょう。

支持者は少なくても、正直でいい。その正直さこそが、共産党の良さなのだから。

私にとっては、天皇制批判をやってくれる唯一の政党として頼りにしている党です。

(でも公約を隅から隅まで読んでも天皇制について一言もない。唯一の取り柄が・・・)

部落解放同盟に因縁つけられた時に頼りにできるのは共産党だけ、と言った人もいたね。

かつて共産党に投票することは、いわゆる55年体制への拒絶を表明する手段でもあった。自民党と社会党の長年の「与野党馴れ合い」にうんざりして、共産党に入れる知識人が結構いた。

共産党としても、党員の高齢化とか色々あって、なんとか生き残りをはかりたいところなのだろうけど。

オンリーワンの輝きを失って欲しくない。

あと、自主憲法制定というかつての共産党の夢を裏切って欲しくない。

(参考:有山輝雄「戦後史のなかの憲法とジャーナリズム」)









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